水口イチ子さんは神戸の料亭の娘だから、小さいときからのしつけで、料理を作る手順を省くことはない。
中学・高校に入ると、学校から帰って来て「あぁ、お腹が空いたぁ。何かなぁい?」と言ったところで、厨房から『まかない』が自動的に出てくるわけでもなく、何かしら自分で作るよう言いつけられたという。しかも、出来上がりを板場を仕切る父親に試食させる義務を課せられたらしく、美味しくできあがっていないと全部捨てられ、作り直しをさせられもしたようだ。
大人になってからの彼女のその素人離れした腕前は、一流どころで散々宴会ずれした老人世代などからは、もっと家庭的に作りなさいと言われたほどだ。例えば、そういう人達に少しの酒や砂糖を入れて炊いたご飯を試食してもらうと「これは大枚払って食べる料亭の職人のすること...。家では、もっと普通に炊きなさい」などと...。
イチ子さんは、来客をもてなすときのお椀(吸物)とお皿(刺身)に使う素材選びには特に慎重だ。
父親伝授の知識か、「日本料理が日本料理らしさを発揮するのは、お椀とお皿なのよ。特にお皿は、日本料理のメイン・ディッシュだから、お刺し身は、和食ここに尽きるというような素材を吟味しなくてはいけないの」とぼくは何度も聞かされた。なるほど、これにご飯と香の物があれば、確かに一汁一菜の和食の基本形だ。禅寺で供される精進料理や長屋の晩飯であっても、この体裁を踏襲すれば日本の食卓に適うわけだ。
彼女がホーム・グランドとする台所のサービス・カウンターのまわりは書棚になっていて、初めての来客には、よくも料理本ばかりこれだけ集めたもんだと感心されるという。
そのコレクションの中に、フードライターなら必ず隠し持っていると言われる本山荻舟(もとやま・てきしゅう)の『飲食事典』もあって、それを拾い読みしたときに、こんな一文が目にとまった -----『極言すれば、大根、豆腐、刺身の三つさえ不自由しなければ、栄養価から言っても、他の料理など無くても済む。主食としての米の飯にあきないのと同様に、副食物でもっともあきないものは、この三つにとどめを刺す』。1950年代の出版だから、その頃と今とでは人の食の好みに違いもあろうが、言われてみれば「なるほど...」と安直に納得してしまいそうである。
さて、そういうイチ子さんではあるが、料理以外の分野では、『人並み』に付いて行くのは苦労のしどおしであると本音を明かしている。
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