先日、行きつけのブックオフの105円コーナーでこの本を見つけた。
まだ出版されて1年ちょっとしか経っていない。推測の域を出ないが、本の題名のような状況にあった人がこの本を読んで行動様式・発想を変えた⇒評価されるようになった⇒本は用済になったのであろうか。であれば、おめでたい話である(というか、こういう発想をする私がおめでたいのかも知れない)。
この本は中身はどちらかというと若い人者向けであるが、不測の事態に落ち込まず、次のアクションにつなげるための呪文は多くの人にとって参考になるだろう。
その呪文とは「ちょうどよかった、これをきっかけに・・・・・・・・」
自分の力では避けることができない事態などが起きてしまった場合、それをどのように受け取り、どう次の行動につなげるかが、その人のその後の成長を左右する。著者は実体験でこの呪文を活用して次の成長につなげたとか。私も「転んでもただでは起きない」を人生のモットーにしており、大いに共感できるところだ。まぁ、できれば、転びたくはないのだが。
「転んでもただでは起きない」で思い出したのが、先日ご紹介した昭和初期を代表する財政金融の専門家・高橋是清だ。
少年時代、渡米して雇われたと思って得意になって自慢してたら奴隷に売られていたり、ペルーの銀山で詐欺に掛かって身上を潰ししまったり、日本に戻ってからも、農場や鉱山経営に手を出すがこれも失敗。田舎に引きこもろうとするが、友人の紹介で日本銀行本店新築工事の建築所事務主任に採用される。そこから日本銀行馬関支店長、次いで正金銀行支配人から日銀副総裁へと出世、日露戦争では外債募集で軍費調達に奔走。その後正金銀行総裁、日銀総裁、大蔵大臣、総理大臣と昇り詰める。痛快無比の人生とはこのことを言うのであろうか。
では是清はどんな心構えで仕事をしていたのか、彼はその随想録でこんなことを書いている。
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p.83
私の半生の経歴は人のすでに知るとおりであって、多くは自分の不明から、徒に無用の波乱を重ねて来たわけであるが、しかも、その間、ただ僅かに誇り得るものがあるとすれば、それはいかなる場合に処しても、絶対に自己本位に行動しなかったという一事である。
子供の時から今まで、一貫して、どんなつまらない仕事を当てがわれた時にも、その仕事を本位として決して自分に重きを置かなかった。だから、世間に対し、人に対し、あるいは仕事に対しても、未だかつて一度も不平を抱いたことがない。
われわれが世に処して行くには、何らかの職務につかなくてはならん。職務について、世に立つ以上は、その職務を本位とし、それに満足して恥じざるように務めることが人間処世の本領である。
いかなる場合でも、何か食うだけの仕事は必ず授かるものである。その授かった仕事は何であろうと、常にそれに満足して一生懸命にやるから、衣食は足りるのだ。
ところが多くの人は、現在困っていながら『こんな仕事で駄目だ』とか、『あんな仕事が欲しい』とか言っているから、いよいよ困るような破目に落ちて行くのである。つまり自分を本位としているからの間違いである。
何か仕事が無ければ、到底独立してゆくことの出来ないものは、仕事を本位とするより外に仕方がないではないか。
そして、仕事を本位とする以上は、その仕事の性質がどんなであろうとも、ただ一心になって、それを大切に努めるばかりである。こうすれば、どこにも、不平の起きるべき原因はない。
よい地位に上がったからといって欣喜雀躍(きんきじゃくやく)するはずもなければ、またその地位が下がったからといって、失望落胆することもない。すべておのれを本位とすればこそ不平が起こり、失望が起こるのだ。
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要するに、自分本位ではなく仕事本位で頑張りなさいということだ。そうすれば不平も起きない。また「自分と他人のサラリーを比較するな」とも忠告している。それも不平のタネになると戒めている。それで不平があるんだったら、会社を辞めて独立しればいいと。期せずして人事異動のシーズン、人生の達人による金言、あなたはどう受け止めたであろうか。
以上、2月26日、是清の命日に記す。
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自分は評価されていないと思ったら読む本 | |
小笹芳央 | |
幻冬舎 |
まだ出版されて1年ちょっとしか経っていない。推測の域を出ないが、本の題名のような状況にあった人がこの本を読んで行動様式・発想を変えた⇒評価されるようになった⇒本は用済になったのであろうか。であれば、おめでたい話である(というか、こういう発想をする私がおめでたいのかも知れない)。
この本は中身はどちらかというと若い人者向けであるが、不測の事態に落ち込まず、次のアクションにつなげるための呪文は多くの人にとって参考になるだろう。
その呪文とは「ちょうどよかった、これをきっかけに・・・・・・・・」
自分の力では避けることができない事態などが起きてしまった場合、それをどのように受け取り、どう次の行動につなげるかが、その人のその後の成長を左右する。著者は実体験でこの呪文を活用して次の成長につなげたとか。私も「転んでもただでは起きない」を人生のモットーにしており、大いに共感できるところだ。まぁ、できれば、転びたくはないのだが。
「転んでもただでは起きない」で思い出したのが、先日ご紹介した昭和初期を代表する財政金融の専門家・高橋是清だ。
少年時代、渡米して雇われたと思って得意になって自慢してたら奴隷に売られていたり、ペルーの銀山で詐欺に掛かって身上を潰ししまったり、日本に戻ってからも、農場や鉱山経営に手を出すがこれも失敗。田舎に引きこもろうとするが、友人の紹介で日本銀行本店新築工事の建築所事務主任に採用される。そこから日本銀行馬関支店長、次いで正金銀行支配人から日銀副総裁へと出世、日露戦争では外債募集で軍費調達に奔走。その後正金銀行総裁、日銀総裁、大蔵大臣、総理大臣と昇り詰める。痛快無比の人生とはこのことを言うのであろうか。
では是清はどんな心構えで仕事をしていたのか、彼はその随想録でこんなことを書いている。
随想録 (中公クラシックス) | |
高橋 是清 | |
中央公論新社 |
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p.83
私の半生の経歴は人のすでに知るとおりであって、多くは自分の不明から、徒に無用の波乱を重ねて来たわけであるが、しかも、その間、ただ僅かに誇り得るものがあるとすれば、それはいかなる場合に処しても、絶対に自己本位に行動しなかったという一事である。
子供の時から今まで、一貫して、どんなつまらない仕事を当てがわれた時にも、その仕事を本位として決して自分に重きを置かなかった。だから、世間に対し、人に対し、あるいは仕事に対しても、未だかつて一度も不平を抱いたことがない。
われわれが世に処して行くには、何らかの職務につかなくてはならん。職務について、世に立つ以上は、その職務を本位とし、それに満足して恥じざるように務めることが人間処世の本領である。
いかなる場合でも、何か食うだけの仕事は必ず授かるものである。その授かった仕事は何であろうと、常にそれに満足して一生懸命にやるから、衣食は足りるのだ。
ところが多くの人は、現在困っていながら『こんな仕事で駄目だ』とか、『あんな仕事が欲しい』とか言っているから、いよいよ困るような破目に落ちて行くのである。つまり自分を本位としているからの間違いである。
何か仕事が無ければ、到底独立してゆくことの出来ないものは、仕事を本位とするより外に仕方がないではないか。
そして、仕事を本位とする以上は、その仕事の性質がどんなであろうとも、ただ一心になって、それを大切に努めるばかりである。こうすれば、どこにも、不平の起きるべき原因はない。
よい地位に上がったからといって欣喜雀躍(きんきじゃくやく)するはずもなければ、またその地位が下がったからといって、失望落胆することもない。すべておのれを本位とすればこそ不平が起こり、失望が起こるのだ。
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要するに、自分本位ではなく仕事本位で頑張りなさいということだ。そうすれば不平も起きない。また「自分と他人のサラリーを比較するな」とも忠告している。それも不平のタネになると戒めている。それで不平があるんだったら、会社を辞めて独立しればいいと。期せずして人事異動のシーズン、人生の達人による金言、あなたはどう受け止めたであろうか。
以上、2月26日、是清の命日に記す。
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