海辺の町から

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浜は忙しくなりました。

2025-04-02 10:39:28 | 日記

定期船当番日 細かな雨が降っていて肌寒い朝です。

トマト苗が出ていたので購入あとは脇芽で増やそうかと思っています。

 

4月1日

今日はヒジキを除く海藻解禁日 孫男子を除いた息子達3人は先に沖に出掛けた。

夫は孫男子テニスの部活が済む頃街まで迎えに行ったが お昼頃になるのでお腹すくだろうか

コンビニで何かと遠回しに何が良いかな~と聞いてくる。

 

釣りで得た収入全て夫の小遣い このところ炬燵の守をして釣りに出ていない。

で結局の所小遣いが心許なく大枚を渡してあげるが そのお金は孫達の懐に納まる。

お小遣いをくれるのはお爺ちゃん。

 

軽トラの車検が7月で切れる 10年10万キロが買い換えの時期らしい。

市場に魚を出荷しなければ軽トラは要らないが無ければないで不便である。

あと10年は乗り切らないだろうがこれが最後と即決 2ヶ月待ちという。

 

海藻解禁日の夜春日の孫娘が息子と共にお泊まりし孫男子翌日の部活のため

ママと街へと帰った。3月生まれの孫男子足の大きさが27.5㎝あると聞いていたが

信じられず夫と共にやって来た孫男子の足の大きさを確認して納得

馬鹿の大足と言われた家系 この様なところまで受け継いでいるとは。

暫く会わなかったうちにいつの間にか大きくなっていた。

ついでに背丈を測ったら追い越されるのは時間の問題だ。

成長痛でお医者さんを受診したそうだが成長期の息子2人もそんな時代が有ったと懐かしく。

 

間もなくお昼の準備を

おばあちゃんのご飯美味しいにハードルを上げられプレッシャーを感じながら

サァ何を作ってあげようかしら...

 


遊びにも時代が

2025-03-30 16:01:14 | 日記

フランシーヌの場合 トワ・エ・モア(イメージ)

今日は3月30日フト口をついて出て来た歌「フランシーヌの場合」です懐かしく思い出されます。

 

風強く寒い朝になりました。

水仙が咲きました。

 

息子と この春小6になる女の子孫が泊まりがけでやって来た。

中2になる孫男子は離任式出席のため翌日学校がある。

 

着替え忘れないでねと伝えた。

着替えと言えば小学校低学年の時下着を忘れ「困ったね~」と話していたら

「大丈夫春日は1週間大丈夫だって言ってたよ」!?

「どうして~」

「裏返してはくって!だから大丈夫」!?

春日とは芸人さんの春日です。TVの影響力は凄いものがあります。

 

そんな孫も動物が大好きで街から30分の所の乗馬教室に週1.2回通っているらしく

今はポニーに乗って 「怖くないの?」」「うんん楽しい!」

将来は動物に関わる仕事がしたいと話してくれました。

絵画教室にリモートの英会話教室と算数の教室。

遊びの中から人間形成されると信じている身に時代錯誤と言われそうだ。

 

遊び呆けガキ大将になって男の子達と遊んでいた身とは

格段の差があると思い知らされながら

お金の掛からない遊びを沢山経験して大人になりました。


山火事

2025-03-28 16:31:52 | 日記

雲の間から顔を覗かせた太陽もあっと言う間に雲の覆われてしまいました。

漸く咲いてくれました。

チューリップもです。

 

昨日の南予の大雨が今治に届けと思いながら雨雲レーダーを見ていた。

母の兄 伯父さんが生きていたら120歳は過ぎているだろうか。

何故か知らないけれど京都から今治の地にやって来てみかんの木を育て人を雇うほど

大きくしていた。伯母さんが今治の人だったのだろうか今となっては知る由もない。

伯母さんは身体が弱く子供を授からなかった 伯父さんは6人兄弟の私の下の弟を養子に欲しかったそうだが

母が強く断り幼い女の子を養女にし後に養子を迎えた。

 

伯父さんの元気なときに福島県南の都市白河から今治まで家族8人列車を乗り継いで

訪ねたことがあった。今ほど便利でなかった交通網。

東北本線東海道本線山陽本線宇高連絡線とそして予讃線と乗り継いで。

どれ程の時間を要したのか幼かったので漠然とした記憶しか無い 70年近くも前の話である。

妹は2~3歳だった 6人の子供だけでも大きな荷物だろうに両親は偉大だったと改めて思う。

あとにも先にも家族8人の大移動はこれ一回切りだった。

 

トンネルの多い四国トンネルにさしかかると窓の開け閉めを手動でしていた。

石炭を動力としていた蒸気機関車は窓を開けたままでは煤が入る。

当時高校生だった兄が列車の窓から学帽を飛ばし父は次の駅で降り帽子を探しに線路道を走った。

残された母と6人の子供は桜井の駅で降り父の帰りを待っていたが連絡の術はなく

父の顔を見たときは嬉しかったのを覚えている。父を待つ間スイカを割って食べた記憶が残っている。

当時7~8歳だったろうか。

 

訪ねた先が今治に住んでいた母の兄 伯父さんだった。晩年立派な白髭を蓄えヒゲの伯父さんと読んでいた。

その場所が炎の中にある。

伯父さんが亡くなり母も亡くなり養女の伯母さんも亡くなり代替わりした今

疎遠になったが気に掛る。

 

世界中のあちこちで山火事が頻繁に起きている。人為的ミスが大半を占めているそうだが

乾燥しきった大地は一度火が付くと忽ち燃え広がり過去の山火事とは違って

大規模化しているように思われる。一刻も早い終息を願っている。

 


元気でいようね

2025-03-26 21:10:49 | 日記

定期船当番日 何時もより早めに起きました。

色目はないけれどシクラメンを植えました。

 

引き出しの書類を整理していたら表書きのない手紙が入っていた。

会ったこともない親友の娘さんからの手紙だった。

 

会いたいね~って言いながら年に一度の賀状 会えなくなった今無性に会いたい。

 

「先日はお蜜柑有り難うございます。甘くてとても美味しく母も喜んでいると思います。

お手紙とお蜜柑が嬉しくて涙が出ました。母に**さんのような友人がいることが羨ましく

誇らしく温かい気持ちになりました。

 

白河厚生病院に入院していましたが先生から余命2ヶ月と聞き少しでも一緒に時間をと

思い横浜へ 在宅介護は思っていたより楽しかったです。

早朝4時半頃とてもいい笑顔で旅立ちました。時間的にも入院していたら誰にも気付かれず

一人で逝かせるところでした。

弱っていく母を見ているのは苦しかったけれど最期は傍にいてあげられたのは良かったと思います。

(負けるのは嫌いだから!)と最期まで頑張っていた母が私の誇りです。」

...

 

年齢が人恋しくさせるのだろうか 一人遠くに来てしまった。


海辺の町で

2025-03-25 14:20:48 | 日記

 

とても素敵な二人です。

田舎暮らしという共通項はあっても都会のセンス溢れる暮らし方。

外に窯を設えたくなりました。こんな風な暮らし方して見たい。

 

  君がため春の野に出でて若菜摘む

          我が衣でに雪はふりつつ  (光明天皇)