ブーゲンビリアが咲く島の入江の奥に
ブーゲンビリアが咲く島の入江の奥に、今はもう朽ちて廃屋になってしまったボートハウスがあって、かつて盛んだったというシャコ貝採りの家族が暮らした日々が偲ばれます。 ...
都会で春蝉の声を聞かなくなったわけ
きのうの夕方近くのことでしたが、近所の保全緑地で、何年か振りに春蝉が鳴くのを聞きました。彼等にも樹液の好きずきがあるのか、生息域として松林を好むようです。そういう...
きみにオマジナイをかけられたように
まるで思いどおりにいかない日があって、そんな時腹を立てるか、腐るか、気にせず済ませられるかはその日の気分次第 ...
ミネルヴァの夏、またはそのプレリュード
続けること。 ふくらませる場面であっても尚、小さくまとめることに努める。 ...
1979年のアルバム
1979年のアルバム —— やけに古く見える写真もあれば、ついこの間のことのように思い出せるものもある。 ...
なにゆえママンなのか
カミュの『異邦人(窪田訳1954)』の冒頭『きょう、ママンが死んだ』は、なにゆえ...
人目を気にした人生
随分長い間、人目を気にした人生だった。自分で選択したのだから、 なんと言...
なつかしい想い出になる
いつか今日が きっと なつかしい想い出になる 【Chad & Jeremy - Yester...
益々ただ書いて見るだけのこと
絵描きでも物書きでも、普段のペースで仕事ができなくなることがある。よくある、と言ってもいい。そんな時、作家は、人には言わない脱出方法をみんな持ち合わせている。まだ...
油絵の具よりも遙かに厚い
部屋の片隅 —— 立て掛けた油絵のキャンヴァスがいっぱい —— ほぼ完成というものが僅かに何点かあるが、その...