明治が終わろうという頃、若い詩人達は、それ以前の日本の伝統的な定型詩の規範から抜け出し、欧米の自由詩を目指した。しかし、それは、西欧の詩のような語法、用法を持たず、外観だけを似せたものに過ぎなかった。
日本の近代詩は、こういった風土から、模索し、試行錯誤を始めることとなった。
『詩は言葉以上の言葉である(自由詩は言葉以上に意味を持った言葉で書かれる)』 —— これは『月に吠える(1917)』の序の一節である —— センテンスの圧縮に心血を注ぐとき、誰もがこの問題に立ち止まり、考える。
この朔太郎の言葉は、日本の近代詩が胎動を始めた直後に示された永遠のスローガンである。
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