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didulaの世界

究極の無駄使い

2010-03-05 17:31:08 | 環境

さて、生活の中でしばしばこんなことを考えているのがごく一部の人たちだけなのかなと思うとちょっと辛いですが、多分他にも考えている人が居ると願って書いてみます。
湯沸器と蛇口の距離が遠い人。ちなみに実家のアパートのシャワーも台所もお湯を出そうとひねってもしばあらくお湯が出てこない。シャワーのときはお湯が出ないと話が始まらないないので、じっと待つけれども、洗面所で手を洗おうとするときは、まだお湯にならないうちに手を洗い終わってしまうので、そのまま止めてしまう。そのとき私の頭の中に、今まさにガスが点火され、私のところへ来ようとして作られたお湯が、私の手元へ届く前にストップをかけられ、配管の中にじっと残り、そのまま配管の中で無為にさめてしまう状態がイメージされるのです。そして、このように蛇口から3m以上離れたところにある湯沸器というのが日本全国何百万台あるのか知りませんが、そのすべての場所で同じようなことが毎日何度も何度も繰り返されている。そのためのガスの消費量の総量は。などなど。またお湯をどうしても使いたい人がお湯が出る前に捨ててしまう水の総量は。以前少しでも節水をと思いシャワーの前に出てくる水をバケツにとっていましたが、その量たるやバケツが毎回3杯以上必要で、バケツの数も足りないし、置く場所もない、そんなにしばしば大量の水を使って掃除もしないということでやめてしまいました。たった一つ、空しい抵抗をしているのは、ワンハンドミキサーのタイプの水栓を、お行儀よく中央に向けておくとお湯を使いたい使いたくないにかかわらず、相手はお湯を出す努力をしてくるので、これを必ず右いっぱいに向けておいて、とても使いたいとき以外は、お湯を作ってもらわないようにしています。見た感じきれいでないけれど、この日本全国無意識の究極の無駄使いを少しでも減らすためには、犠牲にされるべき美意識かと思うのです。皆さんいかがお考えですか。


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