火伏せの神様として知られる、愛宕神社。
東京23区では最も標高が高い愛宕山の山頂にあり、参道にある非常に急な石段が有名。
朱色の大鳥居の先に急勾配の出世の石段!
新年を迎えたというのに、まだイチョウの黄葉が見られました!
石段を上る前に大鳥居の前で一礼して、
鳥居をくぐるといきなり急な86段の石段
この石段は「出世の石段」といってビジネスマンや受験生に人気みたいです。
傾斜が急で一段の高さも高いため、登っていて怖い
三代将軍・徳川家光が愛宕神社の下を通った時、山頂の梅を見て
「誰か馬に乗ってあの梅を取ってこい」と。
愛宕山は非常に険しく、歩いて登るのもやっとなほどの急勾配。
家光の気まぐれに誰も名乗り上げないなか、馬に乗って石段を登り始める曲垣平九郎。
平九郎は見事愛宕山の山頂で梅を手折り、徳川家光に梅を献上しました。
徳川家光は卓越した馬術の腕と鍛錬に励んだ努力を認め、「日本一の馬術の名人」と讃えました。
当時無名だった家臣・曲垣平九郎の名は、たった1日にして全国に知れ渡ったのです。
愛宕神社の石段が出世の石段と呼ばれるようになりました。
人が上り下りするだけでも大変なのにこの階段を
本当に馬で登れるの?って思いました!
息も絶え絶えで登ぼって
殉皇烈士十二女の碑
日本がポツダム宣言を受諾して降伏するという情報が流れると、
終戦に反対する同志らが愛宕山に集結して、終戦を推進する木戸幸一、近衛文麿らを襲撃する計画を立てていました。
しかし終戦は行われ、追い詰められた同志らは19日に再度、愛宕山に集結します。
警視庁は愛宕山を包囲し、もはやこれまでと22日、手榴弾をもって自決。
ご婦人も同じ場所にて拳銃をもって後追い自決します。
ふと…亡き父に思いを馳せました。
人間魚雷・回天の訓練中に終戦になり、どのような思いで戦後を生き抜いてきたのか…
また、こちらは西郷隆盛と勝海舟が江戸城無血開城を協議した場所でもあるようです。
この赤い門は「丹塗りの門」
門をくぐって社殿へと向かいます。
そんなに広い境内では無いけれど…
手水舎
本殿
愛宕神社は、慶長8(1603)年に徳川家康公の命により、防火の神様として創建されました。
主祭神「火産霊命(ほむすびのみこと)」を祀る社殿。火の神様。
愛宕神社のある愛宕山は、標高25.7m。天然の山としては東京23区で一番の高さを誇ります。
現在のような高層ビルが建つ前の江戸時代には、海や街を見渡せたのでしょうね。
石段は全部で85段ありましたが、一段一段が高くて段数のわりに大変でした。
階段を登る時はあまり怖くないのですが、行きはよいよい~帰りは恐い~!
階段での下山は恐怖で足がすくみました。
正面の階段以外にとなりにもう少しゆるやかな階段があって、
そちらは一段一段が低いので楽に降りられました。
この歳で、出世は望みません~!
階段上ったところに駐車場があったので車でも参拝できるかも知れません^ ^