水月光庵[sui gakko an]

『高学歴ワーキングプア』著者 水月昭道 による運営
※お仕事連絡メールに一両日中の返事がない場合は再送願います

朝日新聞「専門職エレジー」

2010年09月28日 | 庵主のつぶやき
朝日新聞の朝刊・生活面で、「専門職エレジー」という新シリーズが始まっています。【朝刊・生活面】働く/新シリーズは「専門職エレジー」/資格を取っても低収入、競争激化……
9月21日、28日および10月5日、12日の計4回の連載です。

高いお金と長い時間をかけて、専門的な知識やスキル・資格を獲得しても、世間が想像する姿とは真逆の厳しい働き方を強いられている世界を切り取っています。

本日28日は、「博士問題」についても触れられています。
私もインタビューを受けました。


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『ホームレス博士』 発売初日御礼

2010年09月17日 | 京都ぶらり [書 評]

 みなさまのおかげをもちまして、無事に発売初日を迎えることができました。
 『ホームレス博士』が今後、どのように読まれていくのか、いろんな意味でどきどきしております。

 すでに、尊敬する「5号館のつぶやき」様からも丁寧な書評を頂きまして、いろいろとまた次のテーマについても示唆を頂いた思いで深く感謝しております。貴重なコメントをありがとうございました。個人的には、本書の値段が「777」円となっている意味を深いところで捉えて頂き、とても嬉しく思いました。

 アマゾンでの動きも、初日としては悪くなく、あらためましてご購入いただいた方々に深く感謝申し上げる次第です。

 今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 著者 拝

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『ホームレス博士』 発売記念。冒頭部分、一部公開。

2010年09月16日 | 庵主のつぶやき
*大学院に進学すると……
 携帯電話が鳴り、画面を見ると、大学時代の同級生からだった。着信ボタンを押して耳にあてると、「動けない、助けてくれ」と弱々しい声がする。わけがわからず、とにかく場所を尋ねて探しにいくと、路上にそれらしき人物を見つけた。お腹の辺りを押さえて力なくうなだれている。近づき声をかけると、呟くような返事が一言、「ハラヘッタ」。抱きかかえてみて、その軽さに驚いた。彼は、たしか大学院に進学していたはずだが、どうしてこんなことになったのか。頭は混乱するばかりである。
 事情を尋ねると、彼は恥ずかしそうに語った。修士課程を出た後、就職先が見つからず、パチンコ台の組み立て工場で〝高卒〟と偽り働いていたが、クビになった。会社の寮を追い出され、パチンコやスロットを旅打ちしながら町から町へと渡り歩いていたが、それも行き詰まり、「おまえのいるこの土地にたどり着いた」とのこと。
 仕方がないと思い、一〇日ほど家に泊めていたが、家族の手前、いよいよそれ以上は難しくなってきた。心苦しかったが、意を決して、「出て行ってもらえないか」と頭を下げた。再び大きな鞄を背負った友の後ろ姿を見送るとき、涙が溢れたが、自分にはどうしようもなかった。
 高学歴なのに貧困層に落ちていく、この数年、途切れることのない話の一つである。

 続けてこんなのはどうだろうか。

 キャリアアップを意図して大学院に進学したのに、修了後は仕事がどこにも見つからず、フリーターをする羽目に陥った。
 「君は優秀な研究者になる可能性がある」と大学院進学を強く勧められ、博士課程にまで引っ張られた。だが、博士号を取得したものの、一〇年経っても正規雇用がかなわない。大学院進学を勧めた教員は、「あなたの能力の問題ですよ」と捨て台詞をはき、自分だけ退職金をもらって、さっさと他大学に移っていた。
 「弁護士」になるべく、鳴り物入りで発足した法科大学院の門を叩いたが、卒業を迎える頃、国は「事情が変わった」と突然言い出した。合格率七割という触れ込みだったのに、一回目ですら四割台に低迷。説明を求めると、全国にこの種の大学院が乱立したためであり、責任はないとの一点張り。
 「こんなことなら、仕事を辞めるのではなかった。借金までして勉強しているのに、家族にどう説明すればよいのか。これでは国にだまされたようなものだ」

 今、我が国で「大学院」に進学すると、こんなにも不条理な目に誰でも簡単にあえる。


*非正規の職でも「あればまだまし」
 修士号や博士号などの立派な学位を取得しても仕事に就けず、住居喪失の危機にすら直面する「高学歴・ホームレス予備軍」はねずみ算式に増えるばかり。一九九一年に「大学院重点化」政策がスタートして以来、その総数は一〇万人に達したと言われる。
 ネットカフェや路上は、冗談ではなく彼ら“超高学歴者”の極めてすぐ側まで迫っている。新聞でも警鐘が打ち鳴らされる(「高学歴ワーキングプア 博士の就職難 深刻 院生増加策も受け皿不足」西日本新聞、二〇〇九年八月一三日)。
 正規雇用はまずなく、非正規の職でも「あればまだまし」。四十代・五十代の高齢化した職なし博士も珍しくなくなった。「高学歴ワーキングプア」とも呼ばれ、我が国で最も大きな社会問題の一つにも数えられている。
 近く、その呼称はこう変化するはずだ。

「ホームレス博士」

 我が国ではこの二〇年ほどの間に、政策により博士課程進学者が増やされたが、自ら生産したはずの博士を、政府はなぜか国のどこにも配置しない。作り上げてはただ捨てる。
 人材廃棄場に捨て置かれる博士たちの胸の内は極めて複雑だ。
 世間から「博士なのにね」と冷笑を浴びせられることに怯えつつ、それはもう避けられないだろうと、最下層への転落を覚悟している者も少なくない。いや、すでにどこかの街角に、一人目の「ホームレス博士」が出現している可能性は極めて高い。
 しかし、不思議にも、問題の直接的現場である「大学」や監督省庁であるはずの「文部科学省」は、「自らに責任はない」というスタンスを崩さず、一向に、解決へと動く気配を見せない。むしろ、ひた隠しに隠そうとさえしている。たまに社会から非難の声があがっても、「個人の問題」として決して取り合わない。
 それには一つの理由が考えられる。それがひとたび国民の知るところとなれば、彼らが細心の注意を払って構築してきたものを、すべて失いかねないからだ(後述)。

ホームレス博士―派遣村・ブラック企業化する大学院

9月17日発売!






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高学歴ワーキングプア問題に関心のある方は必見

2010年09月11日 | 庵主のつぶやき
派遣村元村長の湯浅誠氏が新たにはじめた「活動家養成塾」の密着取材番組が放送される。
社会を変えたいと願う「若者養成塾」らしい。

番組には、大学院に進学したが就職に失敗し「塾講師」をする女性が登場するそうだ。
高学歴ワーキングプア問題に関心のある方は必見。


『カツドウカ、社会へ 湯浅誠の若者養成塾』
http://www.ntv.co.jp/document/」

NNNドキュメント 日テレ系:9月12日(日)24:50~

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『ホームレス博士』、来週刊行に先立って一言。大学はまず、博士院生を「あきらめさせる」べきだ。

2010年09月10日 | 京都ぶらり [書 評]
先日、『希望難民ご一行様』(光文社新書)の書評を書きながらふと思った。
「俺たちをあきらめさせてくれ、か。全国の博士院生がもしこの台詞を聞いたとしたらどんな反応を示すだろうか・・」

高学歴ワーキングプア問題にかかわってきてしみじみと感じていることは、学ぶものたちにとって、今は展望が全く見えない世の中であるということだ。だとすれば、彼らがやるべきことは、まずはいろんなことに「あきらめをつける」ことなのかもしれない。そのうえで、しぶとく「学び」続けるしかないのではないか、と先の本を読んでみてそんな思いを強くしている。

大手私大や旧帝大などでは、就職が極めて厳しい状況にある大学院生(博士課程)に対して、やっと重い腰を上げ民間に仕事を見つけるための「キャリア支援」を行うところも増えてきた。が、うまくいっているという話はあまり聞かない。そもそも、お客さん(院生)が集まらないというぼやきもよく耳にする。当たり前だろう。

だって、彼らはまだ「アカデミアに残ること」を〝あきらめていない〟のだから。
大学の先生として残るための〝キャリア支援〟ならば、もしかすると参加者をたくさん集めることもできるかもしれない。だが、大学側がキャリア支援で行おうとしていることは、「大学の外にでること」の提案でしかない。これは、博士院生の心理を全く理解していないと言わざるを得ない。

「ここまで(博士課程まで)来たならば、大学の教員になりたい」。ほとんどの院生の本音はコチラである。

そうした強い思いを抱いている人たちに、「大学の外で仕事を得る方法としてはこんな道もありますよ」と説いたところで、だれも耳などかさないだろう。というか、そんな話、聞きたいと思わないんじゃないか?

でも、このままだと、多くの院生はたとえ博士号をとったところでその資格を活かす場はアカデミアのどこにも見つからない可能性が極めて高い。万一あったとしても、食べていくことを考えると、ほぼ絶望的だ。だからこそ、大学側に今求められていることは、自学で学んだ院生たちをまず「あきらめさせる」ことなのではないだろうか。

丁寧に現状を説明し、そして大学院重点化という流れのなかで自らも過ちを犯したことを認め謝る。そうした態度を示すことで、自学の学生との信頼関係を築き直すことからはじめなければ、いくらキャリア支援といったところでむしろ不信感が増すばかりではないのか。そもそも、自学出身者が「いまどうしているか」を把握している大学もあまりないようだが、こうした態度も、院生たちにいらぬ不信感を与えてしまう遠因となっているようにも思う。

さて、キャリア支援の中身に目を移すと、対象者が主に「現役院生」となっている場合が珍しくなく、実はここも非常に気になるところだ。すでに大学院を修了して、RA(リサーチアシスタント)やPD(ポスドク)で食いつないでいる卒業生だってあまた居るはずだし、そのポストすら見つからずに途方に暮れている博士たちだって少なくない。支援と銘打つなら、こうした卒業生も視野に入れて然るべきではないのか。

大学院志願者に陰りが見え始めるなか、院生の先行きについてもここらあたりで手を打っておかねば「まずいことになる」、という思惑がどうも透けて見えてくるのは私だけの気のせいだろうか。「だからこその〝現役生メイン〟なのではないか」、と訝る学生だって少なからずいるだろう。すでに卒業して行方が分からなくなっている者たちは〝臭いものに蓋〟とばかりに、切り捨て状態が続いている。だが、本当に助けを求めているのは、実は、ここの層がもっとも多いはずなのだ。院生らが自学に対する不信感を微妙に高める要因は、こんなふうにあげ始めるときりがない。

自学の卒業生たちに「なんとしても生き延びてもらいたい」。もし大学側が本気でそう願うのであれば、まずは彼らと真摯に向かい合うことから始める必要があるだろう。もちろん、OB・OGにも声をかけるべきだ。そのうえで、「残念だが大学に(専任教員として)残る道は基本的にあきらめて欲しい」。その代わりといってはなんだが「仕事を見つけるためのお手伝いは出来る限りします」と続けば、少しは耳を傾けてくれる院生たちも増えるのではないだろうか。

表向きのポーズなどそれこそ〝あきらめ〟、大学の真心を学生たちに届けることが急がれる。新入生に対しても、また入学前ガイダンスでも、ぜひそんな姿勢を見せて欲しいものだ。でなければ、大事な卒業生たちを「ホームレス博士」にしてしまうばかりだろう。食い止めるには、もうわずかの猶予もない。

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『希望難民ご一行様』 俺たちをあきらめさせてくれ、と驚きのハードパンチ!

2010年09月04日 | 京都ぶらり [書 評]
 『ホームレス博士』発売まで二週間をきりました。この時期はいつも結構そわそわします。同じ出版社の本の動きなんかも結構気になるところです。8月発売の光文社新書5冊はどれもグッとくるタイトルのものばかりなので、なおさらです。迷いつつ、今回はこの一冊を選んで書評を。


 『希望難民ご一行様』 古市憲寿/著  解説/本田由紀


希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)
古市 憲寿,本田 由紀
光文社

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 生きづらさを抱えながら彷徨う若者たちの姿に、社会や大人たちが戸惑い、時に強く非難する光景は、二一世紀に入る前からも繰り返し見られた。かつても今も、親世代は若者を理解したいがなかなか出来ず、「若者論」はそんな大人たちの不安を静めてくれる貴重な手がかりであり続けてきた。

 だが、若者の〝生きる力〟が減退する理由をなんとなくわかったような気になった後も、どうしたら彼らにこの殺伐とした世の中で〝生き続ける〟力を授けることができるのか、というところで親たちはまだ悶々としていたのではないか。親にとって、そんなふうに少々食傷気味になっていた「若者論」に新たな地平を切り拓く研究者が現れた。古市憲寿。若干二十五歳の当事者でもある著者は、本書で「俺たちをあきらめさせてくれ」と、驚きのハードパンチを繰り出す。

 古市は、現代のことをわざわざ「後期近代」と呼ぶ。社会が成長路線を順調に歩み、すでに確立した仕組みのなかで上手に立ち回れれば(高学歴を手にすれば)、必ず自らの階層も上昇させることができた時代と区別するためだ。もうそれが幻想だと知らない者は現代にはいないはずだが、いまだに「夢をあきらめるな」「やれば出来る」と、社会からは相も変わらず前時代のメッセージ(著者曰くそれはウソだ!)が繰り返される。

 希望などどこを探しても見つからないはずなのに、努力しさえすれば〝大丈夫〟と、社会は本気で若者たちを励まし続ける。たとえ本当のことであっても「〝希望〟はもう世の中から消えたから期待しないでね」とは、大人たちの口からは絶対に言えない台詞だろうから、まあ仕方がない。でもそんな建前社会で生きる若者がどうなっているかは、みなさんの目に映っているとおりである。

 そうした風潮に対して著者はこんなするどい指摘をする。「希望がないことは、本当にダメなことなのか?」。それはこういうことだ。

 希望があると思ってしまうから、若者が欲をあきらめきれず「ここよりも良い場所がある」「今の私よりも輝く私がいるはずだ」、と苦しみ続けるんだよ!。

 そんな希望など、ないほうがいいというわけだ。

 希望があるとへたに思ってしまうと、若者は、今自分が置かれている状況に納得できず「旅」を続けてしまう。しかし、いくら苦しい道のりを歩いてみてもゴールは見えず、結果、難民化する。本書のタイトル「希望難民ご一行様」である。

 「俺を・わたしを諦めさせる!」、そんな装置こそが社会に今必要なんですよ、と著者は声を大にして世間に訴えたいのである。そして、古市は「ピースボート」に乗船したことで、なんとそれを見つけてしまった。格安で世界一周させてくれるこの船では、「世界平和のために」とか「憲法九条を守ろう」といった大きな目的も掲げられており、そうした「共通目的」のもとに集まってくる若者は後を絶たない。熱い思いを抱えながらの船上生活が続くわけだ。ところが、数ヶ月経ち旅が終わりに近づく頃、著者は同世代であろうその他の若者たちの姿に、乗船前とは異なる不思議な様子をみてとったそうだ。

 それは、若者たちのなかに見え隠れしていた〝ムラムラ〟としたものがすっかりオチ、息苦しかったはずの現実社会にたんたんと適応していこうとする姿だった。どうしてそんなことが起こったのか?

 著者は船内での共同生活のある種の心地よさが、彼らを「冷却」していったとみる。仲良くなった者たちのグループは、船を降り下界に戻ってもなくなることはない。ささやかだが確かに心地よい「共同性」への持続的なコミットが、若い人たちのなかにあった〝ムラムラ〟を消し去っていく。

 世界平和も憲法も、そんなのどうでもいい!。 ココの気持ちよささえあれば、それでいいの、と。

 世のオジサンおばさんたちは「それでいいのか?若者よ」と思うかもしれないが、著者によれば「これでいいのだ」。

 なぜなら、彼らは見事に希望を含めたいろいろなことに〝あきらめ〟をつけ、だが、そのおかげで、確かに生き延びる「技」を手にしたのだから。親たちが抱えていた〝悶々〟もこれにて一件落着である。息子や娘は、希望なんかない社会でもこんな「承認の共同体」さえあれば生き延びることができるということがとりあえずわかったのだから。

 夢を見ることがサバイバルへのリスク要因になる時代に生を受けてしまった若者の一人として、著者は同世代に向けて「なんとしても生き抜こう」と本書を通してメッセージを投げかけているようにもみえる。親たちには、だから夢や希望を放棄したオレらを見ても決して嘆かないでね、とも。(まあ放っておいてもヤル奴はヤル、と押さえもちゃんと入れている)

 自殺者が三万人を超え続けるなか、ただ生き抜くことさえ誰にとってもたやすいことではないが、若者はそのなかでも最も厳しい環境にいると言えるだろう。彼ら向けのセーフティネットが全然整備されていないからだ。「解説」でも本田由紀が、とにかく今を生き延びることがまずは大事だと強く主張している。若者を軽視しがちな我が国の政治の現状を踏まえてのことだろう。

 売れているそうだ。

 もう少しだけページを削って百円落としてもらえれば、さらに売れたんじゃないかと思うくらい、勢いのある動き方(売り上げ)のようだ。そこらへん、ちょっと悶々としてます。
 嬉しいことに、軽妙な文章であっさり楽しく読める。本田由紀も褒めちぎっておりました(身内なんだからそんなに持ち上げてどうする、とも思ったが)。オススメ。860円プラス税。

 ちなみに、『ホームレス博士』のテーマとも繋がる部分がある。
 ウチの目次はこうなっています。
 第一部:派遣村・ブラック企業化する大学院
 第二部:希望を捨て、「しぶとく」生きるには


+α 愚僧の指標
Q1 誰に読んでもらいたい?
 → 大学生・大学院生およびその両親・ロスジェネ世代・若者を理解したい方すべて

Q2 どんな効用が見込める?
 → 卒論・修論の切り口やまとめ方の参考になる。 若者の持つ閉塞感への理解が深まる。

Q3 見所は?
 → 引用箇所での遊び。ユーモアたっぷりの一文が添えられることで、その本や論文を書いた人の人物像が見えてくる。これは新しい表現かも。

  

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『ホームレス博士』 いきなり「あとがき」公開

2010年09月01日 | 京都ぶらり [書 評]
 『ホームレス博士』、校了です。途中いろいろありましたが、おかげさまで無事に、すべての作業が終了しました。さて、その途中のことを「あとがき」に書いていたんですが、なんと残念なことにページ数の関係で半分にカットとなりました。惜しいなと思っていたところ、編集部から全文公開の許可を頂けましたので、ここに本よりも一足早くアップいたします。

 アマゾンでの予約も始まりました。


---本では上半分がカットとなっています---

   あとがき



 入稿を終え、初稿ゲラ待ちをしていた七月半ば頃だったろうか、突如、運営するブログの掲示板が荒らされた。「あなたの名前から察するに出身は寺ですよね? とすれば、いざとなれば自分は寺に逃げ込むつもりなんだ? なんだ結局、(弱者の味方を気取っているが)ようは金持ちのお遊びか」。

 すぐに管理を強化したが、その後もこの匿名の人物からの誹謗中傷は続き「削除しても無駄。あちこちに書き込むから」と敵意をぶつけられるに至り、ブログ掲示板は一時閉鎖と相なった。直後に、ウィキペディアも改竄(かいざん)され、その強い悪意に驚いた。

 前著『高学歴ワーキングプア』を刊行してから、正直、嫌な目には頻繁にあってきたが、なんとか無職博士問題の解決を訴え続けてきた。だが今回は、さすがに「もうやめようか」とかなり気が滅入った。なぜなら「ポスドク」と偽っていたカキコの主が、実は、とある大学の専任教員だったと知ったからだ。本来、社会に潜む不正義やいわれなき差別を問題視すべき役割を期待される人(大学の先生)が、匿名で人を中傷して喜んでいる姿にはホトホト嫌気がさした。しかも、(天命を知るべき)五十代という立派なご年齢なのに。


 大学内に形成されている超格差社会が孕む問題は根深く(もちろん一部にすぎないはずだが)、こんな大学のモンスターをも生み出す始末。それも、強い者が弱い者を叩きまくるという、最悪の構図で。



なぜか?


 
 実は今、専任の地位にある上の世代の先生方は、現在の超競争的環境に生きる若手博士から見れば「ゆとり世代」でしかない。件の「なりすまし先生」も博士学位はなく執筆論文すらほぼなかった。つまり、見方を変えれば、そんな状態で「専任」という特権的地位に就けている、その正当性を疑わざるをえない場面とも言える。

 そんな中、これまで若手は曲がりなりにも上の世代に敬意を払ってきた。たとえ奴隷のように扱われても、粛々と仕事をこなし、ご意向にも従ってきた。だが、「もう堪えられない」とばかりに反乱を起こす人たちが現れ始めた。

 先の(ちょい悪)先生は、自らの「地位」に根拠など何もないことを悟りきっていたのではないか。だからこそ保身のため、若手の動きを敏感に察知し、その分裂を図るためにいち早く芽を「つぶさねば」と思ったのかもしれない。


 二〇〇九年の事業仕分けで「若手研究支援」にいったん「縮減」判決が下ったことをきっかけに、虐げられてきた若手の研究者たちを中心に、業界の雇用改善を要求する声がじわりと大きくなり始めている。公の場での自主シンポも増えてきた。

 今年十一月には「日本社会学会」の大会が名古屋大学で開催されるが、そこで若手部会が「ロスジェネに日はまた昇るか?」という企画を予定している。

 私にも一言発言せよとの声がかかったので、先日、東大に打ち合わせに行ってきた。いろいろな意見が出されたが、最後にこうひとつにまとまった。

「私たちは『専任になりたい』という理由だけで、行動しようとしているのではない」「少子化による縮小必至の業界を見る限り、もう専任とか非正規とか言い争っている暇はない」と。

 それはこういう意味だ。

 現在、雇用格差がこんなにも広がった理由は、正規雇用されて〝しまった〟者が過剰なまでに法律で守られ、そのためにしわ寄せを喰う層が生じたからだ。

 他の業界と同じように、大学でも四十代以上がこの〝しまった層〟であり、それ以下の世代の多くは非正規雇用である。しかし、いわゆる正社員が中高年ばかりで若手がほとんどいない組織は健全とは言えまいし、国の高等教育の将来展望を考える上でも望ましくないはずだ。減退が明らかなのに、成長時代向けのズレた雇用制度が維持される限り、たとえ自分が専任に上がれたとしても「形を変えて同じ問題は続く」。

 そう彼らは考えたのだ。

 たとえば今や、全国の私大では定員割れが大きな問題となっている。すでに学生募集を停止した(つまり倒産した)ところもある。これから大学は淘汰の時代を迎えるはずなのだ。

 では、そこにいる大勢の先生方はどこにいけばいいのか?

 このままだと、今の若手と同じようにホームレス博士になる他ないのである。たとえ元・教授であっても、だ。だからこそ、可能な限り人材の流動性が確保される制度設計が急がれる。十一月の社会学会でもそれが争点となるだろう。

 さて、一部の層の固定化は、もう一つ深刻な問題を孕んでいる。それは人権侵害と差別の温床をつくりあげてしまうことだ。

 任期付きで助手ポストについていた嶋田ミカさんは、この春、雇い止めにあい提訴に踏み切った。当初は、二期目まで更新するという約束だったのに、それが一方的に破られたそうだ。だけれども、誰の決定でそんな無茶が行われたのか姿は見えないままだ。

 非正規雇用の「身分」は、ある日を境に仕事を失うことを合法的に肯定する。一人の人間が、それまで所属していた社会から大した理由もなく存在を消される。これは極めて深刻な人権侵害ではないか。

 それでも、正規に雇用されて〝しまった〟人たちの目には「自己責任」と映ってしまう場合が少なくない。非正規は同じ人間ではなく、劣った人間として差別的視線にさらされるばかりなのだ。大学がこんなざまでは、世の中の格差や不平等などまず是正されやしないだろう。若き博士たち一人ひとりに今立ち上がってもらわなければ、もはや残されたわずかな希望すら日本からは失われてしまうはずだ。

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ホームレス博士―派遣村・ブラック企業化する大学院

ただいま予約受付中




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