心の学校・佐藤康行の『真我の実践・サンタ営業の実践』日誌…『ひよこ』から『にわとり』への道

うつに苦しみ社会離脱した人間が真我(=本当の自分)に目覚め、サンタ営業実践の日々と開発者・佐藤康行の言霊を紹介します。

【第275回】自説『満月という前提』VS『満月を引き出す』

2018-10-30 13:25:31 | 日記

最近の、佐藤学長の『満月の法則』の動画や、『黄金の谷の法則実践プログラム』を視聴して、少しもどかしい思いになる事があり、個人的意見を書かせて頂きます。

それは、受講生から学長への質問の内容です。

『相手の満月を引き出すには、どうしたら良いですか。』

『相手の神シーズを引き出すには、どうしたら良いですか。』

この『引き出す』という言葉自体が、佐藤学長の仰る視点とは全く違う立ち位置だと思ってしまう。

その質問に対する学長の答えが噛み合っていない事が、それを証明している。

良いとか悪いとかではないけど、『引き出す。』という言葉が、相手中心、お客様中心の発想ではないと思うのです。

もう少し、解釈していくと、

『私は、お客様の神シーズを引き出したい。相手の満月を引き出したい。だけど引き出せないから、どうやったら引き出せるのか。』と学長に質問されている。

『満月を引き出したい。神シーズを引き出したい。』というのは、一体誰の欲求なのか。誰のニーズなのか。

他でもない、それは営業マンのニーズ。自分のニーズ。

相手のニーズ、お客様のニーズではない。

営業マン自身のニーズを、営業マンの売らんがための都合を、お客様にかぶせてようとしているように私には見えてしまう。

お客様のニーズに『応えていく』のが、サンタ営業。

お客様のニーズ、シーズ、神シーズに『応えていく』のが、サンタ営業。

営業マンが、お客様のニーズを引き出すのではない。

お客様が、お客様自身の神シーズを発見していくのだ。

相手の満月鏡となるのが、真我プロカウンセリング。

ただ、満月という前提にたって、見たままそのままの、その奥にある満月の姿を返していく。

カウンセラーが相手を三日月と見て、相手から満月を引き出そうとするのではない。

満月を引き出すという発想自体が、既に相手は三日月という前提に立っている証拠である。

満月という前提に立っていないのだと私は思うのです。

三日月はないのだ。満月だけが在る。だけど満月には見えないから、満月だという『前提』に立つ。

相手は満月であるという前提に立った時に、満月を引き出すという言葉自体が消えていく。

サンタ営業では、お客様のニーズ、シーズ、神シーズに応えていく。

営業マンが、お客様のニーズを引き出そうとするのではない。

真我プロカウンセリングでは、相手が満月だとの前提に立つ。

私が、相手の満月を引き出そうとするのではない。

似てるようで真逆の世界。

サンタ営業、真我プロカウンセリングは地動説。

自分が、お客様のニーズを引き出そう、相手の満月を引き出そうとするのは天動説。

その違いを明確にしたい、そして、その違いを現実に現し、伝えられる自分でありたいと思いました。

以上 私の個人的意見&感想でした。

ありがとうございました。