白マムの以心伝心

タイトル「日本のこと 日本のもの」
をあらためました。
オーフェン・マムの
とりとめのない雑多なブログです。

奈良 円照寺(山村御殿)その3

2012-02-05 13:58:41 | 円照寺・興福院・正暦寺
<お知らせ>
ブログお引っ越ししました。お引っ越し先はfc2ブログです。
コチラ(←クリック)に新装開店しました。
これからも宜しくお願いします。

マムより

  



<奈良 普門山 圓照寺>


  



住所 奈良市山町1312
交通 近鉄奈良駅より「山村町」行きバス
円照寺前下車徒歩5分
 ・ ・ ・ ・ ・
山号 普門山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 如意輪観音
*  華道「山村御流」の家元
*  山門より先は非公開









円照寺を拝観したのは2010年2月10日のことです。
細かな雨が降りそぼる寒い日でした。

拝観不可で有名なこの御寺になぜ入ることができたか、
皆さん不思議にお思いのことと思います。
答はとても簡単です。
あまりどころか、殆ど知られていませんが
奈良交通が春先に観光バスをしたてています。
観光パンフレットに円照寺の名前を見つけた時は
小躍りしたものです。


この日、バスガイドさんが何度も何度も
「敷石から絶対足をはずさないでください」と
大声をだされたのが、静かな御寺に響き苦笑
したものです。
少しでも落ち度があればこの拝観ツアーは
中止になるらしく、バスガイドさんは
とても神経質でした。

そういうわけで、シダやらナラの木が生い茂る
参道脇に苔むした石段や獣道のような小道に
目がいっても、ひとり列をはなれることができず、
私は翌日もひとりでこの御寺へとやってきました。





昨日は20名ほどの人々と訪れたのですが、
その時でさえ、その森閑としたさまに
身をただしたのですが、ひとりだと
それに畏怖が加わります。

このようなところにて女性であるというのに
門跡として暮らすにはどれほどの修行をつめば
いとやすき心持になるのでしょう。


このお寺が人に知られるようになったきっかけは



昭和天皇の妹君
・・・謎につつまれた悲劇の皇女
(文春文庫)河原敏明著



の出版です。


この本の内容の真意はさだかではありませんが
驚くに値するものです。

 ・ ・ ・

前門跡山本静山尼(平成2年入寂)さまは
昭和天皇のお妹さま(絲子さま)。
末弟君三笠宮殿下と双子であったとのこと。
昔は双子は畜生腹といい、忌み嫌われた
といいます。
そのために絶対かん口令のもとに京都の
山本子爵家に里子にだされたといわれ
ています。
天皇家の血のまじったお子がうまれないように
との配慮で、8歳で得度しこの森閑とした寺で
小学校にも上がらず79歳の生涯を終えられて
います。



<山村御流お家元>

 ・ ・ ・

 

門の手前右に石段があります。











西国三十三所霊場です。
登りつめると弘法大師を祀る
大師堂がありました。












小雨は降りやまず寒く
小鳥のさえずりひとつきこない
空間です。

大師堂前には観音石仏が三十三体。
舟形を背にした浮彫の観音菩薩像は
どれひとつとして同じ顔がありません。












三島由紀夫の長編小説、「春の雪」「奔馬」
「暁の寺」「天人五衰」に出てくる月修寺は
この御寺をモデルとしています。


取材で、静山尼さまにあった三島は
「この世のものとも思えないほどの気品で
、ただ絶世の一語につきる」と言っています。








三島由紀夫は美しい女性を表現する時によく
「臈長けた(ろうたけた)」という言葉を
使いましたが、静山尼さまはまさに
臈長けたお方だったのでしょう。







弘法大師堂をあとにして
今度は参道の左のまるで獣道のような
坂をのぼりましょう。








シダと熊笹におおわれた小径をはいって行くのは
それだけでも心細いのですが、その路がいきなり開けたと
思うと、







全身が強張ってしまいました。









<円照寺八島地蔵尊 >





この先を進むと崇道天皇ご陵があるとの道標でしたが
さすがにこれ以上進む勇気がなく、
この参道散策はここにておしまいです。








普門山 圓照寺 いかがでしたか。

拝観をお望みの方は、
今季の奈良交通の円照寺ツアーは2月9日16日23日/3月1日
です。0742-22-5110に問い合わせてみてください。





         あしひきの山ゆきしかば
           やま人の われに得しめし 
          山つとぞこれ



  

                                        前回/次回


      






*掲載画像および文章の転載を禁じます。

節分

2012-02-05 11:23:51 | 風物詩


<鬼をよせつけない結界、あるいは勧請縄の役目>


声をだして豆まきをしましたか?


3日は、日中はお日様が照り温かでしたが
夜は空気が冷たくて、
まるで糸電話のように、ピンとはった糸が
どんなに些細な音も伝えてくれそうでした。

でも、
期待した音。
声はどこからも聞こえてきませんでした。

私が子供の頃、昭和時代の節分の日といえば
夜になると家々から
「鬼は外 福は内」と威勢のよい声が
聞こえてきたものです。

いつの頃からでしょうか。
気がつくと、節分の日は普段の夜と
同じしじまに包まれています。


どうして大きな声をだして豆まきしないの?
と、
問うと、
答はみな同じです。

「恥ずかしい」。

そういえば、豆まきにかぎらず、家々から
大きな笑声やら、叱りつける声やらが聞かれないように
なって久しいですね。

これは淋しいことだなあと私は思います。


さて、
子どもの頃の節分にはふたつの忘れられない
思い出があります。


ひとつは、少し恥ずかしい思い出です。

常日頃からなにかにつけて一方的で高圧的な父が
母をなじりだし、それに飽きると家を出て行きました。
父になじられている間、黙って耐えていた母は
父の姿が見えなくなると、やおら豆をわしづかみして
庭にむかって投げつけて
「鬼は外 鬼は外」と声あげた、というより
おらびだしたのでした。

このことに私は感傷的なものを盛り込むつもりはありません。
ただただ忘れ得ぬ思い出です。


ふたつめの思い出は、幼馴染のKちゃんことです。

kちゃんの家は由緒のある古くからの顔役さんの家です。
豪壮な家は堀に囲まれて石橋を渡り門をくぐるなまこ塀
のお家です。

節分の日に母と駄菓子屋さんに豆を買いにいくとKちゃんと
お母さんがやはり豆を買いにきていました。
kちゃんのお母さんは落花生をたくさん買い求めます。
いぶかしがった私の母が「なぜ」と問うと、
おばちゃんは「豆をまくと不潔だから食べられないでしょ。
落花生だったらだいじょうぶでしょ」と。
昭和30年代末のこと、衛生感覚がいまほど行きとどいて
おらず、それを聞いた私は、今でいうところの
カルチャーショックを受けてしまいました。
そして、今思えば笑えますが、本気で
「家柄の差」を感じ傷ついたのでした。
その当時の我が家は家中に落ちた豆を拾って口にいれて
いたのですから。


さて、節分ですが、季節の変わり目には邪鬼(邪気)が
生じやすいということではじまった「お祓い」が元。

多分この季節は流感が猛威をふるい多くの人が命を落としたのでは
ないでしょうか。
それが邪気、お祓い、となったのでしょう。

ウィキペディアをのぞいて、「アレ?」と思ったことがひとつ。
節分は3日とはかぎらないということ。
4日の時もある。
もっといえば、
1984年までは、4年に1度の閏年2月4日だった。


4年に一度!?
一生懸命記憶をたどるのですが、子供の頃4年に1度だったのやら?
母が生きていれば、問うのですが、それもかなわず、
皆さんの記憶はどうですか?
それともウィキペディアの文章の解釈を私が間違っているのでしょうか。
どなたかご教示をくださればと思います。

*上記↑についての追記
   たびささんがコメントをくださいましたの
   でコメント欄をご覧ください。*



なににせよ、節分の日くらい、隣近所を気にせずに
大きな声をだして鬼を追い払い福を呼び込みたいものです。
特に、このような世の中ですから。




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