水月光庵[sui gakko an]

『高学歴ワーキングプア』著者 水月昭道 による運営
※お仕事連絡メールに一両日中の返事がない場合は再送願います

産総研が若年研究人材を募集中

2009年06月30日 | 庵主のつぶやき
平成21年度補正予算「若年研究人材の正規就業支援事業」の契約職員追加募集

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本サイトについて

2009年06月26日 | 庵主のつぶやき
旧ブログ名「博士の道しるべ」

2008年春、全国の私立大学に先駆けて、「高学歴ワーキングプア」問題について、若手研究者と大学教員および大学運営者らとの間で討論を行う場が、立命館大学に作られました。

「博士の生き方討論会」です。

本会には、大学運営サイドから長田豊臣理事長に代表して出席頂きました。この企画を行ったのが、水月昭道と橋口昌治でした。

本blogは、当時、この企画の案内と報告を行うために「博士の道しるべ」という名前で立ち上げられました。高学歴ワーキングプア問題を広く扱うブログとして、現在も日々、精進致しております。当初の運営体制は、第一回博士の生き方討論会へ参加した関西在住の博士たちによって行われていましたが、現在は「水月昭道」が管理人となっています。当問題に関心のある方のお役にたてましたら幸いです。

2010年06月26日
【管理人】水月昭道 拝   

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「自己責任」などくそくらえ

2009年06月24日 | 庵主のつぶやき

世の中に、自己責任なんて言葉が猛威を振るうようになって、まこと窮屈になったもんだと思う。仕事がないのは「自己責任」。住む家がなくなっても「自己責任」。資産を失ったら「自己責任」。就職できないのも「自己責任」。なんでもかんでも自己責任。。


湯浅誠は、こんな自己責任一辺倒の世の中に、もの申す。
「自己責任と言ってる人だって、そもそも家族や社会や同僚といった誰かの支えを受けて生活をしているはずだ。そういう意味では、ホームレスの人たちのほうが、よほど自己責任での生活を全うしている。なぜなら、誰にも頼らず、社会のどんなシステムや制度からも離れ、自分一人で生活をしているのだから」


自己責任を究極の所まで突き詰めた人たちがホームレスの人たちである、という湯浅の視点は斬新であるだけでなく、そこに深い「愛」が見え隠れする。私たちは、人と人との関わり合いのなかで生かされている。この当たり前のことを、「自己責任」という言葉は見えなくしてしまう。


困ったときはお互い様。袖すり合うも多生の縁。人の世は、こうした愛と助け合い、そして不思議なご縁があってこそ満ち足りるのではなかろうか。自己責任と言って、「人」を何もかもから切り離して独りぼっちにしてしまうような社会には〝No〟を表明し、慈愛に満ちた人の世をもう一度取り戻す「言葉」を紡ぎ出すことが今こそ必要だろう。私たちの社会に、今、最も足りていないものは、「愛」の一文字ではないのか。だからこそ、日曜の夜のアノ大河ドラマに人々は惹かれるのだろう。無いからこそ欲しくなる。人の持つそんな複雑な気持ちが視聴率に現れているのかもしれない。


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就活してますか

2009年06月21日 | 庵主のつぶやき
こないだ、博士課程の院生にこんな質問されました。

「最近、メインでやっている仕事は何ですか?」

頭痛がおこる質問です。
ほっとけちくしょうです。
われわれ若手研究者がこの時期やることは一つしかありません。

「バカヤロー 就活に決まってるだろ!!!」




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世界同時、高学歴ワーキングプア

2009年06月16日 | 庵主のつぶやき
世界同時「就職氷河期」、大学は出たけれど 読売新聞 2009/06/16

経済危機で、どこの国も若者の就職難が問題になっているようです。

一流大学卒でも就職がない → で、いくとこないので、大学院進学が増えているそう。

(大学院に)ひっぱられて(勧誘されて)いないだけまだまし、かもしれないが。。どこかの国でかつて起こったことと、とっても似てます。

異なっているのは、どこの国も政府が若者の雇用対策にやっきになっているところだろうか。一方、我が国では、自己責任。

我が国では、「博士号」を持っている人がすでに5万人ほど飯を食うのも苦しい状況。
これは自然発生ではなく、政策的につくりだされたのであるが、自己責任といわれる。
当然、ほとんど何らの支援もなく、若い博士たちはいつのまにやら姿が見えなくなっている。

こうして問題が自然消滅してくれれば、「問題なし」ということなのかもしれない。




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高学歴ワーキングプア 続編の進捗について

2009年06月15日 | 庵主のつぶやき
現在、二冊書いてます。

ひとつは、光文社新書から。もうひとつは、中公新書ラクレから。
光文社は入稿済みですが、中公ラクレは現在ラストスパート中です。

どちらもご期待ください。秋口、刊行の予定です。
なお、タイトルなどはまだ先になりますが、決まり次第、ここで第一声をあげたいと思います。


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誰かの犠牲の上になりたっているもの

2009年06月12日 | 庵主のつぶやき
なんと年収1300万円も!有名私大職員「高すぎないか」 Jcastニュース

すごいですね。職員さんの年収。45歳で1250万円(関西大学の場合)。35歳でも、956万円(明治大学)。

ちなみに非常勤講師の場合、90分間の講義を週一コマ×4回/月をこなして、月額約3万円なり。
大学が開講する半数近くの科目を担当しているはずなのに、この先生たちの現実は厳しすぎるものがあります。
ニュースになるような高額所得者がいる大学という場所に、実は、何十人もの(百人あるいは二百人以上の場合も珍しくない)学生を相手に講義を行いながら、年収二百万円以下の生活を送らざるを得ない博士(先生)たちも膨大数いるという、この不思議ワールド。

大学というところは、実は世間以上に超格差社会なんですね。



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高学歴女子が「専業主婦」狙いのわけ

2009年06月10日 | 庵主のつぶやき
なぜ、20代高学歴女子は「専業主婦」狙いなのか (プレジデント6月10日(水) / 経済 - 経済総合)


Yahooニュースのトピックスに「高学歴女子の夢は専業主婦?」というのを見つけ、「高学歴ワーキングプア」の女性研究者の生活に注目してインタビューでもしたのかと思ったが、ちょっと違った。

確かに研究職を視野に入れつつ就活を行っている東大の大学院生(リカさん 26歳)にも話を聞いていたが、別に高学歴ワーキングプア問題についての絡みはなく拍子抜け。

話の筋としては、「キャリアではなくお嫁さんにあこがれる〝20代〟高学歴女子」を紹介しつつ、その理由を「かつては誰でもなれた専業主婦が今の時代はレアケースになったから」と分析し、「専業主婦になることこそが20代女性のステータスとなっている」とまとめられていた。

背景には、「男女雇用機会均等法施行後20年以上たっても一向に改善されない女性たちの働く環境」(白河桃子)、などが挙げられていたが、次は是非、大学院博士問題という視点からも探ってみていただきたい。たとえば上記のリカさんなら、一体どんな答えを返してくれるだろうか。

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日本社会に博士は本当にいらない?

2009年06月09日 | 庵主のつぶやき
昨日の日記に関連して

1億円かけてフリーター 大学院生「今の半分で十分」 Jcastニュース

再び問いたい! 「博士を減らすべきだ」という主張の根拠は?

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博士を減らせ←に正義はあるか!

2009年06月08日 | 庵主のつぶやき
いままた、城繁幸さんが面白い。

なにが?って、思いもよらない毒舌ぶりが、たまらなくいい!

大学院に対してもバッサリだ。

もう大学院なんて潰したほうがいい  城繁幸 J-cast会社ウォッチ

名著『なぜ若者は3年で辞めるのか?』では、たんたんとした語り口で静かに、しかし我が国に横たわる年功序列という根深い問題をズバッと切っていくスタイルに惚れ込んだが、現在「J-cast会社ウォッチ」に連載中の記事では、一転して過激な突っ込みが満載で、しかもそれが考えさせる味のある笑いを誘ってくれるから記事を読むのが楽しくなる。

城氏は、現在の大学院に対して不要論さえ唱えるが、その論拠が見事だ。
年功序列、新卒至上主義のシステムのなかでは、27際になる博士修了者などまったく見向きもされないのだから、旧帝大あたりをのぞいて大学院はなくなってもよいのでは?と鋭く指摘する。
こんな世の中では、勉強したいと思っていても、それを追求して博士にまで到達した瞬間、つぎにはワーキングプアの道が待っているだけだし、最近では博士の就職に500万円の補助金をつけるなどということが文科省から発表されたが、これって「学びを極めたことが失点としてカウントされてるんだろ、ようするに」と、バッサリなのだ。

この視点のするどいところは、「質の問題」などということに一切ふれないところにある。

よく、博士が増えすぎたせいで質が落ちた、だから数を減らせなどと、何の根拠も示さず雑なことをまことしやかに言う輩がいるが、城氏はこんなつまらない論にまったく与しない。きっと、それが問題の本質ではないと見抜いているからだろう。

博士の数を減らしたほうがいいという時に、なにをもってそれが正しいと言えるのかということは、本来もっと丁寧に議論されるべきだが、これまでは、毎度のごとく表面的なところでの誤魔化しの論法が繰り返し用いられてきた。

くだらない「質」の論議はもううんざりだ。

我が国では、学びを極めたとしても、それが社会的な評価には全く繋がっていないのである。それだけでなく、国家としての高学歴者生産をいかなる戦略のなかに落とし込んで推進しようとしているのかさえ全く見えない。

だから、「博士なんてそんなに必要ないじゃん」なんていう意見さえ、方々から出てくる始末である。

しかし、本来、社会のなかに「数多くの高学歴者が存在する」ことは、社会そのものの質を豊かにするということに直接・間接に貢献する歓迎すべきことのはずだろう。ただし、それは彼らが〝ある程度〟活躍できる土壌があってのことであるが。現状では、博士を活かす道筋が、アカデミアという場所以外に全くないのが、この国の実態である。

その大学の先生は、全国で、17万8千人あまりおられる。もちろん、専任教員の数だけでである。
これを少ないととるか、多いと考えるか。ちなみに、私立大学の多くでは、開講されている科目の約半数は、専任の先生ではなく非正規雇用の非常勤の先生が担当しているという実態もある。それを考えると、正規雇用の先生はやはり大学の規模からすれば、数的にはかなり少ないといってもよいだろう。

だから増やせなどというつもりも毛頭ないが、博士という人材をココだけでなく他にもっと生かして使えるのなら、いちいちこんなことを指摘しなくともすむのになぁとは思う。私見だが、大学の先生など、逆に限られた数さえいればよいとも思うのだ(今はまだ少なすぎると思うが)。むしろ、その何倍もの人たちが社会のなかで、そのチカラを存分に発揮できることのほうが、豊かな市民社会を長期的に構築していくうえからは重要かつ必要となるはずだ。

すでに、その日に向け気力・体力・知力をバランスよく鍛え待機している博士たちは、大勢育っている。
この人材をいかにして生かして使うか。質がどうのなどという前に、こうしたことこそをもっと議論すべきではないだろうか。

東大出身の博士でさえ、就職率40%台という現実。そして、それほどの社会問題を前にして、就職できない博士を指さして〝悪口〟をいうようなことをしていても意味はあるまい。日本全体を覆う危機をいかにしたら乗り越えられるのか、そうした方向でこそ議論は行われるべきだろう。

城氏は、それを皮肉を混じえながらも丁寧に教えてくれているのだ。

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