きみの靴の中の砂

ポルペッティーネも負けずと大きくなる





 明治40年(1907)に上野公園で東京勧業博覧会があって、庶民でも鹿鳴館式(つまり本格的)フランス料理が食べられたという。さすがにその頃ともなれば、フランス人から直に料理を教わった日本人コックが作っていたと思われるが、『バターを使えば使うほど美味しくなる』という古今フランス料理の基本もまた日本人らしく忠実に守っていたに違いない ------ 明治生まれの人が、度々、『バター臭い』という表現を使って、自分達の味覚に合わないフランス料理の欠点を陰であげつらっていたのを覚えている。

 さて、学生の街・東京神田界隈に日本人好みに味を整えた西洋料理店、いわゆる洋食屋が急速に発達したのは、その勧業博覧会以降明治末年頃までのことという。今も昔も、新しいものを最初に受け入れるのは、年寄りよりも若者だということだ。古い記録を見ると、今も変わることなく洋食の看板を掲げる老舗の定番メニューは、一部を除いて、その時すでに確立されていたのには驚く。

 ところで、その頃のメニューにあって、今はもうお目にかかれなくなってしまったものがある ------ ミンチ・ボールである。ボール型のソース煮込みハンバーグと言えば分かりやすいか。しかし、『なぜか』、ミンチ・ボール改めミートボールは、1970年頃にはその人気の座をハンバーグに取って代わられてしまう。当時、子供達に人気のあったスパゲッティ・ミートボールも時を同じくして姿を消す。

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 イタリア料理好きなら、ミートボールと聞くと、粉チーズをたっぷり振ったポルペッティーネを思い出すだろう。昨今、アメリカではポルペッティーネよりもミートボールの方が、その直径が大きいらしい。だから、ポルペッティーネも負けずと大きくなる。

 湯むきした夏のトマトをふんだんに使ったポルペッティーネを食べさせる、お気に入りのイタリアン・レストランがニューヨークにある ------ ウィリアムズバーグ・ブリッジを渡った先のブルックリン、キャロル・ガーデンズ地区コート・ストリートの『フランキーズ457』。そこへ行けば、日本では見たこともない、大きなミートボールに出会える。




Rita Coolidge / We're all alone


 

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