水月光庵[sui gakko an]

『高学歴ワーキングプア』著者 水月昭道 による運営
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第四話:日本の大学院は金がかかりすぎる

2010年07月19日 | 庵主のつぶやき


□□09月16日までの限定でお届けします(毎週土曜日+α更新)□□
これは、私がまだ大学院生だった頃、日々のストレスのはけ口として、当時運営していたHP上で綴っていたものです。データを整理していたら、たまたま出てきたため、再活用できないかと検討してみました。

見直してみると文章の荒さが目立ちましたが、一般の人たちに、我が国の大学院の現状を知ってもらうには、もしかすると、こういうテキストのほうが楽しんでもらえるのかもしれない、と思った次第です。そんな訳で「恥をさらしてみるか」と腹をくくってみました。テキストには手直しを入れ、少しはマシにしてみたつもりです。

今月発売予定だった『ホームレス博士(仮)』(光文社新書)が9月16日にずれ込んだこともあり、お詫びの気持ちを込めまして、発売日までの二ヶ月間限定という形で恐縮ですが毎週土曜日に更新したいと思います。

では、さっそく、第一話から以下に復活。ご笑覧ください。
□□なお、この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。□□


第四話:日本の大学院は金がかかりすぎる


---前回までのあらずじ ここから----------
飲み会の席で、自分だけ置いてけぼりをくらったような気分になり、楽しむつもりが憂鬱になったシンジ。

支払いの段階で、さらに打ちのめされる。しっかりとした給与や社会保障、ボーナスを手にする同級生と、未だただの学生に過ぎない自分の、社会的立場の違いを思い知らされる。

自分の心を守るため、シンジは自意識を肥大化させていく。
---前回までのあらずじ ここまで----------

飲み会の翌日、シンジは研究室にいました。
昨晩、トモがクレジットカードで支払いをしている風景を思い出しながら、我が身の不自由さを再び痛感していました。そして、それは先輩方の人生にも想像を巡らせるきっかけとなりました。

研究室の先輩のタナカさんは、ことし博士3年になります。優秀と評判で、ストレートでここまで来ました。ですので、年齢は27歳です。この世界での最短コースを歩んできたといえるでしょう。

「でも、世間は驚くだろうな。27歳といえば、トモたちにはきっともう役職がついて後輩社員だってできている頃だろう。先輩は頭がいいといわれていても、所詮学生だもんな」

シンジは、昨日の出来事以来、自分の将来像をできるだけリアルに想像しようと試みていました。

「この後、タナカさんはどうするつもりなのだろう。あれだけ〝出来る〟と言われていながら、先のことは何も聞こえてこないし・・」

所属の研究室は、日本でも上から数えたほうが早いと言われる、いわゆる「良い研究室」でした。しかし、博士課程の人たちを見れば、なかなか就職は大変そうです。正規雇用された先輩は、ほとんどいないのです。

タナカ先輩は、大学院生ですが非常勤講師をしていました。
大学の先生として就職するためにはいわゆる「教歴」が必要です。そのために、研究室が伝統的に講師を送り込んでいた子分校に週に一回のペースで派遣されていました。月収は2万5000円です。

「これじゃ、文献代の足しにもならないよ」
先輩は、給料日の後、明細が書かれたぺらぺらの紙を振りながら、おどけた調子でいつも後輩にぼやくのです。

派遣先の大学では、きっと「先生」と呼ばれているはずです。学生からも尊敬の眼差しを得ているのでしょう。ですが、「実態は悲惨そのものだな」、とシンジはその姿を見ながらいつも若干の哀れみを心に浮かべます。

「俺もああなるのだろうか」

大学院にまとわりつく先行きの不透明感は、そこにいる全ての院生たちの心をしばしばどん底に落とします。

そもそも我が国の大学院は、あまりにも金がかかるところなのです。
たとえ国立でも学費は約54万円、私立であれば100万円程度は当たり前です。加えて、院での研究活動に際しては、実験調査費や謝礼、文献代、学会の年会費に旅費、論文の審査料、とあげはじめたらきりがありません。国際学会での発表などに行ったら、軽くウン十万円が飛んでいきます。これに、アパート代や食費などがかかってくるわけですから、多くの院生は悲鳴を上げ続けています。

到底、家庭からの援助だけではやっていけないので、院生はバイトなどいろんな手立てで金を稼ぐことに勤しみますし、奨学金を借りる人などもおのずと多くなります。

タナカ先輩も、そうした一人でした。

「先輩はもしかすると今、懐がとても苦しいのかもしれない。給料日に見せるあのパフォーマンスは、首が回らない状態への精一杯の抵抗なのかも」

シンジは、博士課程の院生の多くがあまりにも元気がない状態と重ねあわせながら、心のなかで理由をそう分析してみせるのです。

試しに、大学院生活を修士から博士課程までの5年間、奨学金を借りて過ごした場合いくらになるかを頭のなかで弾いてみると、簡単に600万円ほどにもなりますから、シンジはシビアな現実に恐ろしくなってしまいました。

しかも、これらは基本、貸与式です。表面上は「奨学金」などという綺麗な名目ですが、実態は結構な利息が付けられているわけです。しかも、審査もなく、学生の将来における支払い能力など全く分析されることもなく、誰にでも貸し付けられます。

シンジは最近読んだ新聞の記事を思い返していました。
奨学金の返済が滞り、このままでは貸し付けの運営が将来的に困難になってしまうというような内容でした。

「だけど、それは少し違うんじゃないか?」
600万もの金をあまりにも簡単に貸し付け、あまつさえ利息までとる「営業」の仕方こそ問われるべきではないのか。シンジは、まだまだ発展途上のダメ院生でしたが、身のまわりに起きている社会問題について、考えをめぐらせる時間をだんだんと持つようになっていました。


つづく



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第三話:欠けた満月が心に宿るとき

2010年07月17日 | 庵主のつぶやき

□□09月16日までの限定でお届けします(毎週土曜日+α更新)□□
これは、私がまだ大学院生だった頃、日々のストレスのはけ口として、当時運営していたHP上で綴っていたものです。データを整理していたら、たまたま出てきたため、再活用できないかと検討してみました。

見直してみると文章の荒さが目立ちましたが、一般の人たちに、我が国の大学院の現状を知ってもらうには、もしかすると、こういうテキストのほうが楽しんでもらえるのかもしれない、と思った次第です。そんな訳で「恥をさらしてみるか」と腹をくくってみました。テキストには手直しを入れ、少しはマシにしてみたつもりです。

今月発売予定だった『ホームレス博士(仮)』(光文社新書)が9月16日にずれ込んだこともあり、お詫びの気持ちを込めまして、発売日までの二ヶ月間限定という形で恐縮ですが毎週土曜日に更新したいと思います。

では、さっそく、第一話から以下に復活。ご笑覧ください。
□□なお、この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。□□


第三話:欠けた満月が心に宿るとき


---前回までのあらずじ ここから----------
せっかく大学院に入院したものの、待っていたのは金を払っての雑用ばかり。
気分をかえるために、かつての同級生と飲みに行ったシンジは、皆の成長ぶりに驚く。

その訳を考えると、大学院には民間にみられる新人研修のような人育てのシステムがないことに行き着いた。

自分だけが置いてけぼりをくらっているようで憂鬱になるシンジ。
---前回までのあらずじ ここまで----------


「タマキ、なんだが綺麗になったな。それにえらくしっかり者になってるし」
ほろ酔いの頭でかつての同級生を微妙に意識しながら、シンジは、飲み屋での思いもかけない展開にも少々戸惑っていました。

置いてけぼりをくらったような焦り。
「自分はどうなるんだろうか。もしかして、間違った進路選択をしてしまったのか?」

つまらない考えにとらわれていると、「そろそろ、お開きにしようか」とどこからともなく声が上がりました。

裾のすり切れたズボンから財布を取り出し、幹事のトモからの請求を待っていると「あ、シンジは学生だからいいわ」と右手を前にして遮られ、びっくりします。

「あ、いや、でも俺だけっていうのも悪いし」
「いいから、いいから。俺たちボーナスも一応出たしな」

何気ないこの一言がシンジの気持ちを重くするさらなる一撃となりました。

「そうだよな。皆はもう社会人だもんな。よく考えると俺だけ学生か・・」

この国で「大学院生」という役割を演じなければならない境遇の惨めさが急にこみ上げてきた瞬間でした。

「研究者を目指すっていうのは、こういうことなんかな。教授も同じ道をたどったのだろうか? 一体どんな気持ちだったんだろう」

指導教官など、修士課程に入りたてのシンジには、まるで想像もつかない雲の上の人なのですから、これは途方もない難題でした。頭のなかで、先生の人生についてなんとかパズルをくみ上げようとしましたが、どうにもうまくいきません。

もやもやとした気持ちを抱えているシンジの傍らで、トモが手際よく皆からお金を徴収していました。札束を自分の財布のなかにしまい込み、代わりに、クレジットカードを取り出しているところでした。

就職してすぐに作ったようです。
学生の身分では、カードを持つのも大変ですから、シンジはこの瞬間、またも不安定な自分の社会的立場を思い知らされるのです。

友達が余裕の表情で支払いをしてくれている側で、複雑な思いを抱えて様子を眺めるシンジ。内心ではちょっと嬉しく、「今月は文献買っちゃったから、金なかったんだよな。まじ、助かった」などと思っている小さな自分が同居していました。

でも片方では、負けを認めたくない気持ちもあったのです。
自らの心を守るべくシンジは自意識を肥大化させはじめていました。

自分は社会の発展に寄与するために研究の道を選んだのだ。
連中と同じように就職してたら、別に金に困る生活を送ることもなかったはずだが、選ばれし者の宿命だからまあ仕方がない。
「10年後には博士になって金も入っているだろうし、今日はありがたくゴチになっとくか」

惨めな気持ちに落ちることへのささやかな抵抗でしたが、なんとも悲しい限りとはこのことです。トモはなんとなくシンジの胸中を察知したようです。「将来出世するだろうから、そのときはおごってもらうからな」とメンツを立て、彼に笑顔を取り戻してあげながら店を後にしたのでした。

夜空には月が出ていました。しかし、どこか変に見えました。目に見えない程のわずかであっても、端っこが欠けた円には微妙な違和感を感じるものです。トモの後ろ姿を見送るシンジの笑みの裏には、そんな不完全な満月が宿っていたのでした。


つづく



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大学を苦境に追いこむ、自ら作った身分制度

2010年07月14日 | 庵主のつぶやき
このところのワールドカップや大相撲賭博、参院選など大きな出来事の陰に隠れ、私たち研究に携わるものにとって、大事なニュースが少し軽く扱われていたかもしれない。

2010年7月8日の産経ニュースの見出しにもう一度注目してみたい。
文科省SOS 運営費交付金など削減なら「阪大・九大消滅も」

6月に閣議決定した「財政運営戦略」によれば、今後3年の間は「基礎的財政収支対象経費」は前年度を上回らない方針だという。つまり、交付金はこれまでと同じかそれ以下しかもらえないわけだが、現実には水準維持は難しいらしい。社会保障関係経費が増えることで、しわ寄せがくるという理由からだ。

とばっちりにより、どの程度の予算の減額になるかを文科省が試算した。すると、削減額は約927億円。その影響を規模に表すと冒頭の九大・阪大消滅、となるそうだ。

すでに、国立大学法人32大学理学部長会議が緊急声明を発表し、「予算削減は、国の将来を担う人材育成の上からも、あるいは科学技術立国の観点からも悪影響をもたらし、我が国の繁栄を阻害する」と危機感をにじませている。

しかし、結論から言えば、こうした大学側の危機感は、政府にも国民にもあまり伝わらないだろう。

一つには、我が国には大学が多すぎる、そんなイメージも関係するかもしれない。
国公立と私立をあわせると、設置数は750校あまりにものぼる。
小さな国のなかにこれほどの数の高等教育機関があることには驚くばかりである。
「(全体として)少し減ってもしょうがない」、そんな声が国民の胸の内に湧いてきても不思議ではない。私大の半数は、もう定員割れをしている現実もある。

地方国立大学の存在感や存在意義に対する視点も無視できない。
はっきりいって、これらの大学が社会に対してどんな役割を果たしているかは、多くの国民にはほとんど見えていないはずだ。

これまで、大学側が自己について外に語りかけることをほとんどしてこなかったこともあろうが、象牙の塔と揶揄される時代を長く経てもなお、未だ市民に開かれた場所と言われるまでにはなりえていないこととも関係しているだろう。

塀の向こう側で何が行われているのかを、市民は知る術も近づくルートも持たないのである。独立行政法人化以降の業績主義の流れがそれを更に悪化させている。

かつてであれば、日も暮れれば大学近くにある居酒屋の類は教員や学生で大賑わいであったはずだが、いまやこうしたお店はどんどんと元気を失いつつある。
教員たちが、忙しくなりすぎて飲みに行く時間すらも失いつつあるからだ。いつも一緒に連れてこられていた学生も必然的に激減する。

だが、飲み屋に大学人が集まらないという事態は、お店だけの問題では終わらないのだ。アルコールが入れば、そこでさまざまな交流だってあったはずで、市民と大学人とを結びつける役割は、実はこうしたお店が担っていたはずなのだ。それも急速に失われているということだ。これも、大学に交付する助成金を減らし、必要以上に過当な競争と人件費のコストダウンを強いる政策の副作用である。専任教員は、進めたい研究にも満足に時間がさけず、校務などの雑用ばかりに搦め捕られている。

事態の打開には、大学にいる人たちが一致団結して外に苦境を語っていくことが大事だろうが、そこにも大きな壁がそびえ立っている。

人件費コストの削減は、正規雇用者の新規採用を極端に抑制し、非正規雇用者を急増させたからだ。現在、正規の教員は概ね17万8000人程度。そのうち、教授や准教授といったある年代(概ね40代)以上がつくポストは約6割にものぼる。だから、大学内にあまり若手の専任教員はいない。

だが、人手は足りないから、そのままにしてはおくわけにもいかない。そこは非正規雇用でまかなうしかない、という理屈が立てられる。そういうわけで、若手を中心に、教育・研究に携わる非正規先生や非正規研究者が急増している。その数、現時点でも4万2000人といわれる。

内部に目を移せば、教員間格差も酷くなっている。若手がたとえ新規に正規雇用されたとしても、上の世代の給与水準なみにはもらえない大学が増えている。当然、地位も昔にくらべて上がりにくいといったことも珍しくなくなりはじめた。大学の教員になっても、かなりの間、平が続くというわけだ。

だが、その下には、正規で所属できない人も多数いる。こうした格差が、大学内に現代の身分制度とでも呼べそうな階層社会を作り出している。互いの間には不信感が蔓延しがちなので、それぞれが立場を超えて手を結ぼうなどという意識は形成されにくい。

32大学理学部長会議が声明を出すことに異議を唱えるつもりは全くない。それどころか、素晴らしい取り組みだと注目している。ただ、声明のなかで触れられた「若手人材育成」などについては、当事者たちが理解しあえるような仕組み作りや支え合いこそがまずは急がれるのではないだろうか。

「自分たちは使い捨てにされている」と感じている若手の研究者や教育者は少なくない。そうした内部の声とどう付き合っていくのかを表明することが、(大学の)苦境打開には、遠いように見えて実は近道なのではないだろうか。


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第二話:大学院生が世間知らずになる訳

2010年07月12日 | 庵主のつぶやき
参院選、言葉もなし。政界再編、こうなってくると現実味を帯びてくるが、そんなことしている暇はあるのだろうか。あまりに頭が痛く、気分を変えたく『地獄の一丁目一番地、大学院へようこそ』を更新します。

□□09月16日までの限定でお届けします(毎週土曜日+α更新)□□
これは、私がまだ大学院生だった頃、日々のストレスのはけ口として、当時運営していたHP上で綴っていたものです。データを整理していたら、たまたま出てきたため、再活用できないかと検討してみました。

見直してみると文章の荒さが目立ちましたが、一般の人たちに、我が国の大学院の現状を知ってもらうには、もしかすると、こういうテキストのほうが楽しんでもらえるのかもしれない、と思った次第です。そんな訳で「恥をさらしてみるか」と腹をくくってみました。テキストには手直しを入れ、少しはマシにしてみたつもりです。

今月発売予定だった『ホームレス博士(仮)』(光文社新書)が9月16日にずれ込んだこともあり、お詫びの気持ちを込めまして、発売日までの二ヶ月間限定という形で恐縮ですが毎週土曜日に更新したいと思います。

では、さっそく、第一話から以下に復活。ご笑覧ください。
□□なお、この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。□□


第二話:大学院生が世間知らずになる訳


---前回までのあらずじ ここから----------
就活に一人だけ失敗したシンジは、教授に見込みがあると持ち上げられ大学院に進学することになりました。ところが、いざ入院してみたものの大学院には人があふれ満足な指導も受けられず、下働きばかりさせられます。一方で、高い学費は徴収されているわけで、シンジは、心中穏やかではありませんでした。

「なぜ、お金を払って、俺は雑用ばかりしているのだろう?」

気分を変えるために、シンジは同期の連中に電話をかけ久しぶりに会うことになりました。
---前回までのあらずじ ここまで----------



友人たちと飲みにいくと、シンジは彼らの成長ぶりに驚きました。
卒業してたった半年しかたってないのに、友だちの言動の全てが大人に見えます。
居酒屋での注文の仕方や店員さんへの口の利き方。些末なことでは靴の並べ方まで、とにかく見違えるほど成長しているように見えました。

シンジがいつもと同じように靴をぞんざいに脱ぎ捨て、さっさと座敷に上がろうとすると、ただちに「靴は綺麗にならべようよ」と、友から注意されます。
同級生から子ども扱いされるシンジは、「ちっ」と舌打ちしながらも従うしかありません。「俺はおまえたちと違って、大学院で研究してて先々は博士(様)になるんだぞ。末は博士か大臣か、のあれだぞ」。心の中でそう毒づいているのが精一杯でした。

座敷にあがりやっと、ホッと一息ついたところで、今度は注文の番がきました。
シンジは、いつものを頼もうと側まで来た店員さんに「生!」とだるそうに言葉を発しました。それを聞いていた隣のタマキが、呆れたように振り返り「『生!』じゃないでしょ、シンジくん」とたしなめます。

「生、ください、くらい言ったらどうなの」
「店員さんだって、同じ注文でも気分よくなる物言いもあれば、悪くなることだってあると思うよ」
シンジを見つめる目の奥底には、そんな思いが隠されているようにも見て取れます。
敏感に感じ取ったシンジは複雑な思いを内に宿すのです。

同期の連中の振るまいを観察していると、彼らは店員さんにとても気を遣っている様子がありありとわかります。しかし、シンジにはそれがよく理解できませんでした。
「だって、俺たちは客なんじゃないか?」

そんな素朴な疑問を隣のタマキに投げかけると、「バカねぇ。それは今だけでしょ」と返され頭は混乱するばかりでした。

タマキは一部上場企業の総合職に就いていますが、今はまだ、現場での販売研修などをしています。そこでは、デザイン性の高い食器などを中心に扱っています。居酒屋の店員さんなどは、若くて流行に敏感なお嬢さんが〝社会勉強〟という位置づけで働いている場合だって少なくありません。とすれば、いつ、自分たちのデパートにお客さんとしてやってくるかもしれないのです。タマキは、そんなふうなことを説明して、シンジを「やれやれ」という目で憐れんでみるのです。

シンジは、たった半年で同級生と自分の間に大きな壁ができてしまったように感じ、なにやら焦りの気持ちが湧き起こってきました。

しかし、こんなシンジを一方的に「だめな奴」と責めるわけにもいかないのです。
なぜなら、シンジの周りにいる大人たちは、「生!」とぶっきらぼうにいう人ばかりなのですから。

そもそも大学教員といった人たちは、社会人など経験せず、先生になっている場合も珍しくありません。上の方の世代では大学院を中途退学したりして、そのまま助手や講師にスライドしたなどの、今の時代からすれば夢のような話もぼちぼち耳にします。ということは、たかだが25,26歳くらいから「先生」と呼ばれちやほやされてきた人もいるわけです。

大学というところは不思議なところで、いったん役職がついたらもう〝一人前〟扱いされます。お互いが独立した存在になりますから、干渉したりはしません。つまり、20代半ばの若造が粗相をやらかそうとも、怒ってくれる人はいないのです。それどころか、世間からは「先生・先生」と持ち上げられます。

いきおい、ビールの注文もちょっと偉そうに「生!」となってくるわけです。

きっと、厨房に大きな声で復唱する美人の店員さんは心のなかで「生 イキ!」ね、と言い直しているはずです。

シンジはふと我に返り、自分とかかわる身近な人たちの振る舞いを思い返していました。「そういえば、居酒屋だけでなくタクシーにのったときも、同じようなかんじだったな。たしか、『おい、きみ、○○くれんかね?』みたいな・・」
「タマキが聞いたら、きっと激怒するだろうな」
シンジは、今の自分と姿を重ね合わせ、苦笑いするのでした。

同級生たちのあまりの成長ぶりを目の当たりにして、シンジは自問自答を始めます。大学院というところには、自分を育ててくれるシステムというものが、もしかして何もないのではないか? 同期たちが会社から育てられているのを、まざまざと見せつけられ不安になるのです。

思えば、会社であれば、新入社員には厳しい研修期間が設けられていますが、同じ23歳であっても大学院に進学した場合、「これから研究を志す者としての研修」みたいなものは何一つありません。それどころか、学部生と同じような講義がちょっとあり、他は、研究室の下働き一直線です。

シンジは自分の境遇を振り返りながら思います。

「皆は組織の一員として大切に育てられているのか。それに引き替え、俺は、〝教授〟ただ一人から、いろいろと学ばねばならない。世間の常識から距離があってもそう不思議には映らない先生方から全てを習う・・」

明日からの日々を想像すると、シンジはまた気が重くなるのでした。


つづく



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第一話:修士は地獄の三丁目

2010年07月10日 | 庵主のつぶやき
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見直してみると文章の荒さが目立ちましたが、一般の人たちに、我が国の大学院の現状を知ってもらうには、もしかすると、こういうテキストのほうが楽しんでもらえるのかもしれない、と思った次第です。そんな訳で「恥をさらしてみるか」と腹をくくってみました。テキストには手直しを入れ、少しはマシにしてみたつもりです。

今月発売予定だった『ホームレス博士(仮)』(光文社新書)が9月16日にずれ込んだこともあり、お詫びの気持ちを込めまして、発売日までの二ヶ月間限定という形で恐縮ですが毎週土曜日に更新したいと思います。

では、さっそく、第一話から以下に復活。ご笑覧ください。
□□なお、この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。□□


第一話:修士は地獄の三丁目  



皆さんは、大学院と聞いてどんな所を想像するだろうか。


 


バリバリと研究する人間が大勢いる、活気にあふれた風景? 
 

それとも逆に、コンクリートに囲まれ、暗くじめっとした実験室の様子?  

はたまた、よくわからない危険物をいっぱい扱っているところとか。。 
 
 

いや、それよりも、そこにいる人間のほうが ごにょごにょ・・


 
 
 
まあそれはいいとして、
いろいろとイメージを膨らませているかもしれない。


 
 

じゃぁ、実態は?というと。。。


 

・・・無言。。


 
 
 


あえて一言つぶやくならば、地獄。 
 


もう少し丁寧にいうなら、「日本の大学院生ほど、惨めな存在はない!?」 となります。

間違いなく、アカデミック・ワールドに生きる誰もが頷く事実です。



学卒で就職した者と、大学院に進学した者との間に開く「生活の質の差」は、目を覆うばかりです。 なぜでしょう?


 
 

大学院に進学してしまった、サカシタシンジ君に密着しながら院生ワールドをのぞいてみたいと思います。


 
 

時は2000年春。サザンオールスターズが「TSUNAMI」をリリースし、新潟少女監禁事件で社会に衝撃が走り、「神の国」発言(失言)をしてしまう総理が誕生し、Qちゃんこと高橋尚子さんがシドニーオリンピック女子マラソンで金メダルをとる年です。シンジたちは卒業式を迎えていました。同期の連中のほとんどは、四月から社会人になります。長引く就職氷河期にもかかわらずなんとかゴールを決めたのです。が、シンジだけは適いませんでした。しかし、シンジは今、とても誇らしげな顔をして式に臨んでいました。就活に失敗し、教授に相談しに行ったあの日の情景を懐かしく浮かべながら。

スリットガラスの隙間から奥の様子をうかがい部屋をノックすると、教授は、窓際の大きな椅子から立ち上がって、わざわざ扉を開けにきてくれました。その姿を思い出す時、シンジはいつもあの日と同じ感動に身体が震えてきます。

じっと目を閉じると今でも、最初に頂いた教授からの言葉が胸の奥底から蘇ってくるほどです。





「君は民間に就職するより研究職のほうが向いているよ」






傷ついていた誇りが一気に回復した瞬間でした。

「そうか、俺は研究肌なんで通らなかったんだ」


思い出すのも嫌になっていた就活での失敗も、教授の発した魔法の呪文で全てがリセットされました。


「研究の世界で名を上げるのも悪くないな」


ノー天気なシンジは、教授が思い描く裏の意図になにも思いを致すこともなく、ただただ感激し、その後の生活に夢さえ抱くほどでした。


こうして、シンジの大学院生活の幕が上がりました。

しかし、どこの世界でもそうですが、新入りが描くバラ色の風景が本当に広がっているようなところなど無いのが現実です。大学院というところは上下の関係も厳しく、シンジなどのヒエラルキーの一番下っ端にいる修士生にとっては、下働きの毎日がひたすら続きます。

教授は日々、さまざまな雑用を投げてきます。
「コピー三〇〇枚ね」とか、「あの絶版本、何とか仕入れておいて」、「最新のパソコン買ったんだけど設定がわかんないんだ。見てくれる?」といった類のことは普通で、「今度引っ越しするんで、よかったら来て」などと、断れる選択肢などないのを知ってか知らずか、私用にも引っ張り出されます。院生などまさに使用人なのです。

こうした〝仕事〟の一切は、教授が気が置けない間柄になっていると(勝手に)信じている、博士課程の誰かのところに行くのが普通ですが、彼らは大抵「研究に忙しい」という理由で、下の人間に押しつけてきます。

「○○の研究報告書、そろそろ準備しないと危ないんで後よろしく」などと、彼らは彼らで研究キャリアがなければ出来ないような仕事を割り振られているため、それ以下の些末なことに関わっている暇などないわけです。

マスターは奴隷なのです。彼らに「ノー」の選択肢はまずあり得ません。
しかし、教授のタイプにもよりますが「ちょっと酷かったかな」、と良心が若干痛んだと見られるケースもたまに見受けられ、普段はただ働きなのですが時折バイト扱いの仕事に〝昇格〟したりします。

時給850円くらいをもらうのですが、よくよく考えてみるとその1000倍近くの金授業料という名目で納めさせられているのですから、これほど割に合わない話もありません。




これではぼったくりバーと同じレベルです。




シンジは、自分が「何でも屋」になったみたいで、うんざりしていました。
「おかしい。俺は研究者になるために大学院に来たのではなかったのか。これでは、単なる丁稚だよ。教授は俺のことを見込んでくれて誘ってくれたはずなのに、入院した後はなぜかなにも指導してくださらない。先生は放置プレイがお好きなのだろうか・・」

日ごとに落ち込むばかりの気分をどうにかしたいと、シンジは旧友を誘って飲みに出かけることにしたのです。 



つづく




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博士の完全雇用 信用回復こそ急げ

2010年07月07日 | 庵主のつぶやき
ポスドク問題の解決に、文科省と経済産業省が手を組んで乗り出すそうだ。(ポスドク:就職難解決へ 10年後の完全雇用目指し本腰 毎日新聞:2010年7月6日)

政府は、新成長戦略として「科学・技術立国」を高らかに謳い、先に発表された「2010年版科学技術白書」にも、博士の増産を目指すことが明記されている。その絡みなのだろう、博士課程修了者の完全雇用を二〇年に実現するという、壮大な目標も掲げる。

実現すれば、無論、こんな素晴らしいことはないが、いくつかの疑問が頭をもたげる。

たとえば、科学技術白書で説明される「博士の就職率」。
三割がポスドク、二割が進路不明、そして五割がなんと大学や企業などへの就職とある。

一般の人が見たら、誤解を招くような表現である。「結構、就職してるじゃないか!」と。

だが、この「大学や企業への就職 五割」という数字には、実は問題が含まれている。正規雇用での「就職」は(白書で説明されるような)五割もいないはずだ。大学や企業などでは、〝非正規雇用〟や〝任期付き雇用〟で働いている教員や社員も多数いるからだ。

よく指摘されるのは、「非常勤講師」の存在。各地の大学がまとめた院生の就職率の項目などに目をこらすと、「就職した人」のなかに、これが組み入れられているのを、結構な頻度で見かける。だが、非常勤講師は時給いくらで働くバイトの先生であることは業界では常識だ。なのに、「就職」にカウントされる。もし、大卒で仕事が見つからずコンビニでバイトする人を、「就職」欄に隠して入れて発表したとしたら、世間はどう思うだろうか。それと同じレベルのことが、大学院修了者に対する就職状況調べでは、いろんなところで半ば当たり前のようにして行われているから不思議だ。企業への就職でも同じことで、民間の登録会社から派遣されている博士だって少なくない。

そうした数字を含めて、やっと五割となっているのが実情ではないだろうか。
ついでに言うと、進路不明の場合は、フリーターなどになっているケースが少なくない。
とすれば、博士課程修了者のうちのまず五割以上が非正規雇用という現実が見えてくる。

こうした現実をきちんと把握しないまま、二〇年に完全雇用とぶちあげられても、多くの博士たちは内心しらけきっているはずだ。

いま大事なことは、根拠に乏しい調子のよい発言をすることではなく、もっとポスドク問題の現場の惨状を素直に見つめ、きちんとした現状把握を行い現実的な提言をしていくことではなかろうか。

この約二〇年のうちに進められてきた「大学院重点化」政策によって、多くの大学関係者の心に傷跡を残していることも無視できない。国の言うことに疑いの眼差しを向ける現場の教員や若手博士たちは少なくない。やるべきは、現場と国の信用の再構築である。それにより、新しく博士課程を目指す若い人たちにも初めて希望が見えてくる。

そして、もう一つ指摘しておかねばならないことは、もし、将来的に博士たちの完全雇用が為ったとしても、今現在数万人(十万人に迫ると言われる)にのぼるノラ(野良)博士たちの雇用問題はどうなるのか? ということだ。 科学技術とは直接関係しないと見られがちな文系博士はどうか? 恐らく放置のままだろう。十年後、彼らはきっとホームレス状態だ。


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博士の非正規雇用、社会に損害

2010年07月04日 | 庵主のつぶやき
いわゆる若手と呼ばれる博士たちを含む、さまざまな立場の「博士号持ち」の人に会って話を聞く機会が多い。

いつも感心するのが、みなさんえらく面白いことをやってらっしゃるということ。しかも、相当レベルが高い。ひとつのことを極めた方ばかりなので、考えてみるとそう不思議ではない。

確かな知識と旺盛な探求心のもと知的活動に勤しむこんな博士たちのことを、もっと世の人たちに知って欲しいとも思うのだが、どうにも機会が少ない。

少子化で、大学内に若手を正規採用するポストが激減していることが少なからず影響している。ほとんどの場合、非正規雇用かそれすらもない場合が珍しくない。

日本は役職を重視する社会である。正規雇用されない以上、役職上は組織の末端に位置づけられてしまう。そうなると、どうなるか? たとえ博士号を持っていたとしても、扱われ方は大学院生あたりと同じレベルにとどまる。

実際には、彼らは何年も研究キャリアを積み重ねているし、教育にも携わっている。だが、研究者としてのポストは一番下に据え置かれたままなので社会に対して発言する機会を持つことは稀である。では、教育者としてはどうか? こちらも、十年のキャリアを重ねても、「非常勤(講師)」扱いのままだ。仮に二十年でも、「非正規」の期間が伸びたというだけなのだ。プロとして扱われることはない。あくまでも細切れ雇用のバイト先生に過ぎない。

こんなわけで、新聞・TVなどのメディアが彼らに意見を求めたりすることは、どうしても稀になりがちだ。コメントは、多くの場合、社会的地位がある「教授」に〝行く〟。メディアに登場する教授の顔ぶれは、意外と変化が少ないように思うのだが、恐らく雇用システムとの絡みも無視できないはずだ。

つまり、正規雇用されている人がそれだけ少ない、ということだ。新しく人が雇われないため―正規雇用されないため―、役職上しっかりとした地位に就けない。すると当然、(メディアに露出する)顔ぶれは同じようになってくる。しかも、正規雇用された数少ないこれらの人たちの定年は、大学の場合65歳あたりが普通だから、それこそ〝ず~っと〟同じ人の顔ばかりが映ることになる。

キャリアを積んだ博士たちのなかには、優れたスキルや見識を備えた人たちが大勢いることを、私は膨大は取材体験を通してよく理解している。だが、非正規雇用のために、社会から彼らにスポットがあてられることはほとんどない。十年、二十年と研究や教育活動に身を投じていても、「先生」として扱われることはない。

こうして多様性が広がらず、社会はいつも同じ顔ぶれの〝先生〟たちから〝いつもの〟発言を与え続けられ、劣化していく。市民にしても、フレッシュな研究や教育方法などに触れることなく「いつもと同じ」日々が過ぎていくばかり。

非正規雇用の博士たちは、普段どのような生活をしているのだろうか。
多くの場合、時間給で大学に雇われ、研究・教育に従事している。が、それだけでは生活ができないため、コンビニなどでバイトしている人も少なくない。気がつくと、ある一定以上の年齢層に達して、大学から「もういらない」と言われてしまう。そうなると、単なるフリーターに転落する。

まことに悲惨だが、そうなってもほとんどの場合こう言われてお終いだ。「自己責任でしょ?」

でも、社会問題が〝個人のこと〟として流され(スルーされ)続ければ、実は社会自身も大損をする。新しい視点や技術・発想などは、(大学の世界では)比較的若い博士たち(三〇代後半付近)が多くを持っている場合が少なくない。今や、そうしたものに直接触れる機会が失われているのである。

我が国から「活力が失われている」と指摘されて久しいが、それを生み出す基となる土壌が破壊されている。大学はやせた畑になろうとしている。博士人材の多くが機械の歯車のようにだけ使われている。それも油も差されずに(博士の多くは絶望して、心が錆びつきつつある)。身分が保障されている先生方であっても、大学行政で忙しすぎて研究時間が十分にとれない。

本来、社会に活力をもたらしたり,提言をする役割を持たされているはずの大学が、こんな状態では、我が国の未来も危うくなるばかりである。


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