チューダー朝の女王であるエリザベス1世(男系女子)には子がなく「チューダー朝」の最後の国王で、次の「ハノーヴァー朝」(イングランド)と「スチュアート朝」(スコットランド)の始祖となったジェームズ1世は「チューダー朝」からみて母系男子の人物。これにより、ジョン・オブ・ゴーントを起点とするランカスター家は男系男子が途絶えたかのような印象であるが、実はそうではなかった。
「リチャード3世」のY染色体と比較できる「チューダー朝」ランカスター家の男系男子をどうやって探してこれたのかと言えば、次のような事情が元々あったということなのだ。
ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントはエドワード3世の四男とされる人物であるが、彼の子孫の第3代サマセット公ヘンリー・ボーフォートは1464年にヘクサムの戦いの敗北により処刑され、ついでその弟の第4代サマセット公エドムンド・ボーフォートも1471年のテュークスベリーの戦いの敗北で処刑され、サマセット公爵家の相続人は途絶えた。
しかし第3代サマセット公には非嫡出子チャールズ・サマセット(1460-1526)がいたのだそうだ。彼のサマセット姓は父の爵位から取っているそうなのだが、非嫡出子であるためにサマセット公爵位は継げなかった。
しかし第3代サマセット公には非嫡出子チャールズ・サマセット(1460-1526)がいたのだそうだ。彼のサマセット姓は父の爵位から取っているそうなのだが、非嫡出子であるためにサマセット公爵位は継げなかった。
しかしチャールズ・サマセットはヘンリー7世の又従兄弟にあたるという関係から、1514年2月1日に新たにイングランド貴族爵位ウスター伯爵位を与えられている。
非嫡出子チャールズ・サマセットの子の第2代ウスター伯ヘンリー(1496-1549)は、ウスター伯爵位継承前の1512年3月21日に母エリザベス(エリザベス1世とは別人です)からイングランド貴族位の第4代ハーバート男爵位を継承。男爵位よりも伯爵位の方が上であり、先に伯爵位を継承していたなら、男爵位を継承する必要はなかったのかも。
第3代ウスター伯ウィリアム(1526-1589)は、初代サマセット公エドワード・シーモアや第4代ノーフォーク公トマス・ハワードが大逆罪に問われた裁判に関与し、とりわけサマセット公の裁判においては有罪を主張する最右翼だったそうだ。
第3代ウスター伯ウィリアムはサマセット家本家からみれば非嫡出子の子孫であり、サマセット侯爵位を継いでおらず、ウスター伯爵位を有してはいたがやはり侯爵位が欲しかったのであろうか。
「サマセット公爵位復権」をめぐる両家の争いから現在に至るまで(非嫡出系)サマセット家と(本家)ボーフォート家は仲が悪く和解はなっていない、などとある。
非嫡出子系子孫であるサマセット家は歴史上も現在でも王族の扱いではなく、王朝の家系図には登場していないし、エリザベス1世の後の王位は女系男子子孫であるジェームズ1世にもっていかれたかっこうだ。
その代わりとしてなのか、サマセット家の子孫である4代ウスター伯エドワード(1550-1628)は、ジェームズ1世からセヴァーン川の渡航料徴収権を獲得しており、この権利は20世紀まで続いた、などとある。
このように、ヘンリー7世の従兄弟に当たるサマセット家のチャールズ・サマセット(非嫡出子)の子孫達は、エリザベス1世の後釜として王座には就く資格はなかったものの、ジョン・オブ・ゴーント(ランカスター公)の男系男子血脈として繋がり、現在も残っていたということなのだ。
それを踏まえ、「サマセット家」の5家族5人の男系男子のDNAのY染色体と、リチャード3世のY染色体とで、6種類の繰り返し配列「マイクロサテライト」(DYS643、DYS19、DYS385、DYS391、DYS438、DYS448)のタイピング(注)が行われた。
そして、5家族5人中4人は互いに完全に一致、一人は不一致、リチャード3世はサマセット家5家族とは全くタイプが異なるという結果であった。
歴史的にエドワード3世からリチャード3世にいたる家系図には多くの歴史的資料が残されており、養子や庶子が含まれいる可能性が低く、リチャード3世がエドワード2世の男系子孫であることに疑念の余地は(百パーセントとまではいいきれないものの)ないとされている。
リチャード3世とY染色体のタイプが異なるということは、エドワード2世、3世とも異なることになり、サマセット家はエドワード3世の4男であるジョン・オブ・ゴーントの傍流家系の子孫なので、ジョン・オブ・ゴーント本人にも父系における嫡出の疑念が「可能性として」生じたのだということ。
ジョン・オブ・ゴーントがエドワード2世の子でないという仮説を前提にするならば「ヘンリー4世、ヘンリー5世、ヘンリー6世と、ヘンリー7世で始まるヘンリー8世、エドワード6世、メアリー1世、エリザベス1世で終わる「チューダー朝全体」に嫡出に関する疑念が生まれた、という内容の論文を2014年12月2日に英科学誌「ネイチャー・コミュニケーションズ」で発表されたという話題であった。
(注)タイピング:遺伝子の型を調べること。
こんばんは
同名の人物が多数出てくるので私にはカオスのようであるとともにイングランド王の血筋は複雑です。ただ、ジョン・オブ・ゴーントは、Y染色体からしてエドワード3世の子ではないとするとその血筋はイングランド王家のものではないのは確かなように思えます。
もともとイングランド王家はフランス男系の血筋のようですが、イングランド王家の男系の血筋は、男系女子のエリザベス1世で途絶えたので、女系男子のジェームズ1世を容認したところからイングランド王家は女系容認が始まったということですね。
フランス王家は女系を禁じている一方で、イングランド王家ではエドワード3世はフランスの女系の血筋ですから、この英仏の考え方の違いが百年戦争の御旗の違いでもあるのですね。
日本という国が「十字軍」のヨーロッパの王家とは全く異なる血脈の「天皇家」を象徴として、少なくとも7世紀以降は代々国体が連続している国家であることも驚異的であると思います。
それは「天皇」と「政治的支配者」(将軍など)という二重構造であったことも大きいのかもしれませんね。
今は王政が廃止されましたが、フランスはご指摘のように「女系」を禁じていたようですね。英仏の「百年戦争」の経緯をもう少し知りたいとも思いました。