時代も場所も違う。
なのになぜか神話には似たものが多い。
中でもキャンベルが注目したのは、神話に数多くある英雄の物語です。
物語の中にある共通のパターンを発見します。
ギリシャ神話と旧約聖書にも共通のパターンが📕
英雄はごく日常の世界から、自然を超越した不思議の領域へ冒険に出る。
そこでは途方もない力に出会い、決定的な勝利を手にする。
そして仲間に恵みをもたらす力を手に、この不可思議な冒険から戻ってくる。
ダンテの神曲も同じパターン📘
英雄たちの「行きて帰りし物語」
彼らは慣れ親しんだ「今ここ」から彼岸の世界、夢の世界へと旅立ち、様々な成果や宝物を持ち帰るのです。
シンドバッドの冒険もそうでつね🐹
ユングの集合的無意識。
我々個人個人が生きている顕在意識、記憶にある意識の下にある無意識がある。
同じように集団の中にも無意識が存在し、その中に共通の原型、パターンがある。
人類という集団の中で、共通の構造、メタファーだったりシンボルみたいなものがあるんじゃないか。
人間が群れとして生きていく上で、基本的には危険な世の中でよりよく生きて行く、成功率を高めるための方法として伝わってきたものなので、ある種人類がこの世界を生きていく上で共通のノウハウとして太古から残ってきた。
宗教の始まりですね🌻
あまりにその人にしか当てはまらないものは、俺には関係ないっつって、たぶんなくなっちゃって、
よりみんなの心を打つように伝承していけば、より、その人間という動物全体の共通の話になっていくんじゃないかというのが、
面白いですね~🐳
これは後にブッダ、お釈迦様になる若き王子、ゴータマ・シッダールタの伝説です。
シャカ族の王子に生まれ、何不自由なく育ったシッダールタは、ある時老人、病人、死人、そして僧侶と出会います。
人はみんな、こんな苦しみを経験しなければならないのかと、シッダールタは出家を決意。
何年もの間世界を放浪したあと、庵に入り、厳しい修行を続けました。
ついにある日シッダールタは菩提樹の下に座りました。
いよいよ悟りを開き、万物の救済をすることになるというその時、
シッダールタ史上最大の試練!
愛と死の神、カーマ・マーラの登場です。
マーラは強大な軍隊を引き連れ、シッダールタに襲いかかります。
この恐ろしい神は象に乗り、1000の手に武器を持って現れた。
しかし「偉大なる者」の心は取り乱すことがなかった。
戦いを終え勝利を遂げたシッダールタは、ついに悟りを開きます。
しかしこの時、ふっと不安を覚えました。
自分の教えは人々に伝わらないかもしれない。
この知恵は自分の心だけにとどめよう。
すると創造神ブラフマーが天頂より降りてきて、神々と人間の指導者になってほしいとブッダに懇願します。
ブッダはこの願いを受け入れ、人々の集まる町へ戻りました。
世界中を歩きながら、「道」という教えの計り知れない恵みを授けたのです。
めでたしめでたしと🦆
基本的に世界各地の神話には、この「行きて帰りし物語」というパターンがまあ見られるので、いろんな土地のいろんな人が、いろんなレプリカを作り続けてきたというふうに言っているんですけれども、
実はこのゴータマ・シッダールタの話は非常に多く取り上げられていて、それだけキャンベルにとっても印象的な事例だったんじゃないかなというふうに思います。
レプリカを作るたびにより美しく装飾され、どんどんどんどん偉大になるパターンも共通🦋
ジョージルーカスは人生における3人のメンターの一人としてキャンベルの名をあげているそうです🐠
現代の神話を作ろう!
ってことで生まれたのがスターウォーズだってー🐳
ハリウッドのストーリーコンサルタント、クリストファーボグラーは「千の顔を持つ英雄」実践ガイドを作った。
これはハリウッドにおけるストーリー開発のフォーマットになっている。
あ、俺、その本読みかじったかも。
千の顔を持つ英雄を目指してたんでしょうか、こんデブは🐖
ハリウッドシナリオ制作バイブルみたいな。
翻訳本まで出ていたとは🐷
この影響を受けてマトリックスやロード・オブ・ザ・リングが作られた。
おとぎ話はみんなそうですよね🐨
キャンベルは晩年こう言っています。
人が根本的な自己存在を探して内面へと向かう旅こそ、私が40年前に書いたささやかな本、「千の顔を持つ英雄」で考察を試みたものです。
英雄の旅の構造は、原始的な部族社会の思春期儀礼に既に先取りされている。
たとえばマサイの少年が成人になるための通過儀礼。
少年はライオン狩りに挑み、勇気と能力を示します。
ああ、ネイティブアメリカンとやらの少年もやってましたね🦩
自分で弓矢を作り、山で一晩過ごす。
カメムシの南米旅行も思春期儀礼だったのかも🦢
この儀礼を通して、子供は子供らしさを放棄して大人になることを強制される。
いわば、幼な子の人格と精神において死に、責任ある大人として蘇るわけです。
これは誰もが経験しなければならない基本的な精神の変身です。
変身でつかー🙀
子供時代の私たちは、誰かの保護と監督に依存しています。
誰かに叱られたり誉められたりしながら、おとなしく依存している存在です。
親に見捨てられちゃったミィちゃんは誰かの保護と監督に依存してなかったような🐕
叱られもせず、誉められもせず、おかげ様で自由を満喫(ᵔᴥᵔ)
この心理的未成熟の状態を抜け出て、自己の責任と自信とに支えられた勇気を持つためには、いったん死んで蘇ることが必要です。
これが普遍的な英雄の旅の基本的なモチーフです。
一つの状態を去り、より豊かな、より成熟した状態に達するために生命の源泉を見つけるということが。
もしそうなら、世を救う華々しい英雄じゃなくても、自分の内部における精神的な旅をしなくてはいけないのでしょうか🐇
その通りです。
そもそも人間は誰でも、誕生の時には英雄だと言いますよ。
羊水の中に住んでいた小さな水生動物が、空気を呼吸し、やがては立ち上がる哺乳動物になるんですからね。
神技と言っていいですね🐢
心理的にも肉体的にも、これはすごい変化です。
見事な変態っぷりですね〜🐛
キャンベルはさらに言います
まだなにか🐒
神話の中には、ヴィジョンの探究といいますか、神からの賜物やヴィジョンを求めて旅立つという型のものがあって、どの民族の神話でも形式は同じです。
自分の世界を後にして深淵へ下っていく。
あるいは遥かかなたへ、あるいは天の高みへ昇っていく。
そしてそこで、自分がそれまでいた世界では意識できなかったものに出会う。
人が根本的な自己存在を探して内面へと向かう旅こそ、私が四十年前に書いたささやかな本、「千の顔を持つ英雄」で考察を試みたものです。
それこそが人生というものです🌹
英雄の旅っていうのは、その人の成長の物語。
もともとはそんなにすごい人ではなかった人が成長していく。
英雄の旅を一人一人の内面が成長していく旅として読んでいくと非常におもしろいんじゃないかなというふうに思うんですね。
英雄と自分を一緒くたにしてしまうパターンですね🐀
こいつにできることは自分にもできる!
本当の自分は世を救う華々しい英雄なのだー🕺
自分一人一人の今の人生を前に進めていく上、成長させていく上で、どういうふうなプロセスで起こっていくんだろうという物語を描けるのかもしれないなというふうに思うんですね。
うわ~
その考え方、すごい刺さりますね。
どのへんが?👼
今自分が辛い時に、これが今戦ってる時期だとすれば、
俺はどこに落ち着いていくべきなのかとか、
あとは子どもの頃にワクワクしてたような英雄像ではなくとも、今までの経験で、自分が人の役に立つのは何なのかなとか、そう考えた時に、
なんでそう考えるのかな?🕵🏻♂️
なんかちょっとサイズとペースを整えることができるような気がして。
何でもかんでも成功率を高めるノウハウにするデブ🐁
ああ、この読み方を自分がとても辛い時に教わってたら、そうした気がする。
お前は催眠術にかかりやすいだけさ🐀
誰もが自分の物語を自分で作っていく生き方をするためのヒントとして活用する。
こういう構造を活用することができれば、それは多くの人にとってのそれこそ恵みになるんじゃないかなというふうに思いますね。
いや~
すごい大賛成だなぁ。
なんかその自分の、まあ僕は伊集院光だけど、
違うね🦏
もともとはシノオカケンって本名があるじゃないですか。
うそー😱
なんかその自分の物語化、自分のシナリオ化をすることで、なんか少し明るいものが見えてくるような気がしますね。
シノオカであれ、伊集院であれ、
お前のシナリオには明るい兆しが1ミリも見えない💀
神話に出てくる悪役または脇役に共通するパターンでつ👾