おととい、東小千谷の体育館に大量の毛布が運び込まれた。
これでもかこれでもかというほどに・・。
この体育館は古い。今回の地震で床がべこべこになってしまい、ちょっと歩いただけでも「今の地震?」と思うほどに揺れる。
そんななのに こんなに毛布運びこんで大丈夫なの???
てか、この毛布どうするの?
なんで今ごろこんなに大量に・・・・。
おそらく置き場がなくておいやられたのだと思われる。
体育館の3分の1を占めている。
折角のみなさまのご好意がこんな形になるのは悲しい。
そうかと思えば、近くのテントで避難生活されている方は
毛布を(どなたかに)頼んだのにもらえない・・と苦情を言っていたという。
この体育館では近畿地区方面から応援にかけつけた日赤の救護班が診察したり傷の手当て等を行っているのだが、今運ばれてきた毛布を「ハイどうぞ!」と渡すわけにはいかない。管轄が違うからだ。
一度市をとおしてからボランティアさんなどを通していただくのが早道なのだが、そこのところをどうしていいのかわからない人が多いのではないだろうか。
困ったことがあったら言ってください、といわれても
誰になにを言えばいいのかわからない。だから我慢する。
「困ったこと」が「贅沢」だと考える人もいるだろうし
わざわざボランティアセンターに電話するのも気がひける。
その掛け橋になるボランティアというのが必要だと思った。
また「心のケア」「心のケア」といわれているけれど
ただやみくもにすればいいものではない。
いきなり紙とエンピツをもってツカツカとかけよられ
「どうですか?」ときかれたところで、
「はぁ・・・」としか答えられないよ。
はじめて会った人にすぐに心を開くような心境ではあるまい。
しかも、その人は話だけ2-3分きいたら、せわしなくメモをとったあとに申し訳なさそうに「それではお疲れを出さないようにがんばってください」と言って去っていった。
ケアというのならば、今後も継続して医療スタッフと連携をとるとか解決策を一緒に考えられるような態勢を整えてからでないと、本当のケアとは言えないんではないか?
人に話すだけで楽になる、というけれど
それは同じ被災者同士であったり、本当に自分のことを心配してくれる人、信頼できる人に対してではないだろうか。
やりっぱなしの「ひとりよがりケア」では かえって置き去りにされたような気になる。
ケアする側も「どこまで介入していいか」悩むところだろう。
非情に難しい問題だと思った。