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日本人として日々の暮らしの中で思うこと、知りたかったこと

7~8世紀に民族淘汰を受けていた朝鮮半島

2019-03-22 19:34:27 | 韓国・北朝鮮
2018/9/3(月) 午後 7:27

日本のマスコミは決して書かないことではあるが、「言語的な観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と高句麗とでは、民族的・言語的に隔たりがあり、高句麗及び高句麗の王族が建国した百済を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家とみなす十全な根拠がない」と現在の中国の社会科学院の「東北工程」が主張しており、韓国と真向からの対立しているそうだ。この説はあくまでも中国の主張で、百済の建国については諸説ある。しかし百済は隋の煬帝の軍の攻撃を受けて崩壊しその後日本からの援軍によって再建しようとするも7世紀には滅亡。新羅も7世紀には実質的に唐の支配下に入り、10世紀に後高句麗(高麗)によって完全に滅んでいるのは大方の史実である。


「満州族のルーツである女真族と高句麗のルーツは同じツングース民族とされ、高句麗の故地を領土に含み、ただし高句麗を建国した朱蒙の生母は中国の神話上の英雄河伯の娘柳花夫人であり、朱蒙が中国人の血を引いていることは議論の余地がない」というのが、中国政府のシンクタンク「社会科学院」の主張なのだ。しかし、そうであるならばむしろ、「新羅」の子孫ではなく現代韓国・朝鮮の人々はツングース系高句麗の子孫であるとみなすべきなのではないだろうか。中国の主張は新羅と高句麗の繋がりがない、と述べているのであって、現代韓国・北朝鮮と新羅との繋がりについてと、現代韓国・北朝鮮と高句麗との繋がりについては言及していない。しかし、下の地図を見れば一目瞭然ではないか。


中国の言い分が全面的に正しいとは思えないが、現在の韓国については自国の歴史の大半が明らかに根拠のない主張だらけで「歴史」という名に値しないようなのだ。


引用:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%B7%A5%E7%A8%8B

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

2017年4月19日中国の習近平国家主席がトランプ大統領と初の米中首脳会談で「韓国は歴史的に中国の一部だ」との主旨の発言をしたことが当時大きく取り上げられ、韓国国内では総合ニュースなどの国内メディアが大きく報じて「首脳の歪曲された歴史認識」「トランプ大統領の失言か習主席の妄言か」「通訳ミスか」などと騒いでいたことをご記憶の方も多いと思う。このニュースはウォール・ストリートジャーナルという世界最大の経済新聞社が2017年4月6,7日に行われた初の米中首脳会談後にトランプ大統領に対するインタビューの中で、習主席からの発言として話したことを伝えたもので、私の記憶ではその報道に対して中国側からも米国政府側からも一切のコメントはなかった。


引用:
https://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20170420/Recordchina_20170420046.html


アジア諸国の中の西アジア、インド、パキスタンなどが人種分類上はコーカソイドに分類される一方、東アジアの中国、韓国・朝鮮、日本は同じモンゴロイドに分類される。(この分類の仕方はあまり意味がなくなってきてはいるが)モンゴロイドを更にY染色体のハプトグループ(C2、D、N、O、Q)で調べた研究の結果、例えば縄文人と同じD1タイプは主に日本人とチベット人にしか存在せず(チベットにはD1aが日本にはD1bが見られる)アイヌでは87.5%がDタイプで縄文人の血を濃く受け継いでいることも判明。


Y染色体のハプトグループは日本人全体ではDが40.8%、O1b2が27.0%、O2が22.1%、Cが8.5%という一方、隣国の朝鮮民族全体ではO2が45.5%、O1bが28.2%、Cが18.0%、Nが5.5%、O1aが2.7%という結果であった。両者の間の重なりはO1b2 の27%の部分、全体の4分の1でしかないのだ。D系統に関しては日本人の4割に見られる一方、朝鮮半島では地域差はあるものの1%以下。


つまり、現代の朝鮮半島に住む人々と日本人とは言語系統的な繋がりがないことはいうまでもないが、更に遺伝学という科学的観点からも日本と現在の韓国・北朝鮮とは系統が明らかに異なる民族同士であるということが判ったのだ。


引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E3%81%AE%E5%88%86%E5%B8%83_(%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2)


海を挟んでいるとはいえ隣国に位置していながら、両者のこの大きな隔たりは何に起因するのであろうか。歴史的にもかつて「渡来人」と呼ばれる人々の国でもあり、日本とは様々な交流があった国であるのだ。その答えは中国政府が述べていることの裏を返せば、「10世紀以降朝鮮半島を支配した高句麗こそが現代韓国・北朝鮮の人々そのもの」で、現代韓国・北朝鮮の人々の祖とされる「新羅」は10世紀には高句麗によって完全に滅亡しており、高句麗は中国の言う北方系のツングースの人々なのであれば現代韓国・朝鮮の人々は高句麗の子孫であり、日本の歴史に「渡来人」として登場する古代の朝鮮の人々の子孫でないということであろう。(民族的・言語的隔たり)


663年に百済は滅亡、650年に新羅は唐の支配下に入り935年に新羅も高句麗によって滅亡。



1389年の高麗(五稜)王朝の範囲。高麗=後高句麗 

古代の朝鮮の人々は日本人同様、漢字をたやすく憶えられたし古文書として残している、しかし、現在韓国・朝鮮人達は元々漢字文化圏にいた人々の子孫ではない北方系の民族であるが故に19世紀以降に日本が欧米の制度言語や思想言語を漢字語に訳した語彙をそのまま借用語として用いているにも関わらず漢字を用いずに表音文字であるハングルしか日常に使っていないのだ。


朝鮮半島はその歴史において、中国の主張「新羅と高句麗は繋がりがない、高句麗はツングース系」を前提にするならば(しなくても)、およそ7~8世紀以降に民族の淘汰(民族の入れ替わり)が徐々に進んでいたという結論に至らざるを得ない。



「倭国の支配域『任那』(~562年)」

嘗ては「倭国」の支配域で朝鮮半島にあった地を「任那」という名称で教科書などにも記載されていたのであるが、近年何故か日本の歴史教科書から「任那」という記載が消えている。「任那」は朝鮮半島における倭国の北端である「三国志」魏志倭人伝倭人条の項目における狗邪韓国の後継に当たる金官国を中心とする地域、三韓の弁辰、弁韓及び辰韓の一部、馬韓の一部(現在の全羅南道を含む地域)を含むとみなすのが通説。


第二次大戦後、政治的な理由から「広開土王碑文」に倭が新羅や百済を臣民にしたと書かれてあるのが日本軍の改竄とする説は否定され、資料価値が明確になったこと、いくつもの日本式の前方後円墳が朝鮮半島南部で発見されたことなどからも、当時のこの地における統治権、軍事統括兼及び徴税権の存在について認める様々な説が発表されるているそうだ。日本側の文献としては「日本書紀」崇神天皇条から天武天皇条にかけて「任那」が多く登場している。562年に滅亡。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%BB%E9%82%A3


「3世紀~7世紀頃の日本と大陸・半島との交流の歴史」

3世紀から7世紀にかけて日本には中国や朝鮮から「渡来人」として渡ってきた人々や7世紀以降は日本からも「遣隋使」や「遣唐使」が大和朝廷から派遣され持ちかえった文物を基にして飛鳥文化、天平文化などとして華開いた時代であった。仏教が日本に伝わった時期は538年~552年とされるが、600年~618年には5回の「遣隋使」が日本から派遣され菅原道真の建議による中止に至るまで630年~684年の間十数回に渡って「遣唐使」が渡航したとされる。


仏教文化である飛鳥文化は推古期(593年~628年)を頂点として王権の本拠地である大和の飛鳥京を中心に華開き、中国大陸の南北朝の文化の影響を受けた国際性豊かな文化として興隆。


奈良の都平城京を中心に栄えた「天平文化(729~749年)」は唐文化を介して遠く西城、インド、ペルシアなど世界各地の文化を受容した貴族文化で、新羅や渤海との往来もこの頃には行われた。


舶載された宝物は現在も正倉院に保管されており、国家の保護下に南都六宗が栄え、各地に国分寺が創建され、本格的な仏教文化が開花。特に古典的写実主義とされる天平彫刻には多くの傑作がある。


貴族の教養としての漢詩・文も重んじられたが、日本人の日常生活の表現手段として盛んに書かれた和歌の代表作ともいえる「万葉集」なども「音」や「訓」を借りて漢字表記する「万葉仮名」で書かれたものであった。


以上のようにおよそ7世紀頃までは日本と中国・朝鮮半島に住む人々とは文化的な交流が多く、大陸から日本に渡ってくる「渡来人」によって様々な「文化」がもたらされたことは事実である。


しかしおよそ7世紀以降、日本からは「遣唐使」の派遣が684年以降には中止され、8世紀以降には律令体制を整え中央集権国家化が進み、同時に様々な分野の技術や芸術などが蓄積されていった日本の状況とは真逆のことが、中国や朝鮮など東アジアでは起きていたのだ。



「百済の滅亡・新羅の唐への帰属」

中国で南北朝時代が終焉を迎え、隋が成立し、百済はまず隋の2代皇帝煬帝の軍によって攻撃を受け、日本は百済に援軍を送るも、7世紀中頃(660年頃?)ついに百済は崩壊。王や遺臣たちは百済復興を目論むも663年の戦い(「白村江の戦い」)による敗戦で鎮圧され、つまり百済は7世紀末に滅亡し、百済の故地は新羅(実質は唐)に編入されたといわれている。


新羅の建国に関しては韓国の国定教科書では建国神話に基づいた紀元前57年説を採用しているが、中国政府のシンクタンクである中国社会科学院は新羅は「中国の秦の亡命者が樹立した政権」であり「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」と記述している。


また、中国の歴史学者の李大龍は、新羅の前身である辰韓は秦韓とも呼ばれ、中国の秦の人が建てた国だから「新羅は中国民族が建てた国」だと主張。「三国史記」の新羅本紀は「辰韓の斯蘆国」の時代から含めて一貫した新羅の歴史としているが、史実性があるのは4世紀の第17代奈勿王以後であり、それ以前の個々の記事の史実性は低いとされる。つまり、朝鮮の歴史区分と中国側の見方が全く異なるということなのだ。実際に新羅は650年まで独自で用いていた年号(太和)を廃止し唐の年号を用いるなどしている。


その後、内乱や飢餓もあり、韓国の国定教科書で新羅が姿を消すのは935年高麗(高句麗)によって滅んだとされている。実質は650年に既に中国によって滅び、その後は百済共々、朝鮮半島は唐に組み込まれていたとみるべきなのかもしれない。韓国の歴史年表によれば「高句麗及び渤海」は自国の歴史ということだが。


1996年中国の「社会科学院」という中国の東北部・旧満州などの歴史研究を重点課題に置いた研究所によれば、「高句麗や渤海は古代中国にいた少数民族であるツングース系の夫余人の一部が興した政権」であり、「高句麗が中国の一部であり自国の地方政権である」との見解を2003年に内外に示しているのである。2007年には「百済や新羅も同様に『中国史の一部』との見解を示した。


このとき、中国国内における高句麗遺跡の調査及び整備が行われ、「広開土王碑と将軍塚」の世界遺産への推薦を行い、2004年7月1日に蘇州で開催された世界遺産委員会において、高句麗前期の都城と古墳が世界遺産に登録された。翌日の新華社通信によれば「高句麗は歴代中国王朝と隷属関係にあり、中原王朝の管轄に会った地方政権」と報道している。



「7世紀~10世紀 中国の衰退」

長安を都として栄えた中国の唐は「安史の乱」により疲弊。中央アジアのみならず西域も保持することが難しくなり、国境は次第に縮小してかつて栄えた「世界帝国」たる力を失っていった。


中興の祖と謡われた憲宗は中央の禁軍を強化し中央の命令に従わない節度を討伐し朝威を回復させたものの晩年は精神に不安定を来たし宦官をしばしば殺害したため、恐れた宦官により殺されている。


憲宗の孫の武宗は廃仏運動を進め、9世紀には行政の改善を要求する武装闘争が各地でおき、874年に起きた「黄巣の乱」は全国に波及、そこから黄巣の部下だった朱温は唐から全忠を名乗り、以後朱全忠と名乗り、唐朝の支配域は更に縮小。907年朱全忠は哀帝より禅譲を受けて後梁を開き唐は滅亡したのであった。しかし後梁は唐の滅亡後の中国を再統一する力をもたず、中国は五代十国の分裂時代(907年~960年)に入ったのであった。


とどめとして13世紀から14世紀にかけて朝鮮半島を含むユーラシア大陸の広い地域(主に中国、モンゴル、朝鮮半島、中央アジア)がモンゴル人の一大帝国(中国はこれを「元」として自国の歴史としており、日本はそれにつられて「元寇」などという言葉をうっかり使用 )によって支配されたことはいうまでもない。モンゴル帝国が滅んだ後、朝鮮半島はおよそ500年間に渡って、李氏朝鮮時代(1392~1910)となるのだが、李氏朝鮮時代には儒教唯一絶対主義による仏教弾圧が行われ、多くの寺院が廃止され仏像破壊が行われた時代である。


百済や新羅が滅んで千年以上が経過し、その間の朝鮮半島は『ツングース系の後高句麗(高麗)と、同じくツングース系の女真族をルーツに持つモンゴル人』(中国社会科学院の主張)による半島全域支配を受け、その後に生まれたのが、新羅や百済時代の仏像を破壊し尽くした李氏朝鮮であり、(だから朝鮮半島には仏像が少ないといわれている)この李氏朝鮮こそが直近のルーツであり、この人々が百済や新羅の末裔であると主張するのは困難と言わざるを得ないのではないだろうか。


参考:https://blog.goo.ne.jp/eternalturquoiseblue/e/b329c27e6431a906b528c92c471b95dc



引用:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88



コメント

こんにちは。
旺盛な問題意識に驚いて居ます。また次々とテーマを変えられて記述される為に、内容について行けない事が多いです(素晴らしい)。そうですね、西洋史でも歴史を見回して見ますと、半島という物は多くの抗争の舞台となって居ます。西洋で似ているのはイギリスとフランスの関係です。これもブルターニュ半島を巡って抗争に明け暮れていた史実が有ります。一時イングランドはノルマンディー半島を領有して居ましたが、フランスの有力貴族ノルマンディー公ウイリアムにイングランドが占領されるノルマンコンクエスト(1066年)が起こります。日本では前九年の役の15年後の事でした。で、面白い事にはウイリアムはフランス王の臣下ですから、イギリス王はフランス王に臣下と云う事に成ります。また、当時のイングランド王国の王はフランス語を喋べっていた筈です。ですから、今の英語は端的に云えば古サクソンドイツ語とフランス語のハイブリッドとなります。こんな歴史がある為に、現代の英語が本当の意味で確立したのは、言語的にはシェークスピアの演劇以後と云うことに成るそうです。
2018/9/4(火) 午前 10:09 [ 井頭山人(魯鈍斎) ]


漠然とですが、朝鮮半島の南部には日本の縄文人が進出して居たという可能性があると思います。古い古墳(前方後円墳)や古人骨を調べると、現代の朝鮮人とは異なるデータがあるそうです。当時の朝鮮半島は極めて寒く、古代人が中々定着できる気候では無かった。紀元前2世紀~3世紀にかけては謎の時代とも云えそうです。日本には記録が無いので、余り当てにならない魏志や朝鮮の三国志記を調べることに成りそうです。半島に北から南下してきたのは女真族(満州族)であろうかと思いますが、縄文人たちの創り上げた国は精力に押されて敗退し本土に逃げ帰ってしまう。高官たちは任那の日本府が消滅して半島からは引き上げて仕舞った。その際土地の日本人は多く残され、男は殺されて女は奴隷にされたという。DNAハブログループやミトコンドリアDNAを分析すると、女性に関しては共通のDNAの部分も確認できると云う報告が有った様です。
2018/9/4(火) 午前 10:31 [ 井頭山人(魯鈍斎) ]


> 井頭山人(魯鈍斎)さん
こんにちは。コメントを頂きありがとうございます。私も井頭山人さんと同じ考えです。
朝鮮半島南部にまで進出していたであろう縄文人達の国は残念なことに滅んでしまったのだと思います。それがY染色体のハプログループの調査結果などに現れている事実だと。
もし、その人々が滅んでおらず強い国家をつくっていたなら、アジアの歴史はまた違っていたのかもしれませんし、日本も第二次大戦に巻き込まれなかったでしょうに、と思います。英仏のような対等な二国としての隣人だったでしょうし。女性についての研究結果については、私はまだ読んでおらず、読んでみようと思います。ただ、韓国の人々にしかない「火病」は民族特有のもののようです。(米国の疾病分類によれば)
2018/9/4(火) 午後 1:44 kamakuraboy


> kamakuraboyさん
どちらかと云うと、おおらかな日本人の特性に比べて、彼らは口論が多く、問題で紛糾すると、喧嘩早く激高する事があるようです。言語的な属性かと思いましたが、日本にうまれて日本語しか話せない方でもその様な傾向があると感じるのは困った事です。文化的には儒教と云いながらも日本が受容した儒教、朱子学とは、本質が異なります。歴史が民族意識を決定するとしたら、それ以前もそうですが、特に李氏朝鮮の500年は文化的にも酷い物でした。文化と徳を育んだ江戸の250年とは正反対のようです。
2018/9/5(水) 午前 10:07 [ 井頭山人(魯鈍斎) ]


> 井頭山人(魯鈍斎)さん
おはようございます。それが残念ですね。一部の冷静で知的かつ公平な議論が出来る人々が、そうでない大多数の人々の前で沈黙せざるを得ないような社会というのは全く健全ではないし、社会の有り様として悲惨というより他ないと思います。
2018/9/5(水) 午前 10:34 kamakuraboy



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3 コメント

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民族淘汰 (泉城)
2019-03-23 02:01:20
こんばんは
あらためて読みましたが内容が充実していますね。

倭人が朝鮮半島にいたことは中国史書や高句麗の広開土王碑文からも明らかですし、もっと古くならば中国史書によると揚子江や長江にも倭人の祖先がいたようなので倭人は海岸沿いに広く海洋民族として存在していたかもしれません。

それにしても中国は高句麗が現在の中国の領土内にあるので、何でも理由を付けて自分に有利な話しかしないし、韓国は歴史がこうであったらいいなあという願望を歴史事実に置き換えて話す傾向があって冷静に論議できる相手ではないですね。
根拠は不明瞭ですが、やや中国に分があるように思います。

ただ、中国大陸は下剋上の最たるところで漢民族と非漢民族などがたびたび入れ替わり連続性がないし分割もたびたびあって特に北方系民族は攻撃的・暴力的です。現在の中華人民共和国と古代・中世の国や民族と一様とはいえないですね。

朝鮮半島はkamakuraboyさんがおっさるように高句麗人の後裔なのでしょう。火病は感情的に激高するのでかなわないです。隣国としてはつらいところですね。
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おはようございます (kamakuraboy)
2019-03-23 10:30:13
泉城さん
コメントをありがとうございます。中国も韓国も北朝鮮も、究極のところ我々の国とは「(民主主義の)価値観を共有していない」ということのようですね。

正直なところ、駅やそこかしこに簡体字やハングルを目にするのはうんざりで、日本語表記の下に英語表記のみでよいのに、と思っております。

インバウンド効果よりも国民の安心安全を優先に、これらの国々については入国を(米国の入管のように)厳格に制限すべきだと思います。
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簡体字やハングル (泉城)
2019-03-23 21:17:41
1年に3000万人の観光客がこられるということでサービスなのかもしれませんが、やはり簡体字やハングルは目立ちすぎるように思います。
壱岐の看板にもそれらの文字が多かったです。
入国の厳格な審査と安心安全の保障や不法滞在対策のための代価を徴収すべきですね。

「おっしゃる」が「おっさる」になってました。失礼しました。
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