【2015-08-13 小嶺説法】
長崎総合科学大学附属高等学校サッカー部
「三歩下がって師の影を踏まず」
今からミーティングを始めようとしているが、みんな見回してご覧。
畳のせいか知れないが、俺の顔の見えない所に座っている者がいるなぁ・・・
今から、俺の見えるポジションに移動せよ! すぐに移動!!
今度は俺の顔の見える場所にはいるが、一番前で横たわっている一年生がいる。
俺が話すとき横たわるとは失礼だ!
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるだろ。
全員、姿勢を正して聞くことだ!
「三歩下がって師の影を踏まず」この言葉を知っている人は手を挙げて。
一人だけか?
手を挙げた人、だいたいの意味を言ってみよ。
「先生が立っている時、日影を踏んではならない事・・・?」
そうだ。
前方から太陽が昇っているなら師(先生、監督、上司、親・・・)
が立っている時、立っている人の後方に影ができる!
尊敬すべき師といわれる人の影はおそれ多くも踏まない気配りをせよ!
と解釈してよかろう・・・
昔の日本の女性は男性のあと3歩下がってついていく人だって。
そうだ!(大和なでしこと言われたのかなぁ・・・)
先日、君のガールフレンドは君と歩いている時、君の前を「のうのう」と歩いていたなぁ。
今の時代はあたり前だろうかなぁ・・・
俺には大学時代の監督である上田亮三郎という恩師がいる。
俺の自慢であるし、俺の指導者人生の「礎」を築いてくれた大恩人だ!
俺の指導者人生、今までも今でも全て恩師のコピーといってよい!
今でも先生という言葉でなく「師匠」と呼んでいる。
君達にミーティング毎に色々な話しをしているが、
今、話している内容を君達全員が全てを理解しているとは思っていない。
君たちが親の年代になって子どもが中・高生年代になった時、
すなわち「子育てをする年代」になった時に、
「あぁ、学生時代に小嶺から言われていたことがわかったよ」
と感じてくれれば幸いであると思っている。
その時、俺は指導者冥利に尽きる。
人間教育というものは今すぐには答えは出ないのだ!
10年後、20年後に実感するものである。
「教育は100年の計」
と言われるゆえんである。
今、ここに座っている君達は、学年は違えど一生涯の仲間になっていくもんだ。
俺も人生を振り返ってみて、部活動の仲間達、先輩・後輩は生涯の宝物であり、
今があるのは仲間達あっての俺だと実感しており、感謝の念でいっぱいである。
先輩は後輩の善悪を判断して「厳しさと優しさ」をはっきりと指導できる人。(好かれようと思ってはいけない)
指導者も同様である。
後輩は先輩に対する感謝の気持ち、先輩の気持ちを理解できる人。
お互い、「差別」はよくないが「区別」は必要である。
このような「相互理解」が崩れた時、お互いの不信感が生じ、信頼関係が薄れて「イジメ」に進んでいくのである。
下級生もいずれか上級生になっていく。
その繰り返しなんだ!!
この君達の「絆」が生涯、続くのである。
指導者になって47年になるが、この「絆」は血族同然の関係と言えるのだ!!
途中で止めて行った人にはその経験は心の中のどこかで「後悔」が残ると思う。
厳しい中で全力で最後までやり続けた人にだけにしか見えない、
「心の財産」が築かれていくのである。
最後に、親も君達を育ててきてくれた「師」である。
親に感謝して「初志貫徹」で頑張ろう。
以上
長崎総合科学大学附属高等学校サッカー部
「三歩下がって師の影を踏まず」
今からミーティングを始めようとしているが、みんな見回してご覧。
畳のせいか知れないが、俺の顔の見えない所に座っている者がいるなぁ・・・
今から、俺の見えるポジションに移動せよ! すぐに移動!!
今度は俺の顔の見える場所にはいるが、一番前で横たわっている一年生がいる。
俺が話すとき横たわるとは失礼だ!
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるだろ。
全員、姿勢を正して聞くことだ!
「三歩下がって師の影を踏まず」この言葉を知っている人は手を挙げて。
一人だけか?
手を挙げた人、だいたいの意味を言ってみよ。
「先生が立っている時、日影を踏んではならない事・・・?」
そうだ。
前方から太陽が昇っているなら師(先生、監督、上司、親・・・)
が立っている時、立っている人の後方に影ができる!
尊敬すべき師といわれる人の影はおそれ多くも踏まない気配りをせよ!
と解釈してよかろう・・・
昔の日本の女性は男性のあと3歩下がってついていく人だって。
そうだ!(大和なでしこと言われたのかなぁ・・・)
先日、君のガールフレンドは君と歩いている時、君の前を「のうのう」と歩いていたなぁ。
今の時代はあたり前だろうかなぁ・・・
俺には大学時代の監督である上田亮三郎という恩師がいる。
俺の自慢であるし、俺の指導者人生の「礎」を築いてくれた大恩人だ!
俺の指導者人生、今までも今でも全て恩師のコピーといってよい!
今でも先生という言葉でなく「師匠」と呼んでいる。
君達にミーティング毎に色々な話しをしているが、
今、話している内容を君達全員が全てを理解しているとは思っていない。
君たちが親の年代になって子どもが中・高生年代になった時、
すなわち「子育てをする年代」になった時に、
「あぁ、学生時代に小嶺から言われていたことがわかったよ」
と感じてくれれば幸いであると思っている。
その時、俺は指導者冥利に尽きる。
人間教育というものは今すぐには答えは出ないのだ!
10年後、20年後に実感するものである。
「教育は100年の計」
と言われるゆえんである。
今、ここに座っている君達は、学年は違えど一生涯の仲間になっていくもんだ。
俺も人生を振り返ってみて、部活動の仲間達、先輩・後輩は生涯の宝物であり、
今があるのは仲間達あっての俺だと実感しており、感謝の念でいっぱいである。
先輩は後輩の善悪を判断して「厳しさと優しさ」をはっきりと指導できる人。(好かれようと思ってはいけない)
指導者も同様である。
後輩は先輩に対する感謝の気持ち、先輩の気持ちを理解できる人。
お互い、「差別」はよくないが「区別」は必要である。
このような「相互理解」が崩れた時、お互いの不信感が生じ、信頼関係が薄れて「イジメ」に進んでいくのである。
下級生もいずれか上級生になっていく。
その繰り返しなんだ!!
この君達の「絆」が生涯、続くのである。
指導者になって47年になるが、この「絆」は血族同然の関係と言えるのだ!!
途中で止めて行った人にはその経験は心の中のどこかで「後悔」が残ると思う。
厳しい中で全力で最後までやり続けた人にだけにしか見えない、
「心の財産」が築かれていくのである。
最後に、親も君達を育ててきてくれた「師」である。
親に感謝して「初志貫徹」で頑張ろう。
以上