「ナニャドヤラ」は青森県南部から岩手県北部にかけての地域及び秋田県鹿角地方の旧南部藩領内に伝わる日本最古といわれる盆踊りで、盆踊りの囃子歌の歌詞からとられた名称でこのように呼ばれている。数多くのバリエーションがあるとされる。
踊りに定型はなく、地域によって、あるいはひとつの地域に何種類も伝わっており、時代や状況に応じて歌い分けられていたようなのである。
例えば歌詞は以下の様もの。
ナニャドナサレテ ナニャドヤラ
ナニャドヤレ ナサレデ ノーオ ナニャドヤレ
ナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエ ナニャド ヤラヨー
ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ ナニャド
ナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエ ナニャド ヤラヨー
ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ ナニャド
これを日本語の民謡歌詞だと思って読んでも、意味はさっぱり伝わってこないのであるが、「古代ヘブライ語」の歌であるとして解釈を試みた人物がいた。
岩手県二戸郡一戸町に出身で、戦前からサンフランシスコ神学大学で聖書学を学び、米国の日本人教会の振興に尽力した聖書学博士の川守田英二博士(1891~1960年)がその一人で、彼は「ナニャドヤラ」を「古代ヘブライ語」の歌として、保存のためにいくつかのパターンを分析してみせた。それは以下のようなものである。
■「進軍歌短調」
ナギァド ナサル ヘテ(ヒヰイ)(ヒヴィ)
彼方へわれら掃討せんとすヘテ人(ヒビ人)を
ナギァド ヤドオ
彼の所領地に向かって
ヤーリ ヤー
ヤー進撃し給え
ナギァドー ナサレ アエノ
前方へわれら掃討せんとす、アエノを
ナギァドー ヤーレ ヤー
ヤー進撃し給え
ナギァド ナサレ アダー
彼方へアダ族は退却したり
ナギァドー ヤーラ ヤー
前方へヤー、進み給わんことを
ナギァド ハ・ヤラド(ヨルダン川古名) ヤーレー
ヨルダン川に向かって、彼進み給わんことを
ナギァド ナサレ ダヰデ(ダヴィデ) アー
彼方へ掃討せり、ダビデは、仇を
ナギァド ナサレ イダデャ チァー(ジァー)
彼方へ掃討せりイダデヤ(ソロモン)は仇を
ナギァド ニッサル アダデ(ハダデ)
彼方へ掃討せられたり(ニッフィル)ハダテ(またはアダデともいうエドム国の王家)の家は
:ハダデ王は、ダビデソロモンと同時代の王
ナギァド ニナサレ ハダルエジァ
彼方へ掃討せられたり、ハダルエゼル(スリャ王)の家は
:この王との戦争は、ダビデ一生の関ヶ原だった。
ナギァド ナサレテ アー
前方へわれは掃討したり、仇を
ナギァド ナサレタ チァー
前方へ汝は掃討したり、仇を
ナギァド ナサレヌ アー
前方へわれらは掃討したり、仇を
ナギァド ナサル ヘテ(ヒヰイ)(ヒヴィ)
彼方へわれら掃討せんとすヘテ人(ヒビ人)を
ナギァド ヤドオ
彼の所領地に向かって
ヤーリ ヤー
ヤー進撃し給え
ナギァドー ナサレ アエノ
前方へわれら掃討せんとす、アエノを
ナギァドー ヤーレ ヤー
ヤー進撃し給え
ナギァド ナサレ アダー
彼方へアダ族は退却したり
ナギァドー ヤーラ ヤー
前方へヤー、進み給わんことを
ナギァド ハ・ヤラド(ヨルダン川古名) ヤーレー
ヨルダン川に向かって、彼進み給わんことを
ナギァド ナサレ ダヰデ(ダヴィデ) アー
彼方へ掃討せり、ダビデは、仇を
ナギァド ナサレ イダデャ チァー(ジァー)
彼方へ掃討せりイダデヤ(ソロモン)は仇を
ナギァド ニッサル アダデ(ハダデ)
彼方へ掃討せられたり(ニッフィル)ハダテ(またはアダデともいうエドム国の王家)の家は
:ハダデ王は、ダビデソロモンと同時代の王
ナギァド ニナサレ ハダルエジァ
彼方へ掃討せられたり、ハダルエゼル(スリャ王)の家は
:この王との戦争は、ダビデ一生の関ヶ原だった。
ナギァド ナサレテ アー
前方へわれは掃討したり、仇を
ナギァド ナサレタ チァー
前方へ汝は掃討したり、仇を
ナギァド ナサレヌ アー
前方へわれらは掃討したり、仇を
■「進軍歌長調」
ナギァッ ハアド(民の前より) ナサール
われら掃討せんとす
アエノ サーイエ
多毛なるアエノ、またはエジヨ族を
ナーギァッ アド
民の先頭に
ヤーラヨー
ヤー進み給え
ナギァツ イウド
ユダヤ民族の前より
ナサール ヘテ(ヒヰヤ) サーイェ
われらは掃討せんとす、多毛なるヘテ人(またはヒビ人)を
ナギァッ ヨイデォ
彼、即ちヤーの連合軍の前より
ナッサイル(起因態未完、一人称、複数)ヒヰャ(またはヘテ・サーイェ)
われら掃討せんとす、多毛なるヒビ人(またはヘテ人)を
ナギァドナー(われらの前より) イサレ ダヰデ ハ・サーイェ
ダビデは掃討せんとす毛人を
ナギァド ナサラー エダテ・ヤー ハ・サーイェ
彼方へ掃討せり、ヤーの民は毛人を
ササ ナギァッ アド ヤーラ ヤーウド
喜び勇め、民の先陣に進軍せよ、ユダの族(やから)よ
ナギァドナー(われらの行く手に) イサレ イウデ サーイェ
掃討せんとす、ユダの族は悪魔の輩(ともがら)を
ナギァド ナッサール リ ダヰデ ハ・サーイェ
彼方へわれら掃討せんとす、ダビデの家のため、悪魔を
ナギァッ ハアド(民の前より) ナサール
われら掃討せんとす
アエノ サーイエ
多毛なるアエノ、またはエジヨ族を
ナーギァッ アド
民の先頭に
ヤーラヨー
ヤー進み給え
ナギァツ イウド
ユダヤ民族の前より
ナサール ヘテ(ヒヰヤ) サーイェ
われらは掃討せんとす、多毛なるヘテ人(またはヒビ人)を
ナギァッ ヨイデォ
彼、即ちヤーの連合軍の前より
ナッサイル(起因態未完、一人称、複数)ヒヰャ(またはヘテ・サーイェ)
われら掃討せんとす、多毛なるヒビ人(またはヘテ人)を
ナギァドナー(われらの前より) イサレ ダヰデ ハ・サーイェ
ダビデは掃討せんとす毛人を
ナギァド ナサラー エダテ・ヤー ハ・サーイェ
彼方へ掃討せり、ヤーの民は毛人を
ササ ナギァッ アド ヤーラ ヤーウド
喜び勇め、民の先陣に進軍せよ、ユダの族(やから)よ
ナギァドナー(われらの行く手に) イサレ イウデ サーイェ
掃討せんとす、ユダの族は悪魔の輩(ともがら)を
ナギァド ナッサール リ ダヰデ ハ・サーイェ
彼方へわれら掃討せんとす、ダビデの家のため、悪魔を
■「先勝歌短調」
ナギャッ ハ・アド(民の指導者は) ナサレ ヒヰヤ(ヘテ)
掃討したり ヒビ人(ヘテ人)を
ナギャッ ハ・アド イハリレー
民の指導者は讃えられるべきかな
:イハリレー(IHLLH)は プアルのハー延長
ナギァッアド イハラー ヤーエ
民の面前にて、ヤーエは讃えられよ
ナギッコ ナサレ アエノ
汝の指導者は掃討せりアエノを
ナギャッ ハ・アド(民の指導者は) ナサレ ヒヰヤ(ヘテ)
掃討したり ヒビ人(ヘテ人)を
ナギャッ ハ・アド イハリレー
民の指導者は讃えられるべきかな
:イハリレー(IHLLH)は プアルのハー延長
ナギァッアド イハラー ヤーエ
民の面前にて、ヤーエは讃えられよ
ナギッコ ナサレ アエノ
汝の指導者は掃討せりアエノを
■「先勝歌長調」
ナギァドー ナサリ ヤー
彼方へ掃討したり、ヤーは
エーテ ハ・サーイェ
毛人をば
ナギァツ エド
民の面前にて
イハラー ヨー
ヤーは讃えられよ
:「ヨー」は神の古名
ナギャド ナサリ レヌ(レコ) ハ・サーイェ
主権者は掃討せり、われら(または汝)のために悪魔の徒輩を
ヤラー トカ ヨー(またはトカ リヨー)
吹奏せよ、ヤーの角笛を(または吹奏せよ角笛を)、ヤーに向いて
ナギァドー ナサリ ヤー
彼方へ掃討したり、ヤーは
エーテ ハ・サーイェ
毛人をば
ナギァツ エド
民の面前にて
イハラー ヨー
ヤーは讃えられよ
:「ヨー」は神の古名
ナギャド ナサリ レヌ(レコ) ハ・サーイェ
主権者は掃討せり、われら(または汝)のために悪魔の徒輩を
ヤラー トカ ヨー(またはトカ リヨー)
吹奏せよ、ヤーの角笛を(または吹奏せよ角笛を)、ヤーに向いて
■「守護歌」
ナギァドナー イサレ エイデ アー
われらの前より、彼掃討し給わん、仇の害悪を
ナギァッ アド ヤー イレー
民の行く手に、ヤー備え給わん
:「ヤー イレー」に換えて「ヤーエ ローイ」を用いれば、「民の行く手に、ヤーこそ牧者なれ」となる。
ナギャド ヤエ イラー ホエ(ナンヂャラホエ)
主権者をば、ヤー、見守り給えよ、彼をば
ナギャドイ ヤー エローイ
われを導き給う者は、ヤーなる我が神なり
:「エローイ」(神)は、「エロヒーム」(神々)の単数形だが、複数形の「エロヒーム」は出てこない。この「エロヒームを使わない」ということが日本民謡の特徴となっている。
ナギァドナー イサレ エイデ アー
われらの前より、彼掃討し給わん、仇の害悪を
ナギァッ アド ヤー イレー
民の行く手に、ヤー備え給わん
:「ヤー イレー」に換えて「ヤーエ ローイ」を用いれば、「民の行く手に、ヤーこそ牧者なれ」となる。
ナギャド ヤエ イラー ホエ(ナンヂャラホエ)
主権者をば、ヤー、見守り給えよ、彼をば
ナギャドイ ヤー エローイ
われを導き給う者は、ヤーなる我が神なり
:「エローイ」(神)は、「エロヒーム」(神々)の単数形だが、複数形の「エロヒーム」は出てこない。この「エロヒームを使わない」ということが日本民謡の特徴となっている。
■「埋葬歌」
ナギァド ナサレ ダヰデ
彼方へ逝きたり愛する者は、
ナギァッアドャイ リレー
会衆の前に悲嘆あらしめよ
:上記はダビデを追悼する歌のようだ。「ダヰデ」に換えて、「アヒノー」(われらの兄弟)や、「レアノー」(われらの友)を使うこともある。
ナギァドオ ヤイリレー ヤーラー
彼の霊前にて、慟哭(どうこく)・・・あるいは号泣(ごうきゅう)せしめよ、雌鹿をして
ナギァドー ヤイリレー ヤーラ
彼女の霊前にて悲嘆あらしめよ、雄鹿をして
ナギァツ ヨヒドオ ヤイリレー サーイェ
彼(ヤー)の連軍の前にて号泣せしめよ、セイルの民をして。
:これに、アラル(ARR)を付して歌う。意味は「呪われたり」
ナギァド ナサレ ダヰデ
彼方へ逝きたり愛する者は、
ナギァッアドャイ リレー
会衆の前に悲嘆あらしめよ
:上記はダビデを追悼する歌のようだ。「ダヰデ」に換えて、「アヒノー」(われらの兄弟)や、「レアノー」(われらの友)を使うこともある。
ナギァドオ ヤイリレー ヤーラー
彼の霊前にて、慟哭(どうこく)・・・あるいは号泣(ごうきゅう)せしめよ、雌鹿をして
ナギァドー ヤイリレー ヤーラ
彼女の霊前にて悲嘆あらしめよ、雄鹿をして
ナギァツ ヨヒドオ ヤイリレー サーイェ
彼(ヤー)の連軍の前にて号泣せしめよ、セイルの民をして。
:これに、アラル(ARR)を付して歌う。意味は「呪われたり」
「神武の歌」
ナギャツ アド イハレー
永遠の主権者は磐余礼彦(いわれひこ)(神武帝)なり
ナギャド ナッサル リ・ダヰデ
主権はダビデの若枝なり
ナギャツ・アド ユハリレー
永遠の主権者は、讃えるべきかな
ヤチヨ ナギァドー イハーレ
出で行けよ、前方へ、おお伊波礼の軍人(いくさびと)よ
サーサー ナギァドー イハーレ
掃討せよ毛人を前方へ、おお伊波礼日子(いわれびこ)よ
ソノー ナギャド イハーラ サー アエノー
またもや主権者伊波礼日子は掃討せり、アエノ族を
ササ ナギャツ アド イハーレ
汝ら喜び悦べ、永遠の主権者は伊波礼日子なり
ナギァド ヤラド イハーレイ
主権者は磐余彦の末孫にて在す
ナギャツ・ヨイド イハーレー
唯一の主権者(一天万乗の君)は磐余彦なり
ナギャド ニッサー リ・ダヰデ
主権者は挙げられたり ダビデのために
ナギャツ アド イハレー
永遠の主権者は磐余礼彦(いわれひこ)(神武帝)なり
ナギャド ナッサル リ・ダヰデ
主権はダビデの若枝なり
ナギャツ・アド ユハリレー
永遠の主権者は、讃えるべきかな
ヤチヨ ナギァドー イハーレ
出で行けよ、前方へ、おお伊波礼の軍人(いくさびと)よ
サーサー ナギァドー イハーレ
掃討せよ毛人を前方へ、おお伊波礼日子(いわれびこ)よ
ソノー ナギャド イハーラ サー アエノー
またもや主権者伊波礼日子は掃討せり、アエノ族を
ササ ナギャツ アド イハーレ
汝ら喜び悦べ、永遠の主権者は伊波礼日子なり
ナギァド ヤラド イハーレイ
主権者は磐余彦の末孫にて在す
ナギャツ・ヨイド イハーレー
唯一の主権者(一天万乗の君)は磐余彦なり
ナギャド ニッサー リ・ダヰデ
主権者は挙げられたり ダビデのために
■「祭礼歌」
ナギァド ナサレ レヰヤ ハ・サーイェ
彼方へ追い払えり、レビの族(やから)は山羊を
ナギァツ・エド
御輿の前にて
イハラー ヤーエ
ヤーエはほめ讃えられよ
:「エド」は証の石=「十戒石」を指さす(御輿の中にある)
ナニャドヤーラー ナニャドナサレノー ナニャドヤーラー
(ナニャドヤーラー ナニャドナサレノー ナニャドヤーラー)
そろたそろた踊り子ァそろた 秋の出穂よりや なおそろた・・・
と、歌詞が続く。
ナギァド ナサレ レヰヤ ハ・サーイェ
彼方へ追い払えり、レビの族(やから)は山羊を
ナギァツ・エド
御輿の前にて
イハラー ヤーエ
ヤーエはほめ讃えられよ
:「エド」は証の石=「十戒石」を指さす(御輿の中にある)
ナニャドヤーラー ナニャドナサレノー ナニャドヤーラー
(ナニャドヤーラー ナニャドナサレノー ナニャドヤーラー)
そろたそろた踊り子ァそろた 秋の出穂よりや なおそろた・・・
と、歌詞が続く。
引用:
「ナニャドヤラ」は「旧約聖書」の「出エジプト記」15章に出てくるモーセとイスラエルの民が、神を讃えるために歌ったものであるという説などもある。
東北地方に「古代ヘブライ語」の歌が民謡として残っているのであれば、イスラエルの「失われた10支族 Ten Lost Tribes (注)」に当たる人々が日本に渡ってきた「古代日本人」であるという説にも繋がっているらしい。
(注)Ten Lost Tribes:
旧旧約聖書に記されたイスラエルの12部族(英語版)のうち、行方が知られていない10部族(ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、マナセ族、エフライム族)を指す。
盆踊りの由来は伝わって居るのでしょうか?東北地方の方言のようも感じますが、古老でも歌の意味は分からないのでしょうか?ダビデ王というと起源前1000年くらいの人物ですから、日本では水稲栽培がおこなわれていた。若い頃に東北を旅したとき泊まった民宿の女将さんの質問が理解できなかった。生の東北方言は意味が掴めませんでした。縄文後期にも海伝いに南方から様々な渡航が有った可能性はあります。この盆踊りの他に、古代ユダヤ語を象徴するものは外にあるのでしょうか?
「東北地方の方言」であることにはちがいませんよね。ですが民謡の中の言葉としての意味が分からないため「南部猫唄」などとも呼ばれているようです。
「生の東北方言は意味が掴みにくい」ということは確かに言えますね。
「征服者」である「大和朝廷」の人々がどこから来た人々なのか、「三種の神器」の意味するところも一般人には解りませんしね。彼らも遅れてきた「失われた10支族」の末裔なのかもしれませんが。
古代ユダヤ語=ヘブライ語を象徴するものとして「八咫鏡」にまつわる噂で、明治時代にときの文部大臣・森有礼が唱えた「神鏡ヘブル文字説」などがあるそうで、それによると森有礼・大臣は、伊勢神宮の八咫鏡の裏面に、ヘブル文字で、
「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」(「我は在りて有る者」のヘブル語 出エジプト記三・一四の言葉)と刻まれているのを自分で見たと語っていたそうです。
あと、ソーラン節の中にもヘブライ語が隠れているとか、「さくら、さくら」の中にも隠れているなど。
お答えいただき有難う御座います。
確かユダヤ渡来説は以前の記事でも読ませて頂きました。「南部猫唄」ですか、将に云い得て妙な表現です。どうも、日本語の語彙からの意味判別は難しい様に思います。でも永く民謡として残るという事は、何らかの継続をさせる力や伝統が有り、仮に移民として入って来た人々が日本人化した後も、意味が分からずとも、ずーっと伝統として残ったのでしょう。日本の文化は重層的であるようで、どの様な渡来思想や技術も、日本的な伝統の下に加工されて初めて定着します。仏教も儒教もそうでした。日本の仏教・儒教は、様々の仏典や四書五経を用いていますが、日本の仏教は印度の仏教では有りませんし、日本の儒教も支那儒教では有りません。ここの所を誤解すると文化摩擦に困惑します、特に支那人の儒教は政治支配思想で有り、日本で云う高潔な人格の陶冶と言う様な理想主義的なものでは有りません。最近、渋沢栄一の著作を読みまして深く感動しましたが、だが渋沢は論語を誤解して居ます。本来の支那論語は渋沢が思って居る様なものでは無い。
森有礼の見た八咫鏡ですが、伊勢神宮に祀られているとか?それは公開されてはいないのですか。戦後日本語を廃止してフランス語にしたら好いと言った志賀直哉と同様に、森は日本語を廃止して英語にせよとか物議をかもした人物ですが、極端な欧化主義者で暗殺されても仕方が無い。彼が見たという、その八咫鏡の裏にへブル文字が鋳込まれていた?、不思議な話です。伊勢神宮と云えば大和朝廷とは異なる勢力であり、おそらく海人の系譜をひく勢力ではないかと思います。大体があの社ですがどう見ても高床式の南方の形式ですから。もしも森の云う事が本当ならば、古代史は何らかの修正、ないし展開が有っても好い筈ですね。(魯鈍斎)
古事記の「国産み」のくだりでは、八島のうちの3つ「筑紫島(つくしのしま)「伊伎島(いきのしま)=壱岐島」や「対馬」という北部九州=「倭国」を含めて自分たちの歴史のように語られていますね。
別の記事コメントの中で泉城さんから指摘して頂いたのですが、日本アルプスより北は「毛人(蝦夷)」の国だったと、「旧唐書」や「新唐書」には記されているそうです。
つまり、古代において日本には少なくとも3つに大別される古代日本人がいたということですね
初代文部大臣である森有礼が「英語」を公用語にせよと主張したのは、「欧化政策」という発想のひとつでもあるのでしょうが、今にして思えば、重層構造をもつ「日本」そのものを破壊するようなもので、売国的で馬鹿げた主張ですね。
ご指摘の辺には、日本人の悪い癖の性急さが有ります。森は少年の頃から外国(英国)に留学し、彼我の差を嫌という程、目にして居たに違いないのです。森に愛国心が無かった訳では無いと思いますが、͡この儘では真の独立も立ち行かないと考えて居たのかも知れません。早く技術的にも文化的にも追い付きたいという焦りがその言動を生んだのでしょう。それが或る意味で誤解された。言葉という物は文化そのものなのですから、自国語を捨てて外国語を導入するという事は全てを捨てる事に近い。新しい物を導入するという事は大切な発展の機会ですが、性急さは宜しくない。また伝統を守ると言っても、悪いと思われる旧弊を墨守するのも宜しくない。バランスが匙加減だ大切です。然しその性急さが、過去の物を全部否定するのは筋違いという事でしょう。言葉を捨てるという事は文化その物を捨てるという事に近い事ですから。また泉城さんが仰るように、古代の日本国は大きく分ければ倭国と大和と蝦夷の三つの地域に分れていたと云うことが本来の姿では無かったかと思いました。この様に古くて新しい問題である小学校の英語化はどう見ても馬鹿げていると思います。外国語は大いに習うべきですが、習うべき時期があります。日本語を身につけるべき時期に外国語は駄目です。別けても日本語は印欧語とはまるで異なる言語ですから、どちらも中途半端に成ります。
現在のように、多くの分野で欧米を凌ぐ技術力を備えた今日でも尚、小学生からの「英語化」という「古くて新しい問題」の答えに日本人は翻弄されています。
ご指摘のように「言葉という物は文化そのもの」であるからこそ、国語教育よりの英語を重視するのは本末転倒ですね。概念的思考は母国語の語彙力や論理的思考力が成熟してこそですから。
まったく御意です。仰るように外国語の学習では、そこが核心部なのです。外国語が出来た方が好いに決まって居ます。だがそれは日本語の思考力が身に付いてからなのです。母語という物は創造力と思考力の源泉ですから。特に日本語は英語・仏語・などの印欧語とまるで違いますので。これは思考想像の形態が明らかに異なる事を示唆している。