のらりくらりSEVEN ART☆

40歳からのぼちぼち人生

あめあられ(笑)☆

2017-02-14 17:19:39 | 日記
昨日の6年のクラブ。

沢山の体験の子供達が多く長めのゲーム


移動リフティング
左のみリフティング
フリードリ
左のみドリ
ドリワーク
密集ドリドリ
4ゴール左足多め
5ゴールドリ上げ技
長めのゲーム



いい感じにドリブルで遊んでましたが


いざゲームで
自分達で協力してコートを作り
自分達で3チームに別れてもらう様に指示したら

ビブスを着る、着ないで
口論スタート(笑)


通称
6年ビブス事件in鏡(笑)


ビブスを着るチームを決める時に
わがままな決め方に

数名が反抗(笑)

別の数名が
でた!いつもの口論と
呆れ顔(笑)

他数名がノーコメント(笑)


体験の子供達は
気まづい雰囲気(笑)





みんな
イライラ
カリカリでゲームスタート




ゲーム中
イライラの矛先は失点に繋がるDFのミス
ドリブルミス
パスミス

ミスした仲間には非常に強い(笑)



そして
成長が早い子は
まだそうでない子には言いたい放題



結局
体験の子供達もボールを触りたがらず
自信が持てない子もボールをさわらず。





たしか
昨日の八代の天気は晴れのはず!


鏡総合6年グランドの天気は
暴言文句のあめあられ(笑)




昨日は
体験の子供達に

ありのままの現場を描写して貰い
ありのままの雰囲気を体感
して貰いました。









何度も書きますが
仲間は大切にしてね。


けして
見えないところで
イジメに繋がるような事がないよう願いたい。




4月からはジュニアユース
担当は誰になるかわかりませんが
ずっと仲間を大切にして欲しい。










昨日も体験ありがとうございました!













ヨハンクライフ抜粋☆

2017-02-14 12:22:14 | 日記
「私がバルサの監督になったとき、真っ先にカンテラの指導者たちと会い、『誰が一番優れたプレーヤーか?』と訊ねた。

みんなが口を揃えて、『グアルディオラは素晴らしい』と答えたよ。私は『わかった』と答え、その選手を見に行った。ところがセカンドチームにもユースのAチームにもおらず、年齢相応なユースのBチームにいた。

私は驚き『一番に良い選手が年齢相応のチームでプレーを続けているとは何ごとだ!』って叱ったよ。

彼らの言い訳は、『フィジカル的に弱いので、上のカテゴリーでのプレーは無理だと思ったんです』ってね。

私は『誰もが体は成長するから心配するな』と、くどくど言わなかった。

しかし、

優れた選手ならば、然るべきポジションに立ち、そこでプレーセンスとビジョンを使い、ポケットに手を突っ込んだままでもプレーできなければならない。

戦っていくことでフィジカルの優劣に折り合いをつけ、生きる術を覚えていくのだ。もし強さが足りないなら、賢くなることだろう。

プレーを準備し、予見し、行動する。

だから私はクラブ全体の見解に背いても、グアルディオラがバルサBでプレーするように指示したのさ。」

「むしろ小さな子に注目すべきだ。これは持論なのだが、道ばたでボールを蹴っていて小さいのにうまく、目立つ子供には”なにかある”と思ったほうがいい。なぜなら、

身体が非力で小さくても目立つということは、すでに大きな相手とのプレーに慣れており、その圧力を避け、方向づけの部分で優れることができる。

つまり、大人の高いレベルに入っても、自分のスキルを出せるということを意味する。小さいから何度も潰されてきたのだろうが、そうした経験から学習し、体格差を乗り越えられるようになっているんだ。」

「例えば子供たちを年齢でカテゴリーに分けしているが、1月生まれの子供と12月生まれの子供では身体的成長度に差が出る。多くの場合、その差はプレー能力ではなく、単純な肉体能力によるものだ。

育成の指導者はどうしても勝利を求め、その時点で力の差を出せる選手を使う。しかし、5年前にユースのBチームのタイトルを誰が取ったか?そんなことを誰も覚えていない。

大切なのはボールプレーヤーとしての能力を見極めることだ。」

『ボールとトモダチになることだ。ボールを持っている限りは、相手は何もできない。プレッシャー?それをかわすスキルを身につければいい。そうすれば、無敵になるだろう』

(「戦術」への挑戦状より抜粋)

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小学生の頃の体の小ささはハンディではなく、”自分の武器”を磨くための特性。

子供抜粋☆

2017-02-14 12:21:19 | 日記

5歳の子供にご飯を食べさせてあげる。

5歳の子供と一緒に寝る。

ブラジル時代に監督の娘さんが5歳だった。
寝室は別の部屋。
ご飯は自分で食べる。
もちろん散らかる。
それを一緒に片付けながら、子供に手をかける。
日本の親御さんが子供に手をかけるときは、次に面倒なことがおこらないように手をかけることが多く見える。
散らかることが嫌だから、食べさせる。
忘れ物をしないように荷物持ってあげる。
転ばないように手を繋ぐ。
例えば8歳までそれを続けて9歳からは自分で…
子供はなんで?
当たり前の基準ができてるのにそれを変えると不満となる。
過保護の家ほど、反抗期が大変だという現状。
子供に手をかけるときはそれなりの覚悟が必要に思える。
1歳でも自分でご飯を食べ、自分で階段を上がり、降りる。
子供の可能性を信じてるのはどちらなのか?
危険はある。
でもこの子達が危険なく生きていくことはこの世の中、不可能に近い。
好きで愛情があるからこそ、ほっておくことが必要なのかも知れない。
ほっておくことで子供が学ぶことがある。
以前も書いたが親という字は、
【木の上に立って見る】と書く。
昔の人はよく考えたものだ。
自戒を込めて。