海辺の町から

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佳い年をお迎えください。

2024-12-28 09:40:30 | 日記

  鉛色の空から時間と共に明るさを帯びてきました。


  仙台の同級生から 


今年も残すところあと3日
大師堂当番月にあたり堂内のお掃除に外回り 沢山有るお地蔵様のお掃除と急かされる日々。

山の中腹にある我が家のお墓掃除 地域内のお掃除と遣らなければならない事が目白押し
少ない人数で守り続ける事の大変さ 老いゆく我が身のもどかしさを感じながら
其れでも此所で生きて行く。
400年連綿として受け継がれてきたけれど今はバトンを渡す人もなく若いと言われた団塊世代が守っている。

先のことは知る術もないけれど歴史は続いていく 希望を持ちながら今年最後のブログと致します。

新たな出合いもありました。
自身を成長させて頂いた場でもありました。
皆様との出合いに感謝致します有り難うございました。

着々と

2024-12-26 20:24:14 | 日記

  ドンヨリとした薄曇りの朝


  風邪予防に葛湯を戴いて


  大好きなキノコ一杯詰まったキッシュが美味しい。


クリスマス一色の巷
後期高齢者の二人に取っては華やかさに浸る事も無く
日常の延長線上の日でしかなく相も変わらず回るお寿司を食べに出掛けた。

何時もは賑わっているお寿司屋さんも閑散として見渡せば似た様な年代の
顔ぶれが目に付いた 核家族化が進んでいるのだろう。

JAに頼んでいた餅米が配達日に届かず連絡を入れるが帳落ちしていたとの返答
餅搗き日が限られて来るので連絡を入れて正解だった。
昔の人は忌み嫌う日を避けてお正月のお餅を搗いていたのを知っている。

幼い頃のお餅搗きは暮れの一大イベント 60㌔の餅米を父が杵を持ち母がお持ちの返し手をして
子供達がチャチャを入れると笑わせんときいなと母が笑っていた。
その日は子供達も早起きして竈の番をした記憶が蘇る。

核家族の走りのような社宅内で年長者の母は季節の行事を大切にしていた。
搗き上がると最初にお鏡を作り丸餅のし餅と作っていくが間間に餡を入れてクルクルと丸めたお餅を
戦後生まれの4人の子供達に渡してくれた 夜が白み始めると近所にお餅を配るのも子供の仕事だった。
二人になった今相変わらず搗き立てのお餅配りをしている。変なところまで母に似てきた。

クリスマスが済むと気持ちはお正月 夫は毎日あと何日と数えている呑気なモノだ。
布団を新調し後はお節のレシピを考える日々である。

  

思い巡らす日々

2024-12-18 18:47:24 | 日記

  束の間の太陽


  幼なじみから嬉しい野菜の贈り物


  息子学生時代の友人の親御さんから無農薬のキウイが届いた。


定期船当番日の朝。
7時半過ぎの定期船から降ろされる新聞を受け取りに新田まで出る。
寝過ごさないよう前日から目覚ましをセットして。
間から吹き込む寒風に負けまいと身構えながら立っていた。

三度目の白菜作りに挑戦した今秋 此所に来て間引きをしながら漸く
5㎝くらいに育ってきた。鍋の季節に間に合うだろうか。
収穫期を逆算して種蒔きをしたけれど進む月日に季節は付いていかなくなって
野菜作りの難しさを感じた年だった。

相も変わらずラジオの聞き逃しを聴きながらの日々 好きな番組「山カフェ」を聴いていた。
今回は山岳写真家の平出和也と中島健郎を忍んでの特集だった。
以前「山カフェ」にゲスト出演していた記憶が蘇りK2登攀前の心境を語っていた。
クライミングパートナーとして登頂困難な未踏のルートパキスタンのシスパーレを制覇したあとの
「山カフェ」出演だったので語り口は滑らかで飄々としていた。

元気で「山カフェ」に戻ってきますと話していた言葉が未だに頭から離れられず 
世界最強と称された二人がK2の未踏ルートに挑み滑落今夏帰らぬ人となった事が未だに信じられずにいる。

再会

2024-12-14 09:08:44 | 日記

  鉛色の空 南国の地にも冬到来


  ピアノ教室で子供達を教えている幼なじみ 少し早めのサンタさんが来た。


  捨てて頂戴と言っていたエソ 渋々魚を捌いていた夫


  久し振りにすり身にして一晩冷蔵庫で寝かせて置いた。


  蒸してエソのかまぼこに 残りはエソの天ぷらを作ろう。



息子達がこの地を離れて四半世紀が過ぎた。折に触れ入らなくなった物を片付けてきたけれど
どうしても手放せなかった物に柔道着がある。
私以上に思い入れも強いだろうと処分を躊躇していたのに処分しても良いよの返答に肩透かしを食らう。
8㌔の鉄アレイが2つ 高齢になった私達には重石にしかならない。

村上春樹と桑田佳祐が好きだったのは知っていた。
段ボール一杯 入りきらず開ける段ボール段ボールにぎっしり入った本
良さを勧めてくれたが正直読んでいない 共有していたら少しは理解できただろうに。

タバコの思い出も蘇る。
息子達は特別だったのか高校生からタバコを吸っていた。夫はタバコにお酒を遣らない。

周りから期待されていた柔道だったが練習中腰を痛め手術後の経過も思わしくなく自暴自棄になって
いたのだろう隠れてタバコを吸っていたのを知っていた。
その内時期が来れば止めるだろうと思って外で吸わないことを条件に許した。

親として失格だったが息子の揺れ動く今を受け入れてあげたかった。
甘ったれかも知れないけれど其れでも良いと自身を納得させながらぶつかり合いながら
多感な時期を過ごした。今でも残っている拳大の壁の穴。

結婚を機に禁煙外来に通うこと数回未だに止められずにいる。タバコの害を知っての喫煙
本人が決めたこと自分を大事にするようにとしか言えない。
あの時止めているべきだったのか分からない。

体当たりの子育てだった 子は親を選べない選んだ親をどう思っているのか
お正月には全員が揃う 話そう昔を語ろう 今お母さんはあなた達の部屋の片付けをしながら
人生の最終章に入った今反省ばかりが脳裏を過るのです。



保阪正康

2024-12-12 22:35:59 | 日記
22才の別れ / 風 (歌詞入り)



概要
人生最後なら何を語り残すか?
戦争がリアルの今 軍指導者や兵士など4千人の証言取材し「戦争」をとい続けた
保阪正康が若者と対話 魂の講義。

NHK見逃し配信 今日が人生の最後の日なら何を伝えたいか?
83歳になる保阪正康が歴史から未来を拓く最後の講義を行なった。
歴史とは何か 何故愚かな戦争をしたのか検証して ジャーナリストとしての彼は
自身の身体を媒体として実証主義的に調べてきた。

下からの積み重ねで多くの生身の人間の声を拾い上げ 彼の言う生きた人間の生身の中に
生きた人間の姿があるという。

学問は歴史がどう動いたのか 法則とかメカニズムについて科学的に勉強するけれど
資料がなかったら 不都合なことに至っては責任が問われないよう無かったことにしてしまう。
ジャーナリストの仕事を選んだ彼は資料が乏しい時代からの歴史を実証的に調べると決断
4千人の証言を聴き書きした先の大戦その中で1:1:8の法則がある事に気づいたという
1ー正直に言う人
1-初めから嘘を言う人 史実にしてはいけない
8-私達 記憶を美化する人
に分けられるらしい 証言を聴くと言うことは見抜くことが大切で今も戦争は政治の延長にある。

折しもノーベル平和賞を受賞した被団協 核抑止力下の平和論があやふやになって核を持つ国の
エゴイズムが支配し被爆国として核の人類史的な宣言を発するべきと彼は言うけれど
残念ながらその役割をしていない

戦争体験者は傷を背負っている人が多いという 4千人に及ぶ聴き書きをしていた彼の
人間の観察眼は研ぎ澄まされ戦争体験者は記憶の中で逃れられないように生きている。
証言を聴くと言うことは半分受け継ぐことであり 何かの時に伝えて行かなければ
次の世代に伝わらない 伝えることによって歴史の教訓としてバトンタッチされ歴史を継承していく。

彼の父も戦争体験者死に間際彼に伝えた
  前事不忘 後事之師 (前事を忘れざるは 後事の師なり)
 前にあったことを心にとどめておけば 後に物事を行なう時に良い参考となる。 

戦争体験者も高齢化 戦争を知らない世代に史実を語り継ぐ事の大切さを痛感した。