文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

伝説のバー〝ホワイト〟での交友録をコミカライズした 『四谷「H」』

2021-12-22 00:01:18 | 第7章

時宜的な観点から、鋭い切り込みで対象にアプローチした変わり種の人物ニュース漫画を、80年代前半に集中して執筆した赤塚だったが、『ニャロメ紳士録』(「カスタムコミック」80年12月号~82年4月号)のように、赤塚自身の交友録をそのままエッセイ風味溢れる筆致で綴ったタイプの作品もまた、複数存在する。

1982年から「ジャストコミック」誌上で連載開始した『四谷「H」』(82年1月号~12月号)も、そうしたカテゴリーに準ずる、謂わば、赤塚人脈周辺の、夜の社交界の内幕を暴いたルポルタージュ・ギャグ漫画だ。

自身の行き着けでもある四谷のバー「H」を舞台にした漫画を描こうと思い立った赤塚不二夫は、当時、フジオ・プロのチーフアシスタントだったシイヤこと椎屋光則(現・しいやみつのり)に、カメラを渡し、店を取材してくるよう命じるが、実は、このシイヤ君、酔うと人格が豹変する、最悪を絵に描いたような酒乱癖の持ち主だった。

そんなシイヤ君が、各話ゲストとして登場するコピーライターの糸井重里や鉄のゲージツ家の篠原勝之、サックスプレイヤーの坂田明といった常連客に、暴走して絡んでは、こっぴどい目に遭わされるという、お決まりのパターンが、毎回ドラマのフォーマットとなって展開される。

この「H」のモデルとなった店は、各界の著名人が集う店として広く知られていた四谷にある〝ホワイト〟で、前述の人物のほかにも、ほぼ毎回、赤塚と交流の深かった多数の芸能、文化人が蝟集し、シリーズに花を添える。

また、〝ホワイト〟のオーナー兼ママとして、店を切り盛りしていたミーコこと宮崎三枝子も、レギュラーキャラとして活躍し、時には、シイヤの酒癖の悪さをどやし付けながら、本作のヒロイン役を務めた。

多くの芸能、文化人から愛され、絶大な影響力と人脈を誇る女傑として名高いミーコママだけあって、劇中の彼女もまた、チャーミングな笑顔が印象的な、愛嬌たっぷりな女性として描かれている。

恐らく赤塚も、江戸っ子気質で、竹を割ったような性格のミーコママに対し、異性としても、一人の人間としても、純粋なる好意を抱いていたに違いない。

因みに、〝ホワイト〟は、1986年に、四谷から西麻布に移転し、それに伴い、客層もガラリと変わったといわれるが、リニューアルオープンした以降も、キラ星の如くの著名人らが常連客に名を連ね、世代交代を重ねながら、異種文化交流の場としての一翼を担っていったそうな。


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