
辻々に胡瓜の馬や茄子の牛
昔、川沿いの村々では、お盆がすむと胡瓜の馬や茄子の牛は藁船に乗せられ、川を下った。それを下流の寺の僧侶達が拾い集め、悪くなった部分を取り除き、刻んで溜まり漬けにしたものを副食物とした。
初期のいわゆる福神漬とは、凡そこんなものだったろう。この話を一例として、これに類する話は日本全国に数多あり、どこが最初に始めたかという問題としては語れない。
明治の頃、日清戦争に勝利した帝國陸軍は次に対露戦を想定し、野戦の最中でも飯さえ炊けば食の進む副食物の研究試作を東京上野の漬物店・主悦に命じる。
野戦用に調味された当初の福神漬の味がどのようなものだったかは不明だが、軍用食としてのそれが日本中の家庭に浸透したのは、徴兵された男子達の、軍隊での食生活が影響している。