昨日新聞を読んでいると2ページ目に「英語 小5から正式教科」と言う見出しが目に飛び込んできた。英語や国際交流など気になるワードが入っている記事は、全て読むようにしています。記事では、小学校における英語教育の要領が変わった、授業時間が増える予定だということについて書かれていた。時代の流れが英語教育の充実化に向かっていることは、いろいろなところで肌で感じることができる今日この頃だった。
そんな時にいつものように自分の過去を思い出してみる。
もし自分が小学生だった時に英語教育が充実する見込みであることを知ったらどう感じていただろうか。正直な話、きっと「え~、いやだな~。」とマイナスなことばかり考えていたに違いない。それくらい英語に全く興味が無かった。僕が10代だった時は、それくらい英語に興味を持つことが無かったし、英語に興味を持つきっかけになるような機会も無かった。
そして、高校に入ると今でも鮮明に覚えているこんなエピソードがある。高校1年生の時の担任の先生は、英語の先生だった。怠慢な日々を過ごしていると、その担任の精製から。「おーい。○○、お前の成績では、高校に来た意味が無いぞ。」かなりショックな一言を頂く。そして、高校2年生になった時にクラス替えがあり、新しい担任も英語の先生で、その先生からは、「君の成績で、大学入った生徒は、過去にはいない。」とさらに衝撃的なお言葉を頂いた。考えてみれば、高校に入ってから勉学に対するモチベーションが一気に下がり、髪を染めて不良っぽく気取ったり、授業をサボって街をどこにいくともなく彷徨ったり、そんな怠慢な生活を送っていたので、先生方の頭の中によぎった僕への印象と発言は、適当だったと思う。こんなエピソードも相まって、僕は、英語に対するモチベーションは、さらに上がらなくなっていた。
話が逸れたが、僕は、英語を勉強する意味が全く分からなかった。(他の教化も同様だった。)
英語は、自分の人生とは関係ないもの、受験に必要な面倒くさいものくらいのものだった。
それでは、どうしたら10代の学生の頃の僕が、英語に興味を持つことができただろうか。完全に自分自身の推測と考えで書くのだが、下記のような英語の先にある将来がイメージできる話を聞く機会や、実際に体験できていれば、英語に対して興味を持てていたかもしれない。
英語ができれば、世界中の人と友達になれるかもしれない。
英語ができれば、英語を使って仕事ができるかもしれない。
完璧な英語じゃなくても、英語を使ってコミュニケーションしている人たちはたくさんいること
実際に英語を使って通じた時の喜びを体感できる機会
英語は、英語が得意な人だけの特別なものではない。言葉だから、誰にとっても使える可能性があり、自分自身が英語を話すから意味があること、
英語で自分自身の可能性を広げることができる可能性があること
などなど、いろいろあるのだが、簡単に言うと近くに英語や英語の先にあるものをイメージできるような話をして下さる人がいたり、英語へのモチベーションが上がる体験ができる機会があったならば、ひょっとしたら僕は、英語に対するモチベーションが上がっていたのかもしれないと思っている。
僕の家族は、僕が高校生になるまで誰も海外に行ったことが無かったし、英語を話せる人も誰もいなかった。そういった環境で植えつけられた英語のイメージは、海外 = 危険が一杯、と言うようなかなり短絡的なものだった。
本当に偉そうに聞こえるかもしれないが、授業で英語を楽しんだり学んだりする機会が増えることは、とっても良いことであることは間違いないが、実際に英語で人生を切り開いた日本人の講師に呼んで、話を聞く機会などがあれば、僕のような全く英語に無関心だった子供も英語に対するモチベーションが上がるのではないだろうかと思っている。
僕は、昔から人と話すことが大好きだった。英語が上達したら話せる人の数がものすごく増えた。単純に英語を学ぶ前に、英語ができれば、大好きな話がもっとたくさんの人とできる、また、そんな機会が10代の頃にあったら、もしかしたら、英語だけ得意な高校生を送れていたのかも?なんて欲深い気持ちまで湧いてきてしまう。
僕にとっては、「人と話すことが好き。」と言うことと英語をつなげることでモチベーションがあがるのだが、子供たちの中には、スポーツ、音楽、ゲーム、アニメなどなど、既に興味があるものに英語をつけたら可能性が広がりそうなトピックが既にたくさん存在している。そういった興味に対して英語をマッチングさせられるような授業や機会があったら、きっと英語に対するイメージが変わるんじゃないかっと思う。
僕は、ナイキのスニーカーが好きだった。高校生の頃、英語が出来たら、もしかしてスニーカーブームでスニーカーの値段が法外に高騰している中で1人涼しい顔して輸入した人気のスニーカーを履けてたのかもしれない。(おかげさまで、今は、簡単な輸入なら自分でできるようになった。)
英語に早い段階から興味を持つことについて書いてきたが、最後に言いたいのは、学習を始めるのが結果的に遅くても良いということだ。
今だから、過去を振り返ってもしこんな風にすれば自分も英語に興味が持てていたかも、と推測して書いてきたが、当時の自分には戻れないので、結局的にどんな機会があって、どんな素晴らしい人からモチベーションが上がるような話を聞いたとしても英語に興味を持っていなかった可能性が十分にあることを書いておきたい。
僕は、結局20歳を超えてから英語に真剣に向き合った。サークルには、昔から英語を勉強している人、最近英語を始めた人、英語の上達を感じている人、また、上達しないで悩んでいる人、たくさんの人がそれぞれの関わり方で英語に接している。そんな方々を見ていて、共通して感じることは、皆さん大なり小なり英語に興味があって、楽しんでおられるということだ。
だから、英語を勉強したいと思った時が、英語を始めるのにベストな時だと信じて疑わない。
僕は、僕で子供たちにとって良い影響を与えることができるサークル活動の在り方を検討している。
日本政府は、日本と言う大きなスケールで英語教育を考えて、私は、小さなサークルの代表として小さなスケールで早期の英語教育、いや、英語教育ではなく、英語の先にあるものをイメージできるような機会の創出を考え、実行して行きたい。
そんな時にいつものように自分の過去を思い出してみる。
もし自分が小学生だった時に英語教育が充実する見込みであることを知ったらどう感じていただろうか。正直な話、きっと「え~、いやだな~。」とマイナスなことばかり考えていたに違いない。それくらい英語に全く興味が無かった。僕が10代だった時は、それくらい英語に興味を持つことが無かったし、英語に興味を持つきっかけになるような機会も無かった。
そして、高校に入ると今でも鮮明に覚えているこんなエピソードがある。高校1年生の時の担任の先生は、英語の先生だった。怠慢な日々を過ごしていると、その担任の精製から。「おーい。○○、お前の成績では、高校に来た意味が無いぞ。」かなりショックな一言を頂く。そして、高校2年生になった時にクラス替えがあり、新しい担任も英語の先生で、その先生からは、「君の成績で、大学入った生徒は、過去にはいない。」とさらに衝撃的なお言葉を頂いた。考えてみれば、高校に入ってから勉学に対するモチベーションが一気に下がり、髪を染めて不良っぽく気取ったり、授業をサボって街をどこにいくともなく彷徨ったり、そんな怠慢な生活を送っていたので、先生方の頭の中によぎった僕への印象と発言は、適当だったと思う。こんなエピソードも相まって、僕は、英語に対するモチベーションは、さらに上がらなくなっていた。
話が逸れたが、僕は、英語を勉強する意味が全く分からなかった。(他の教化も同様だった。)
英語は、自分の人生とは関係ないもの、受験に必要な面倒くさいものくらいのものだった。
それでは、どうしたら10代の学生の頃の僕が、英語に興味を持つことができただろうか。完全に自分自身の推測と考えで書くのだが、下記のような英語の先にある将来がイメージできる話を聞く機会や、実際に体験できていれば、英語に対して興味を持てていたかもしれない。
英語ができれば、世界中の人と友達になれるかもしれない。
英語ができれば、英語を使って仕事ができるかもしれない。
完璧な英語じゃなくても、英語を使ってコミュニケーションしている人たちはたくさんいること
実際に英語を使って通じた時の喜びを体感できる機会
英語は、英語が得意な人だけの特別なものではない。言葉だから、誰にとっても使える可能性があり、自分自身が英語を話すから意味があること、
英語で自分自身の可能性を広げることができる可能性があること
などなど、いろいろあるのだが、簡単に言うと近くに英語や英語の先にあるものをイメージできるような話をして下さる人がいたり、英語へのモチベーションが上がる体験ができる機会があったならば、ひょっとしたら僕は、英語に対するモチベーションが上がっていたのかもしれないと思っている。
僕の家族は、僕が高校生になるまで誰も海外に行ったことが無かったし、英語を話せる人も誰もいなかった。そういった環境で植えつけられた英語のイメージは、海外 = 危険が一杯、と言うようなかなり短絡的なものだった。
本当に偉そうに聞こえるかもしれないが、授業で英語を楽しんだり学んだりする機会が増えることは、とっても良いことであることは間違いないが、実際に英語で人生を切り開いた日本人の講師に呼んで、話を聞く機会などがあれば、僕のような全く英語に無関心だった子供も英語に対するモチベーションが上がるのではないだろうかと思っている。
僕は、昔から人と話すことが大好きだった。英語が上達したら話せる人の数がものすごく増えた。単純に英語を学ぶ前に、英語ができれば、大好きな話がもっとたくさんの人とできる、また、そんな機会が10代の頃にあったら、もしかしたら、英語だけ得意な高校生を送れていたのかも?なんて欲深い気持ちまで湧いてきてしまう。
僕にとっては、「人と話すことが好き。」と言うことと英語をつなげることでモチベーションがあがるのだが、子供たちの中には、スポーツ、音楽、ゲーム、アニメなどなど、既に興味があるものに英語をつけたら可能性が広がりそうなトピックが既にたくさん存在している。そういった興味に対して英語をマッチングさせられるような授業や機会があったら、きっと英語に対するイメージが変わるんじゃないかっと思う。
僕は、ナイキのスニーカーが好きだった。高校生の頃、英語が出来たら、もしかしてスニーカーブームでスニーカーの値段が法外に高騰している中で1人涼しい顔して輸入した人気のスニーカーを履けてたのかもしれない。(おかげさまで、今は、簡単な輸入なら自分でできるようになった。)
英語に早い段階から興味を持つことについて書いてきたが、最後に言いたいのは、学習を始めるのが結果的に遅くても良いということだ。
今だから、過去を振り返ってもしこんな風にすれば自分も英語に興味が持てていたかも、と推測して書いてきたが、当時の自分には戻れないので、結局的にどんな機会があって、どんな素晴らしい人からモチベーションが上がるような話を聞いたとしても英語に興味を持っていなかった可能性が十分にあることを書いておきたい。
僕は、結局20歳を超えてから英語に真剣に向き合った。サークルには、昔から英語を勉強している人、最近英語を始めた人、英語の上達を感じている人、また、上達しないで悩んでいる人、たくさんの人がそれぞれの関わり方で英語に接している。そんな方々を見ていて、共通して感じることは、皆さん大なり小なり英語に興味があって、楽しんでおられるということだ。
だから、英語を勉強したいと思った時が、英語を始めるのにベストな時だと信じて疑わない。
僕は、僕で子供たちにとって良い影響を与えることができるサークル活動の在り方を検討している。
日本政府は、日本と言う大きなスケールで英語教育を考えて、私は、小さなサークルの代表として小さなスケールで早期の英語教育、いや、英語教育ではなく、英語の先にあるものをイメージできるような機会の創出を考え、実行して行きたい。
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