ポール・ヴァレリーは明治四年生まれだから、日本の文筆家では田山花袋が同い年。その時代のフランス人と(維新後間もない)日本人の文化的背景を比べるのは大いに無理があるからしない(なら、なぜ書く!)。
ヴァレリーは30歳あたりから第一次大戦が始まるまでの約10年間、傍目には平穏無事な給与生活・結婚生活を送っているように見えた一方その間、文業では、休むことなく書き続けていた(ヴァレリーのアイデンティティたる)思索手帖以外の著述は避ける日々が続いた。その理由については大変長くなるから書かない(なら、中途半端に触れるなッ!)。
多くの日本の親の希望でもある『小市民になる』を人生の目標に置いている私たちとは異なり、ヴァレリーは常に『自分はこれでいいのか』と見詰め、日々、改善の端緒を模索した。
人生をかえりみるのがヴァレリーに何十年も遅れたとしてもいいじゃないか —— 縁側に座り、日向ぼっこをしながら猫の頭を非生産的に撫で、死ぬまでの時間の暇潰しをするよりは...(今時、そんな年寄りっているか? そもそも縁側なんていうのは最近見たことがない)。
人生の暇つぶしには、何か生産的な作業を編み出すのがいい —— しかし、それについて他人の高評価を期待してはいけない。それをしてしまったら、苦い人生をかえりみる意味がなくなる。