海辺の町から

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みかんが無いという

2024-10-31 21:41:28 | 日記
遠藤ミチロウ ワルツ




  晴れ間の覗いたのも束の間 雲の多い一日となりました。


  オオモンハタ 35㎝程の大きさ鍋には持って来いですが未だ早いかな。


  大谷さんが美味しいと言っていたそうな 不振に喘いでいた業者今は右肩上がりなそうです。
  大谷さん効果凄いです。


みかんが無い。
みかん県にあってみかんが無い。
ソロソロ早生みかんの収穫期だろうかとみかん農家に電話を入れてみたが
みかんが無いという。

裏年の今年 数量は例年よりも減るだろうと思っていたが裏年に加えて猛暑と害獣の被害
暖冬の影響で越冬したカメムシの異常発生 みかん農家の嘆きを聴いた。
温暖な地域で栽培されてきたみかんだが高温に弱いらしい。
まして猛暑だった今年の夏 此所にも地球温暖化の影響が垣間見えてくる。

掌が黄色く成る程食べていたみかんだが今年はそうも行かない。
一冬50㌔は下らないほど夫と二人食べていた。

どこの家庭にもみかんの木を植えていた昔 地中海ミバエの出現で
1本残らず伐採を余儀なくされたがその事でみかん農家が守られてきた。
其れにしてもみかんどうしたものか~

禊ぎは済んだ?

2024-10-29 17:26:20 | 日記

  ドンヨリとした日が続いています。


  一昨日カエルが帰って来ました。


  戴き物 女の子孫の好きなリーフのチョコレート お裾分けしました。


夜にやって来た息子「玄関にカエルがおるよ」
久しく見掛け無かったカエル 玄関に出てみると少しふっくらしたカエルがいた。

以前ユッカの葉と葉の間でよく見掛けていた緑色したカエル。
大空を旋回する鳥に見つかって仕舞ったのかあのドタカエルが食べてしまったのか
心配していた。2F手摺りの溝で見掛けた焦げ茶のカエル鋼製建具の色に同化して
見つけにくかった。

そして一昨日門灯の下で茶色のカエルを見た。灯りの周りに集まる虫たちを
捕食するために日中は何処かに隠れていたのだろう。
食物連鎖の中間に位置している両生類 カエルは虫を食べ鳥や蛇はカエルを餌とする。
食物連鎖からも水陸両方の環境を要するカエルの存在は環境保全が上手くいっているかの
バロメーターでもある。

我が家の周りで暮らしているアマガエル 連日の雨にカエルも元気が出て来たのか。
衆議院選挙結果に未だ不満燻り続け 東京で和歌山で裏金議員が禊ぎが済んだと堂々と
出てくるのかね~カエルの元気と裏金議員の元気さには雲泥の差があると思うのだけれど。 





「鶴になった男~釧路湿原・タンチョウふれあい日記」

2024-10-26 14:42:10 | 日記

  雨の朝です。


  雑草に覆われたレモンの木 下草刈りの途中です。


  伸び放題のローズマリーを切りながらレモンとローズマリーの香りに思わずいい匂いと独り言。


時をかける「鶴になった男~釧路湿原・タンチョウふれあい日記」を数十年の時を経て再度観ている。
釧路湿原に生息するタンチョウ 狩猟や開発 農薬の使用によるものなのか定かではないが
当時(1987年)絶滅の危機に瀕していた野生のタンチョウ。

釧路タンチョウ自然公園で30年に渡ってタンチョウの保護と人工飼育に取り組んできた高橋良治さん。
彼の父がタンチョウ保護のために土地を提供したのが始まりだった。
タンチョウ保護活動を引き継いだ彼はタンチョウの飼育と人工孵化に成功して育てた雛を自然界に戻してきた。

春先の雨は湿原に卵を抱えるタンチョウにとって最も危険な時期で雨が続くとタンチョウは卵を抱くのを止めてしまう。
彼は湿原の中からタンチョウの卵を見つけ出し 親鳥が卵を温めた状態を模索しながら得た結論は
温度38度湿度50%の環境を設え30日間孵化するまで見守るという根気の要る作業を続けてきた。

孵化するまで声かけをしていると生まれたとき彼を親と思うタンチョウの雛
大空に飛び立つための訓練は飛べない人間に取って一番苦労があったという。
鳥になりきって両手を広げ羽ばたくように走り出す 繰り返していく内に雛は
真似をするようになって彼の呼びかけに応えるという まさに親子になったとき
自然に戻すことが出来たのです。

彼が呼ぶとタンチョウは鳴き 歌うと踊り出すという光景を観ていると
絶滅に瀕し数十羽に迄減ったタンチョウが40年余の時を経て1800羽を超える数が
確認されているのを思うと感慨深いものがある。

間もなく根雪の季節が訪れる 越冬のため釧路湿原にタンチョウがやって来る。
  

老いた今振り返って思うこと

2024-10-24 14:32:03 | 日記

  朝の内は晴れマークが付いていたので大物の洗濯を 気づけば雨が降り出して大慌て。


  蝋梅の実が枯れてきました。


  和歌山からの定期便 猛暑で実が割れて果樹農家にとって大変な年のようでした。
  

妹の誕生日におめでとうのLINEを入れた。
ありがとうの返事と共に「昨日時代祭を見に出掛けました」と。

葵祭に始まって祇園祭に時代祭と季節が巡る度に祭りが思い出される。
四条烏丸の勤め先近くにあった長刀鉾「コンコンチキチキコンチキチン」のコンチキの打ち鳴らす
ゆったりとした音色が未だ記憶にすり込まれている。

きらびやかな装いの中 リック担いで継ぎのあたったニッカを履いて
四条河原町を闊歩していた。恥ずかしさよりも優越感を抱きながら。
土曜の晩は山の中で過ごし日曜日には下りてくる そんな生活が結婚前まで続いていた。
暇さえあれば山行計画を立て 長期休暇は決まってアルプスへと足が向いた。

歴史ある土地で暮らしながら神社仏閣を横目に素通りし
今になって訪ねておけば良かったと後悔しても過ぎた時間は戻ってこずで
何時でもいけると10年を過ごした京の街 勿体ないことをしたものだと。

其れでも山との出会いは何物にも代え難い楽しさを教えてくれた。
  

何時もの散歩道

2024-10-22 16:28:49 | 日記

  雲の垂れ込めた朝


  波が高くウネリを伴っています。


  ハギの仲間のようです。


  足もとに真っ赤な実が


  漆の木が色づいて来ました。


海からの風を背に受けながら山道へ入る。
己ばえの枇杷の苞に顔を近づけてみるがあの甘い香りはもう少し先のようだ。
葉擦れの音を聴きながら背筋を伸ばし空を見上げていると
鳥の声に混じって近くでコオロギが鳴いている。

何時もの事ながら周りの景色を眺め秋を探している。
紅葉にはまだ先の海辺の町 其れでも高度を稼ぐにつれて漆の木が赤く染まりかけていた。
その昔海辺の町では木蝋造りが行なわれていたというからその名残か漆の木が多いのも頷ける。

空に明るさは残るが雨の予報が出ている。走るには下り坂といえども距離がある。
腕を振りながら大股で歩幅を稼ぎながら海岸通りに下りてきた。
深く被った帽子を被り直して 相変わらず風は強く寄せる波は規則的にやって来る。
3時間の散歩はお昼近くなっていた。