海辺の町から

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私の夏が終わった。

2024-08-31 11:53:21 | 日記

  のろのろ台風が高知県安芸市の方に行った様だ。


  幼なじみから


長かった夏休みを終え日常に戻らねばと思いつつ
一日延ばしの夏休みは 何日もの気後れとなって。

帰省客を見送った後の疲れもあって何をする気にもなれず
買い物を兼ねて食事に出掛けた。
身体が疲れているときはいとも簡単に病原菌は身体を侵食しダウンすること半月。
オマケに台風に見舞われ沈殿することの長かった事か 食欲は無くだるさが勝って身体は動かない。

長時間風雨に見舞われ急傾斜地に土砂災害危険区域という土地柄
長く続いた雨は不安を増す。

半世紀よりも前夏山合宿で烏帽子岳から大キレットを経て北穂まで1週間裏銀座を歩いた。
若かったとは言え穂高を見たいという私の我儘に友人を誘い個人山行を続けた。
食料の買い出しに上高地まで戻りテントに食料と肩に食い込むほどの重さになっていた。
徳沢でテントを張り翌朝台風が発生した雨の中大滝山荘から蝶が岳を目指したが
水嵩のました山道は滝と化し雨雨雨の敵前逃亡の夏の終わりを思い出している。

沢山の方に心配をお掛けしてしまいました。もう若くない今回嫌というほど思い知った。
2024.8.31 私の夏が終わった。

秋の上昇気流に乗り込んで元気を分けて貰うとしましょうか。

圧力に負けなかった長崎

2024-08-10 07:50:50 | 日記

  蝉の大合唱


広島に原爆が投下されてから3日後再び長崎にも。
被爆者の平均年齢が85歳と高齢化 暑い中での犠牲者追悼の平和祈念式典をTVで観ていた。

今年はイスラエルを招待しないという長崎市の意向を知っていたので長崎市長の挨拶に関心があった。
あくまでも主催者は長崎市 長崎市長は政治的理由はないと言っていたが
ガザの地で無差別攻撃を続けるイスラエル 原爆によって多くの人命が失われ
未だに癒えぬキズを負い 破壊し尽くされた苦しみを知っている長崎市民として耐えられないのだろう。
況してや原爆を落とした国が長崎市に対してもの申す立場では無い。
イスラエル駐日大使を招待しなかったことに日本を除くG7が招待を拒んだ。

長崎市長の挨拶の中に「核兵器廃絶に大きく舵を切るべきと どんなに険しくても軍拡や威嚇を選ぶのでは無く
対話と外交努力により平和的な解決の道を探ることを求める。」と
目に見えない圧力の中でよくぞ思いを通してくれたと思っている。

今戦うべきは地球環境を護る戦いであって殺戮では無い。人の命の重さは平等であるはずだから。

お盆を前に

2024-08-08 14:57:57 | 日記

  今日も暑くなりそうです。


  波の高さは1M ここ数日穏やかです。


  街まで野暮用で出掛けました。海岸道路は曲がりくねっています。


オリンピックに高校野球が加わって相変わらず忙しい。
お盆を前に明日は海辺の町の墓掃除 山の中腹にあってイノシシが石塔を倒したり
悪さのし放題 荒らされた道中は想像に難くなく辿り着くまで心配だ。

全員が出ても両の手に余りオマケに年々老いていく。
人が少ないから皆が即戦力 何時まで続けられるのか。
お盆の客人もあと数日もすればやって来る。

暑い中ノンビリ過ごしたいモノだがそうもいかない。
足らないと言って買い物に行くには遠すぎる。
計画を立て 献立表を作って抜かりないようにしなければと思っている。

トコロテン

2024-08-05 16:07:02 | 日記

  昼下がり


  頂いたポポーの苗木から芽が出ていました。


  JAより頂いたポーチュラカ


トコロテンが食べたくなったねーという。

あと1週間もすれば来客がある。トコロテンを楽しみにしているので作ろうかと重い腰をあげる。
当地で言うトコロテンとは テングサを煮出して酢醤油で食べるものと
煮出した後焼いた魚の骨で出汁を取り 醤油砂糖塩で味付けし 焼いた魚の身をほぐし 
卵を入れて冷やし固めたものもトコロテンという。

今回は酢醤油で食べるトコロテンです。


  晒したテングサを洗います。市販のものはもっと白く晒していますがその分テングサの
  糊分が失われるので我が家は余り晒しません。


  沸騰したら酢を加えます。酢を加えることによりテングサの繊維を煮溶かします。
  沸騰しやすいので35分~40分ガスの前を離れることが出来ないのが難点です。
  テングサの繊維が溶けてきたら濾して冷やし固めたら出来上がりです。


  食物繊維タップリのトコロテン夏がやって来ると食べたい食べ物です。
  

オリンピック柔道

2024-08-01 13:42:42 | 日記
 
  街からの帰り峠道から見た牡蠣筏 木々が鬱蒼としてきました。


  途中うり坊が6匹 スマホを取り出している内に3匹逃げてしまいました。
  うり坊が大きくなるのも時間の問題 カボチャを交配して直ぐのピンポン球くらいのカボチャ
  全て食べていました。


柔道が面白い 学生時代息子達は柔道をしていて その思い入れもあり普段から柔道をよく観ている。
夫と2人 息子達が柔道をしていなければ訪ねることの無かった知らない土地へ連れて行ってくれた。
仕事と応援忙しかったけれど充実していた時でもあった。
高揚した気持ちは応援に熱が入ると決まって息子の名を叫んでいた。

サッカーやバスケットのような派手さは無いけれど奥深さのようなものを感じている。
「礼に始まり礼に終わる」という武道の教えを選手の立ち居振る舞いから垣間見ながら...
世界中に広まりかっての日本柔道は変化をしつつ競技性の高いスポーツへと向かっているように思える。
古賀稔彦のような綺麗な1本鈴木桂治の「人は強くなるためには謙虚で無くてはならない」と言っていたことなど
昔の柔道を観ていた人間に取って変って欲しくないという思いがある。

世間の人々が柔道の試合を観る機会はオリンピックの時くらいではないだろうか。
敢えて柔道を見に行こうTVを観ようとは思わないだろう。全く柔道と無縁だった時は考えもしなかったが
でも今は30年以上様々な柔道の試合を観ているといっぱしの解説者になって先を読んでいる。

寝不足気味の毎日 柔道の試合も残すところあと2日。
100㌔超級の斉藤立 お父さんの仁さんは山下泰裕さんと同時期争っていて中々オリンピック出場の
機会に恵まれず苦労されたのが思い出される。

思うこと この日のために頑張って来たことが審判の誤った判定に泣き寝入りするしか無い現実
柔道の変化に審判の目だけに頼った旧態依然の判定は危うさだけが残り選手の思いを感じていない。
科学的な目での判定を取り入れるべきでは無いかと村尾三四郎の試合を観て強く思った。