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熊本地震により、被害に遭われた方へ早い復興と回復を願います。
只中にいる方も、今たくさんいらっしゃいます。
それと同時に、世界には同様に生きるか死ぬかの窮地にいて、悲しみや不安にさいなまれている方が大勢いることにも
思いを馳せます。
世界に平和を
今、この地球上には家族が病院で生死をさまよっている方、大手術をする直前、あるいはしたばかりの方
ご本人ということもあるでしょう。
不安で心配で仕方がないことでしょう。
いま交通事故にあって、病院に運ばれている方もいるかもしれません。
それが大きいものであれ、小さいものであれ、
それが他のどんな事情であれ、
ご本人や家族にとっては、全身全霊で向かい合っていることでしょう。
どうか、ご自身のこと、ご家族の方を全身全霊で守ってあげてほしいです。
心おきなく。。
熊本で大変なことが起こっているのに、私は何もできない・・なんて思わなくてもいいのです。
いつの時代もどの瞬間にも、このようなことは起こっています。(決して今の熊本で起こっていることを軽く考えているのはないです)
私自身、東北地方太平洋沖地震で、被害に遭いました。
ところが、テレビで放映される場所とは違っていたため、当初誰も知り得ないことでした。
神戸地震の時には、義両親が被害に遭いました。
そんなとき、街中では、寄付だとか運動だとかで
訴えかけてきます。
そういう時はとても心が痛み、なえました。
その時、まるで強制されるような風潮
あれ、あの人祈りの場に出席してないの?
仲間意識は仲間はずれを生み出します。
また、地震などの被害にあってその時期だけが大変なのではありません。
私の場合で言うと、東北地震の後、水もなければお風呂にも入れない、何より原発が怖かったです。
そこで大阪に実家に帰り
そのために、父に負担をかけて、父の具合が悪くなり、そのまま2年闘病の末、亡くなりました。
地震のせいとは言いません。
地震のその場所に関わらず、その時期に関わらず、どこかにそれどころではないという人は必ずいるということ。
それを察する広い視野を持ちたいと思ったものです。
私は今たまたま安全な場所にいます。
たまたま健康でいます。
祈ったり願ったりできることにただただ感謝します。
先日ヨガの先生が言っていました。
人を助けようと思っても自分自身がこの体力気力がなければ、何もできないのだと。
だからこそ、自分自身の心身をまずは鍛えるということが一番大事
そうして、初めて人を助けることができるのです。
人を助けることができる心身の健康が必要です。
そして、それができることに感謝することです。
人と比べて、私の方が幸せとか比べている場合ではないのです。
地球で起こっていることは、すべて自分と同一。
地震、おさまってくれ
地震よ、起こってくれるな
これは祈っても
無理です。
これが自然なのです。(人災=原発事故のような・に関しては全く別問題ですが)
地震だって、地殻でたまりにたまったストレスを発散しなくては、いられないものです。それを抑えればおさえるほと大きな力になってしまいます。
これは、「天のひとつき」といえるかもしれません。
天からのひとつきがないと、気づかないのですね。人間は(私も含めて)
被害に遭っている方にとって、
生きるための最低限のことが早急に必要です。最低限で十分なんです。
こんな時はそれ以上のものを望んではいません。
水、食料、薬、病気や怪我の方は安全に横になれる場所が一刻も早く必要です。
それがなんとか間に合えば、生き延びてこそ!のそのあとです。
本当に必要な人に、早急に適切な助けが届きますように!
そういう意味では、心に訴えかけるような映像は、人を動かすために大きな力を発揮してくれることは確かです。
知らなければ助けることもできないです。
オーラソーマコース中も、
祈ることができる幸せに感謝をしつつ、
世界に平和がもたされること、私たちの心の平和が保たれるよう祈りました。
今日は、ひとりごとのようなものです。
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