カミュの『異邦人(窪田訳1954)』の冒頭『きょう、ママンが死んだ』は、なにゆえママンなのか、と考える人は少ない。
昭和29年(1954)当時、母親をフランス語のママンと呼ぶ日本家庭は皆無。英語のママすら、相当高級な家庭でないと子供に使わせなかった。通常は、お母さん、お母ちゃん、母ちゃん。『おっかあ、かかあ』となると、最早お行儀・しつけを云々する界隈以外のことで、落語か江戸時代の昔話などで僅かに使われただけである。
そんな時代になにゆえママンなのか。
カミュが生まれたのは当時のフランスの植民地アルジェリア。育ったのは、フランス人がほとんど住んでいない場末の貧民街、つまりアルジェリア人達が住む街でだった。加えて同居した祖母、叔父、母は全員文盲。
さて、そんな環境で子供は母親をなんと呼ぶか。『お母様』は当然無い。『お母さん』も疑わしい。母ちゃん、お母ちゃんあたりが妥当なところだろう。
窪田訳の初稿では、不自然なママンであったはずはなく、『母ちゃん、お母ちゃん』であったところを版元が「日本人読者は、フランス小説が垢抜けていると思ってるんですから、先生、母ちゃんはないでしょう」と推敲を求めたと思う。だが『母が死んだ』では小説全体のイメージが高級になってしまうと訳者は思ったに違いない。
『ママン』は妥協点であった。
読者が、そこを母ちゃんのイメージで捉えるか、お母さんのイメージで捉えるかは勝手だ。
出来ることならママンは貧乏な家庭の『お母ちゃん』のイメージで読むのが自然だ。しかし、当時の日本の地方は知らないが、東京では福祉が行き届き、少なくとも昭和四十年以降に生まれた読者で、周囲に極貧家庭が目で見て分かるほど多くはなかったはずだ。そんな状況では、植民地アルジェリアの貧民街の環境・背景を想像できないのは止むを得ない。これは、本国フランスでもまったく同じだろう。