白マムの以心伝心

タイトル「日本のこと 日本のもの」
をあらためました。
オーフェン・マムの
とりとめのない雑多なブログです。

芥川賞のことあれこれ その5

2012-02-24 16:30:25 | 本棚

村上龍が受賞した1年後。
昭和52年(1977年)77回受賞作は

池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」です。


選考委員

井上 靖
遠藤 周作
大江 健三郎
瀧井 孝作
中村 光夫
永井 龍男
丹羽 文雄
安岡 章太郎
吉行 淳之介


選考委員に遠藤周作がくわわり
安岡章太郎、吉行淳之介と
第三の新人といわれる世代の作家が
3人となります。

といってなにか新しい選考風景がひろがる
かというとそういうこともない。
それがまた第三の新人らしいのですが。
しかし文士文豪が欠けていき、いれかわりに
第一線の売れっこであり、小説家として肝の
すわった作家がはいったということは
芥川賞にとっては私見ですが、
プラスだったと思えます。





この作品に対して選評はまっ2つに分かれます。


遠藤周作は、


「真向から意見が二つに分れたところにこの作品の
性格がある。私はこの作品を支持した。」
「決して前衛的な小説ではない。」
「耳で聞える声と眼に見えるものの描写しかない。
にもかかわらず電話に反応する二人の白人の女の
なまなましい嫉妬は、彼女たちの動きで
なまなましく伝わってくる。」
「いずれにしろ、この作者の資質を否定
することはできない筈である。」

と述べ、
中村光夫は 

「抜群の出来です。」という言葉を使っています。


ところが、当時文藝春秋編集長として司会を
務めた半藤利一氏が証言するには、
前年の村上龍の受賞にも猛反対した
永井龍男は

「俺に意見はもうない。戦死だ。」

という言葉を発し、選考後に
料理がだされると手をつけず
「本日はこれにて失礼する」と席をたたれ
自ら選考委員を退いたそうです。

村上龍、池田満寿夫と続いた正統芥川賞から
逸脱した(永井からみて)小説に堪忍袋の緒が
切れてしまったのでしょう。

見事な引き際ですね。
芥川賞は受賞側にも物語がありますが、
選考委員にもさまざまな模様が織りなされて
います。

半藤さんは選考委員の思い出として三島由紀夫
のことも週刊文春2月2日号にてのべておられます。

『「三島由紀夫は選考会が終わると、雑談をしながら
選評をサラサラと書き一字の直しもなく
料理も食べずに「それじゃあ」と帰っていく。
格好良かった」。』

これはもう三島のコテコテの美学ですよね。


わたくしは思うのですが、芥川賞受賞に至らずも
あるいは酷評されたとしても三島由紀夫や川端康成他
の綺羅星の作家につつかれただけでも大金星では
ないでしょうか。


問題は村上春樹です。



  



                                         前回/次回

*芥川賞あれこれ ///////


参考文献・参考ウェブ
芥川賞90人のレトリック 彦素 勉 / 回想の芥川・直木賞 永井 龍男
/芥川賞の研究―芥川賞のウラオモテ(1979年) 永井 龍男
/文藝春秋/週刊文春/ウエブ 芥川賞のすべて・のようなもの




*「芥川賞のすべて・のようなもの」はとても優秀なサイトです。
興味のある方は是非ご覧下さい。
引用に関しては管理者の許可を得ていることを明記
いたします。


芥川賞のことあれこれ その4

2012-02-24 09:02:14 | 本棚


「赤頭巾ちゃん気をつけて」の次に
お祭騒ぎになった受賞作といえば、
昭和51年(1976年)75回受賞作

村上龍の「限りなく透明に近いブルー」です。


選考委員

井上 靖
瀧井 孝作
中村 光夫
永井 龍男
丹羽 文雄
安岡 章太郎
吉行 淳之介





この作品を受賞した時、村上龍は美大在学中
の学生でした。
内容は、福生(米軍基地)での女と薬の日々を描いた
反道徳的(大時代的言い回し)ということで、
群像新人賞を受賞したときから、彼をとりまく
状況はまるでカーニバルのような騒々しさでした。

が、

芥川賞選考委員の積極的支持は過半数をとるうえ
選評も非常によいものでした。
芥川賞受賞作品の中で「赤頭巾ちゃん」にならぶ
好意的選評です。

例えば吉行淳之介は

「この数年のこの賞の候補作の中で、その資質は群を抜いており、
一方作品が中途半端な評価しかできないので、困った。」
「どこを切っても同じ味がする上にやたら長く、半ばごろの
「自分の中の都市」という理窟のような部分に行き当って、
一たん読むのをやめた。」「作品の退屈さには目をつむって、
抜群の資質に票を投じた。この人の今後のマスコミとの
かかわり合いを考えると不安になって、「因果なことに才能がある」
とおもうが、そこをなんとか切り抜けてもらいたい。」

と言い、丹羽文雄は

「芥川賞の銓衡委員をつとめるようになって三十七回目になるが、
これほどとらまえどころのない小説にめぐりあったことはなかった。
それでいてこの小説の魅力を強烈に感じた。」
「若々しくて、さばさばとしていて、やさしくて、
いくらかもろい感じのするのも、この作者生得の抒情性のせいであろう。」
「二十代の若さでなければ書けない小説である。」

と、褒めています。
そして中村光夫にいたっては、

「無意識の独創は新人の魅力であり、
それに脱帽するのが選者の礼儀でしょう。」

とまでのべています。



ここまで言われると、三島由紀夫や
川端康成の選評をきいてみたかった
ものですが、すでに泉下の人です。


この後、村上龍は村上春樹さえも憧憬する
「コインロッカー ベイビーズ」を出し
才能をあますところなくみせつけます。








その頃の村上春樹は「風の歌を聴け」で龍に
遅れること3年で群像新人賞を受賞したにも
かかわらず芥川賞をのがし、次作の
「1973年のピンボール」がまたも芥川賞を
のがすというヤレヤレ的騒動の渦中でした。







ヤレヤレ・・・だいじょうぶマイ フレンド・・・。

                                        前回/次回

*芥川賞あれこれ ///////


参考文献・参考ウェブ
芥川賞90人のレトリック 彦素 勉 / 回想の芥川・直木賞 永井 龍男
/芥川賞の研究―芥川賞のウラオモテ(1979年) 永井 龍男
/文藝春秋/週刊文春/ウエブ 芥川賞のすべて・のようなもの




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いたします。


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