『ホームレス博士』、校了です。途中いろいろありましたが、おかげさまで無事に、すべての作業が終了しました。さて、その途中のことを「あとがき」に書いていたんですが、なんと残念なことにページ数の関係で半分にカットとなりました。惜しいなと思っていたところ、編集部から全文公開の許可を頂けましたので、ここに本よりも一足早くアップいたします。
アマゾンでの予約も始まりました。
---本では上半分がカットとなっています---
あとがき
入稿を終え、初稿ゲラ待ちをしていた七月半ば頃だったろうか、突如、運営するブログの掲示板が荒らされた。「あなたの名前から察するに出身は寺ですよね? とすれば、いざとなれば自分は寺に逃げ込むつもりなんだ? なんだ結局、(弱者の味方を気取っているが)ようは金持ちのお遊びか」。
すぐに管理を強化したが、その後もこの匿名の人物からの誹謗中傷は続き「削除しても無駄。あちこちに書き込むから」と敵意をぶつけられるに至り、ブログ掲示板は一時閉鎖と相なった。直後に、ウィキペディアも改竄(かいざん)され、その強い悪意に驚いた。
前著『高学歴ワーキングプア』を刊行してから、正直、嫌な目には頻繁にあってきたが、なんとか無職博士問題の解決を訴え続けてきた。だが今回は、さすがに「もうやめようか」とかなり気が滅入った。なぜなら「ポスドク」と偽っていたカキコの主が、実は、とある大学の専任教員だったと知ったからだ。本来、社会に潜む不正義やいわれなき差別を問題視すべき役割を期待される人(大学の先生)が、匿名で人を中傷して喜んでいる姿にはホトホト嫌気がさした。しかも、(天命を知るべき)五十代という立派なご年齢なのに。
大学内に形成されている超格差社会が孕む問題は根深く(もちろん一部にすぎないはずだが)、こんな大学のモンスターをも生み出す始末。それも、強い者が弱い者を叩きまくるという、最悪の構図で。
なぜか?
実は今、専任の地位にある上の世代の先生方は、現在の超競争的環境に生きる若手博士から見れば「ゆとり世代」でしかない。件の「なりすまし先生」も博士学位はなく執筆論文すらほぼなかった。つまり、見方を変えれば、そんな状態で「専任」という特権的地位に就けている、その正当性を疑わざるをえない場面とも言える。
そんな中、これまで若手は曲がりなりにも上の世代に敬意を払ってきた。たとえ奴隷のように扱われても、粛々と仕事をこなし、ご意向にも従ってきた。だが、「もう堪えられない」とばかりに反乱を起こす人たちが現れ始めた。
先の(ちょい悪)先生は、自らの「地位」に根拠など何もないことを悟りきっていたのではないか。だからこそ保身のため、若手の動きを敏感に察知し、その分裂を図るためにいち早く芽を「つぶさねば」と思ったのかもしれない。
二〇〇九年の事業仕分けで「若手研究支援」にいったん「縮減」判決が下ったことをきっかけに、虐げられてきた若手の研究者たちを中心に、業界の雇用改善を要求する声がじわりと大きくなり始めている。公の場での自主シンポも増えてきた。
今年十一月には「日本社会学会」の大会が名古屋大学で開催されるが、そこで若手部会が「ロスジェネに日はまた昇るか?」という企画を予定している。
私にも一言発言せよとの声がかかったので、先日、東大に打ち合わせに行ってきた。いろいろな意見が出されたが、最後にこうひとつにまとまった。
「私たちは『専任になりたい』という理由だけで、行動しようとしているのではない」「少子化による縮小必至の業界を見る限り、もう専任とか非正規とか言い争っている暇はない」と。
それはこういう意味だ。
現在、雇用格差がこんなにも広がった理由は、正規雇用されて〝しまった〟者が過剰なまでに法律で守られ、そのためにしわ寄せを喰う層が生じたからだ。
他の業界と同じように、大学でも四十代以上がこの〝しまった層〟であり、それ以下の世代の多くは非正規雇用である。しかし、いわゆる正社員が中高年ばかりで若手がほとんどいない組織は健全とは言えまいし、国の高等教育の将来展望を考える上でも望ましくないはずだ。減退が明らかなのに、成長時代向けのズレた雇用制度が維持される限り、たとえ自分が専任に上がれたとしても「形を変えて同じ問題は続く」。
そう彼らは考えたのだ。
たとえば今や、全国の私大では定員割れが大きな問題となっている。すでに学生募集を停止した(つまり倒産した)ところもある。これから大学は淘汰の時代を迎えるはずなのだ。
では、そこにいる大勢の先生方はどこにいけばいいのか?
このままだと、今の若手と同じようにホームレス博士になる他ないのである。たとえ元・教授であっても、だ。だからこそ、可能な限り人材の流動性が確保される制度設計が急がれる。十一月の社会学会でもそれが争点となるだろう。
さて、一部の層の固定化は、もう一つ深刻な問題を孕んでいる。それは人権侵害と差別の温床をつくりあげてしまうことだ。
任期付きで助手ポストについていた嶋田ミカさんは、この春、雇い止めにあい提訴に踏み切った。当初は、二期目まで更新するという約束だったのに、それが一方的に破られたそうだ。だけれども、誰の決定でそんな無茶が行われたのか姿は見えないままだ。
非正規雇用の「身分」は、ある日を境に仕事を失うことを合法的に肯定する。一人の人間が、それまで所属していた社会から大した理由もなく存在を消される。これは極めて深刻な人権侵害ではないか。
それでも、正規に雇用されて〝しまった〟人たちの目には「自己責任」と映ってしまう場合が少なくない。非正規は同じ人間ではなく、劣った人間として差別的視線にさらされるばかりなのだ。大学がこんなざまでは、世の中の格差や不平等などまず是正されやしないだろう。若き博士たち一人ひとりに今立ち上がってもらわなければ、もはや残されたわずかな希望すら日本からは失われてしまうはずだ。
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アマゾンでの予約も始まりました。
---本では上半分がカットとなっています---
あとがき
入稿を終え、初稿ゲラ待ちをしていた七月半ば頃だったろうか、突如、運営するブログの掲示板が荒らされた。「あなたの名前から察するに出身は寺ですよね? とすれば、いざとなれば自分は寺に逃げ込むつもりなんだ? なんだ結局、(弱者の味方を気取っているが)ようは金持ちのお遊びか」。
すぐに管理を強化したが、その後もこの匿名の人物からの誹謗中傷は続き「削除しても無駄。あちこちに書き込むから」と敵意をぶつけられるに至り、ブログ掲示板は一時閉鎖と相なった。直後に、ウィキペディアも改竄(かいざん)され、その強い悪意に驚いた。
前著『高学歴ワーキングプア』を刊行してから、正直、嫌な目には頻繁にあってきたが、なんとか無職博士問題の解決を訴え続けてきた。だが今回は、さすがに「もうやめようか」とかなり気が滅入った。なぜなら「ポスドク」と偽っていたカキコの主が、実は、とある大学の専任教員だったと知ったからだ。本来、社会に潜む不正義やいわれなき差別を問題視すべき役割を期待される人(大学の先生)が、匿名で人を中傷して喜んでいる姿にはホトホト嫌気がさした。しかも、(天命を知るべき)五十代という立派なご年齢なのに。
大学内に形成されている超格差社会が孕む問題は根深く(もちろん一部にすぎないはずだが)、こんな大学のモンスターをも生み出す始末。それも、強い者が弱い者を叩きまくるという、最悪の構図で。
なぜか?
実は今、専任の地位にある上の世代の先生方は、現在の超競争的環境に生きる若手博士から見れば「ゆとり世代」でしかない。件の「なりすまし先生」も博士学位はなく執筆論文すらほぼなかった。つまり、見方を変えれば、そんな状態で「専任」という特権的地位に就けている、その正当性を疑わざるをえない場面とも言える。
そんな中、これまで若手は曲がりなりにも上の世代に敬意を払ってきた。たとえ奴隷のように扱われても、粛々と仕事をこなし、ご意向にも従ってきた。だが、「もう堪えられない」とばかりに反乱を起こす人たちが現れ始めた。
先の(ちょい悪)先生は、自らの「地位」に根拠など何もないことを悟りきっていたのではないか。だからこそ保身のため、若手の動きを敏感に察知し、その分裂を図るためにいち早く芽を「つぶさねば」と思ったのかもしれない。
二〇〇九年の事業仕分けで「若手研究支援」にいったん「縮減」判決が下ったことをきっかけに、虐げられてきた若手の研究者たちを中心に、業界の雇用改善を要求する声がじわりと大きくなり始めている。公の場での自主シンポも増えてきた。
今年十一月には「日本社会学会」の大会が名古屋大学で開催されるが、そこで若手部会が「ロスジェネに日はまた昇るか?」という企画を予定している。
私にも一言発言せよとの声がかかったので、先日、東大に打ち合わせに行ってきた。いろいろな意見が出されたが、最後にこうひとつにまとまった。
「私たちは『専任になりたい』という理由だけで、行動しようとしているのではない」「少子化による縮小必至の業界を見る限り、もう専任とか非正規とか言い争っている暇はない」と。
それはこういう意味だ。
現在、雇用格差がこんなにも広がった理由は、正規雇用されて〝しまった〟者が過剰なまでに法律で守られ、そのためにしわ寄せを喰う層が生じたからだ。
他の業界と同じように、大学でも四十代以上がこの〝しまった層〟であり、それ以下の世代の多くは非正規雇用である。しかし、いわゆる正社員が中高年ばかりで若手がほとんどいない組織は健全とは言えまいし、国の高等教育の将来展望を考える上でも望ましくないはずだ。減退が明らかなのに、成長時代向けのズレた雇用制度が維持される限り、たとえ自分が専任に上がれたとしても「形を変えて同じ問題は続く」。
そう彼らは考えたのだ。
たとえば今や、全国の私大では定員割れが大きな問題となっている。すでに学生募集を停止した(つまり倒産した)ところもある。これから大学は淘汰の時代を迎えるはずなのだ。
では、そこにいる大勢の先生方はどこにいけばいいのか?
このままだと、今の若手と同じようにホームレス博士になる他ないのである。たとえ元・教授であっても、だ。だからこそ、可能な限り人材の流動性が確保される制度設計が急がれる。十一月の社会学会でもそれが争点となるだろう。
さて、一部の層の固定化は、もう一つ深刻な問題を孕んでいる。それは人権侵害と差別の温床をつくりあげてしまうことだ。
任期付きで助手ポストについていた嶋田ミカさんは、この春、雇い止めにあい提訴に踏み切った。当初は、二期目まで更新するという約束だったのに、それが一方的に破られたそうだ。だけれども、誰の決定でそんな無茶が行われたのか姿は見えないままだ。
非正規雇用の「身分」は、ある日を境に仕事を失うことを合法的に肯定する。一人の人間が、それまで所属していた社会から大した理由もなく存在を消される。これは極めて深刻な人権侵害ではないか。
それでも、正規に雇用されて〝しまった〟人たちの目には「自己責任」と映ってしまう場合が少なくない。非正規は同じ人間ではなく、劣った人間として差別的視線にさらされるばかりなのだ。大学がこんなざまでは、世の中の格差や不平等などまず是正されやしないだろう。若き博士たち一人ひとりに今立ち上がってもらわなければ、もはや残されたわずかな希望すら日本からは失われてしまうはずだ。
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