現代人は幸せであるのが当たり前のように思うのか、自分が幸福の中にあっても、その有難味に気付くのには中々にして鈍感である。だが、その反対に、不幸とも言えないほどの些細な不運に見舞われただけであっても直ぐに気落ちしがちに見える。
日常に潜む、よくある簡便な幸せにもっと敏感になることが出来たら、今、人生が良い方に変わりつつあると発展的に思えるのではないだろうか。
苦労続きの人生だった老年のオジサンの中には、仕事が終わった後、ひとりの部屋でコンビニ弁当を開くとき、その晩酌のたった一本の缶ビールに幸福を感じられる『達人』が少なからずいるのを知っている。彼には、幸せは毎晩やって来る。