<お知らせ>
ブログお引っ越ししました。お引っ越し先はfc2ブログです。
コチラ(←クリック)に新装開店しました。
これからも宜しくお願いします。
マムより
<奈良 普門山 圓照寺>
住所 奈良市山町1312
交通 近鉄奈良駅より「山村町」行きバス
円照寺前下車徒歩5分
・ ・ ・ ・ ・
山号 普門山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 如意輪観音
* 華道「山村御流」の家元
* 山門より先は非公開
円照寺を拝観したのは2010年2月10日のことです。
細かな雨が降りそぼる寒い日でした。
拝観不可で有名なこの御寺になぜ入ることができたか、
皆さん不思議にお思いのことと思います。
答はとても簡単です。
あまりどころか、殆ど知られていませんが
奈良交通が春先に観光バスをしたてています。
観光パンフレットに円照寺の名前を見つけた時は
小躍りしたものです。
この日、バスガイドさんが何度も何度も
「敷石から絶対足をはずさないでください」と
大声をだされたのが、静かな御寺に響き苦笑
したものです。
少しでも落ち度があればこの拝観ツアーは
中止になるらしく、バスガイドさんは
とても神経質でした。
そういうわけで、シダやらナラの木が生い茂る
参道脇に苔むした石段や獣道のような小道に
目がいっても、ひとり列をはなれることができず、
私は翌日もひとりでこの御寺へとやってきました。
昨日は20名ほどの人々と訪れたのですが、
その時でさえ、その森閑としたさまに
身をただしたのですが、ひとりだと
それに畏怖が加わります。
このようなところにて女性であるというのに
門跡として暮らすにはどれほどの修行をつめば
いとやすき心持になるのでしょう。
このお寺が人に知られるようになったきっかけは
昭和天皇の妹君
・・・謎につつまれた悲劇の皇女
(文春文庫)河原敏明著
の出版です。
この本の内容の真意はさだかではありませんが
驚くに値するものです。
・ ・ ・
前門跡山本静山尼(平成2年入寂)さまは
昭和天皇のお妹さま(絲子さま)。
末弟君三笠宮殿下と双子であったとのこと。
昔は双子は畜生腹といい、忌み嫌われた
といいます。
そのために絶対かん口令のもとに京都の
山本子爵家に里子にだされたといわれ
ています。
天皇家の血のまじったお子がうまれないように
との配慮で、8歳で得度しこの森閑とした寺で
小学校にも上がらず79歳の生涯を終えられて
います。
<山村御流お家元>
・ ・ ・
門の手前右に石段があります。
西国三十三所霊場です。
登りつめると弘法大師を祀る
大師堂がありました。
小雨は降りやまず寒く
小鳥のさえずりひとつきこない
空間です。
大師堂前には観音石仏が三十三体。
舟形を背にした浮彫の観音菩薩像は
どれひとつとして同じ顔がありません。
三島由紀夫の長編小説、「春の雪」「奔馬」
「暁の寺」「天人五衰」に出てくる月修寺は
この御寺をモデルとしています。
取材で、静山尼さまにあった三島は
「この世のものとも思えないほどの気品で
、ただ絶世の一語につきる」と言っています。
三島由紀夫は美しい女性を表現する時によく
「臈長けた(ろうたけた)」という言葉を
使いましたが、静山尼さまはまさに
臈長けたお方だったのでしょう。
弘法大師堂をあとにして
今度は参道の左のまるで獣道のような
坂をのぼりましょう。
シダと熊笹におおわれた小径をはいって行くのは
それだけでも心細いのですが、その路がいきなり開けたと
思うと、
全身が強張ってしまいました。
<円照寺八島地蔵尊 >
この先を進むと崇道天皇ご陵があるとの道標でしたが
さすがにこれ以上進む勇気がなく、
この参道散策はここにておしまいです。
普門山 圓照寺 いかがでしたか。
拝観をお望みの方は、
今季の奈良交通の円照寺ツアーは2月9日16日23日/3月1日
です。0742-22-5110に問い合わせてみてください。
あしひきの山ゆきしかば
やま人の われに得しめし
山つとぞこれ
前回/次回
*掲載画像および文章の転載を禁じます。
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マムより
<奈良 普門山 圓照寺>
住所 奈良市山町1312
交通 近鉄奈良駅より「山村町」行きバス
円照寺前下車徒歩5分
・ ・ ・ ・ ・
山号 普門山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 如意輪観音
* 華道「山村御流」の家元
* 山門より先は非公開
円照寺を拝観したのは2010年2月10日のことです。
細かな雨が降りそぼる寒い日でした。
拝観不可で有名なこの御寺になぜ入ることができたか、
皆さん不思議にお思いのことと思います。
答はとても簡単です。
あまりどころか、殆ど知られていませんが
奈良交通が春先に観光バスをしたてています。
観光パンフレットに円照寺の名前を見つけた時は
小躍りしたものです。
この日、バスガイドさんが何度も何度も
「敷石から絶対足をはずさないでください」と
大声をだされたのが、静かな御寺に響き苦笑
したものです。
少しでも落ち度があればこの拝観ツアーは
中止になるらしく、バスガイドさんは
とても神経質でした。
そういうわけで、シダやらナラの木が生い茂る
参道脇に苔むした石段や獣道のような小道に
目がいっても、ひとり列をはなれることができず、
私は翌日もひとりでこの御寺へとやってきました。
昨日は20名ほどの人々と訪れたのですが、
その時でさえ、その森閑としたさまに
身をただしたのですが、ひとりだと
それに畏怖が加わります。
このようなところにて女性であるというのに
門跡として暮らすにはどれほどの修行をつめば
いとやすき心持になるのでしょう。
このお寺が人に知られるようになったきっかけは
・・・謎につつまれた悲劇の皇女
(文春文庫)河原敏明著
の出版です。
この本の内容の真意はさだかではありませんが
驚くに値するものです。
・ ・ ・
前門跡山本静山尼(平成2年入寂)さまは
昭和天皇のお妹さま(絲子さま)。
末弟君三笠宮殿下と双子であったとのこと。
昔は双子は畜生腹といい、忌み嫌われた
といいます。
そのために絶対かん口令のもとに京都の
山本子爵家に里子にだされたといわれ
ています。
天皇家の血のまじったお子がうまれないように
との配慮で、8歳で得度しこの森閑とした寺で
小学校にも上がらず79歳の生涯を終えられて
います。
<山村御流お家元>
・ ・ ・
門の手前右に石段があります。
西国三十三所霊場です。
登りつめると弘法大師を祀る
大師堂がありました。
小雨は降りやまず寒く
小鳥のさえずりひとつきこない
空間です。
大師堂前には観音石仏が三十三体。
舟形を背にした浮彫の観音菩薩像は
どれひとつとして同じ顔がありません。
三島由紀夫の長編小説、「春の雪」「奔馬」
「暁の寺」「天人五衰」に出てくる月修寺は
この御寺をモデルとしています。
取材で、静山尼さまにあった三島は
「この世のものとも思えないほどの気品で
、ただ絶世の一語につきる」と言っています。
三島由紀夫は美しい女性を表現する時によく
「臈長けた(ろうたけた)」という言葉を
使いましたが、静山尼さまはまさに
臈長けたお方だったのでしょう。
弘法大師堂をあとにして
今度は参道の左のまるで獣道のような
坂をのぼりましょう。
シダと熊笹におおわれた小径をはいって行くのは
それだけでも心細いのですが、その路がいきなり開けたと
思うと、
全身が強張ってしまいました。
<円照寺八島地蔵尊 >
この先を進むと崇道天皇ご陵があるとの道標でしたが
さすがにこれ以上進む勇気がなく、
この参道散策はここにておしまいです。
普門山 圓照寺 いかがでしたか。
拝観をお望みの方は、
今季の奈良交通の円照寺ツアーは2月9日16日23日/3月1日
です。0742-22-5110に問い合わせてみてください。
あしひきの山ゆきしかば
やま人の われに得しめし
山つとぞこれ
前回/次回
*掲載画像および文章の転載を禁じます。