いだてん、ここ数回辛くて悲しくてしょうがないです。
あと志ん生が可愛げよりクズが勝っていてドラマなのに結構苛々する😩
私なら許さんのに、奴の周りみんな甘いんだから。でも面白いわ。
美川のウオトカ…
絵葉書ポストに入れるところがもうフラグ丸出しでもう悲しくて泣きそうになってしまった。ロシア人の日本人狩り。辛いよう。
あーーやっと戦争終わった…辛かった
大連の町並み、四十年近く前に船(鑑真号)で行った時のこと思い出しました。
大連は水餃子が美味しかったことと、旅行社の方に助けてもらったことしか覚えてないんですが。
中国自由旅行はハプニングだらけで今思い返したら若いからいけたんだなと思う。
反日感情もまったくなかったころで、若い娘五人、うろうろしまくり、わりとどこでも親切にしてもらえました。困ったのは朝昼晩とご飯の時間が完全に全土で決まっていて、間の時間はお店が一切開いてなかったのです。当時。
上海に入り、そこから汽車で北の大連・ハルビン・チチハルなどを回ったのですがそこらへんはまだすごい田舎で、だから食べそこねたら大変でした。
当然コンビニどころか小売店などもあるわけもなく。
私達は寝坊したりダラダラしてたりして営業時間をはずしてしまったりして、数回いろんなお店で「リャンピャオ(配給券)メイヨー(ないです)」と言って外貨券で余りものの花巻(肉まんの肉のないの)を分けてもらったりしました。
最終目的地の北京に着いたときは夢の国かと思いましたよ。
素晴らしい現代社会。大都会!
ホテルは冷房が効いていて水に氷が入っていて臭くなくて、そしてロビーラウンジではカレーライスまで食べることが出来たのですね。上海までの飛行機チケットはコンピューターで発券されるし!!手書きじゃないんですよ切符が!!
そして当時は「中国では外国人から泥棒したら死刑になる」って言われていたんですよ。
中国で知り合ったひとびとからも真面目に
「私たちは外国の人から物やお金は盗みません。なぜなら死刑になるからです」
って言われてそれを信じたので、ほんとに今思うとめっちゃ無防備にうろうろしていました。
実際そういう意味で嫌な思いは一切しませんでした。牧歌的で素敵な国だったんですが。
服務員や食堂の若い女の人に「どんな化粧品使ってるの」って聞かれてきゃあきゃあして見せたり付けてあげたりしました。
食堂ではお返しにか水餃子が山盛りになって出てきたなー。ものすごいものすごい量で、美味しいか美味しいかって十人くらいに囲まれる中食べました。
若い食欲をもってしても当然食べ切れなくて申し訳なくてこっそりビニール袋に入れて持ち帰ってそっと処分してしまいました。すみません。けどとっても楽しい思い出。
中国って急速に発展したんだなー。
抗生剤のおかげか喉の痛みはおさまりました
明日はまた病院。血液検査プラスいろいろ。
やだな。