猛勉強の末、入学した神学校で、主人公ハンスは、ひとりの友人に出会います。
彼が放校処分を受け、自分の目の前から去ってしまうと、首席候補だったハンスは、次第に学業に身が入らなくなり…。
…というのがあらすじです。
1957年頃に翻訳されたらしいのですが、そのためか、文章が少々古臭い〈ごめんなさい〉です。
言い回しが回りくどかったり、書かれてある単語から、意味を汲み取れない箇所などもありました。
(例:しばらくのあいだ、ハイルナアは,平静な、毒舌的な、優越した調子をたもっていたが、やがてついにのぼせあがって、相手の横つらをひとつなぐってしまった。…〈略〉…同室の者たちは、批評するような顔つきで観察しながら、そばにつっ立ったまま、もつれ合っている二人をよけたり、自分たちの脚や机やランプを避難させたりして、たのしい緊張のうちに、結末を待ち受けていた)
この、主人公の友人である、ハイルナアという少年の描きかたがすばらしいです。
今までに出会った事のない個性を持ったこの少年に惹かれていく主人公ハンスの心情にも、共感する事が出来ました。
その他、級友たち、或いはハンスのふるさとの住人たちの様子など、生き生きと伝わってきます。
…が!なぜか、主人公ハンスの性格が、私にはあまり魅力的には映りませんでいた。
優等生で、神学校受験の為に、楽しみ〈釣りなど〉を何もかも諦めるハンスには、合格を一緒に喜んでくれる友人がいません。
合格が決まってから、ずっと我慢していた釣りにも一人で出掛けるのですが、どうもそれも、愉しんでいる様子が伝わってきません。
最後に、ハンスが辿り着いた先は…これは、なんと言いますか、いくらなんでも救いがなさ過ぎるように思います。
最後のシーンで作者は、靴屋のフライクに、「あの連中〈学校の先生がたの事〉も、この子をこんな目に合わせるのに、手をかしたわけですよ。」…と言わせています。
これはこれで真実かもしれませんが、あまりにもむごい一言なので、驚いてしまいました。
勉強以外のことをしてこなかった〈或いはさせてもらえなかった〉ハンス。自分で自分を救い出す方法も、見つけえなかったのでしょうか。
著者のヘッセも、神学校を途中でドロップアウトしています。そのときのことをモチーフにして、この小説を書いたのでしょう。
ヘッセ自身も、このときの挫折のつらさを、この本を書いた当時〈28歳〉は、まだちゃんと昇華しきれていなかったのだろうな、などと思いました。
(4月16日追記)
ヘッセは、主人公にではなく、その友人の少年に、自分自身を投影させたのではないかな、と思いました。





彼が放校処分を受け、自分の目の前から去ってしまうと、首席候補だったハンスは、次第に学業に身が入らなくなり…。
…というのがあらすじです。
1957年頃に翻訳されたらしいのですが、そのためか、文章が少々古臭い〈ごめんなさい〉です。
言い回しが回りくどかったり、書かれてある単語から、意味を汲み取れない箇所などもありました。
(例:しばらくのあいだ、ハイルナアは,平静な、毒舌的な、優越した調子をたもっていたが、やがてついにのぼせあがって、相手の横つらをひとつなぐってしまった。…〈略〉…同室の者たちは、批評するような顔つきで観察しながら、そばにつっ立ったまま、もつれ合っている二人をよけたり、自分たちの脚や机やランプを避難させたりして、たのしい緊張のうちに、結末を待ち受けていた)
この、主人公の友人である、ハイルナアという少年の描きかたがすばらしいです。
今までに出会った事のない個性を持ったこの少年に惹かれていく主人公ハンスの心情にも、共感する事が出来ました。
その他、級友たち、或いはハンスのふるさとの住人たちの様子など、生き生きと伝わってきます。
…が!なぜか、主人公ハンスの性格が、私にはあまり魅力的には映りませんでいた。
優等生で、神学校受験の為に、楽しみ〈釣りなど〉を何もかも諦めるハンスには、合格を一緒に喜んでくれる友人がいません。
合格が決まってから、ずっと我慢していた釣りにも一人で出掛けるのですが、どうもそれも、愉しんでいる様子が伝わってきません。
最後に、ハンスが辿り着いた先は…これは、なんと言いますか、いくらなんでも救いがなさ過ぎるように思います。
最後のシーンで作者は、靴屋のフライクに、「あの連中〈学校の先生がたの事〉も、この子をこんな目に合わせるのに、手をかしたわけですよ。」…と言わせています。
これはこれで真実かもしれませんが、あまりにもむごい一言なので、驚いてしまいました。
勉強以外のことをしてこなかった〈或いはさせてもらえなかった〉ハンス。自分で自分を救い出す方法も、見つけえなかったのでしょうか。
著者のヘッセも、神学校を途中でドロップアウトしています。そのときのことをモチーフにして、この小説を書いたのでしょう。
ヘッセ自身も、このときの挫折のつらさを、この本を書いた当時〈28歳〉は、まだちゃんと昇華しきれていなかったのだろうな、などと思いました。
(4月16日追記)
ヘッセは、主人公にではなく、その友人の少年に、自分自身を投影させたのではないかな、と思いました。




