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プーチン健康不安説をロシア政府は否定、北方領土交渉はコロナ下で再び停滞中

2020-12-08 22:36:00 | ロシア

色丹島





以下は昨日、12月7日付の共同通信の記事よりそのまま引用

ロシア外務省は6日、ロシアが実効支配する北方領土出身のロシア人が米国で米国永住権(グリーンカード)を申請する際に、出身国を日本と記すよう米国務省が規定していることに「1945年の決定でクリール諸島(北方領土と千島列島)はソ連に帰属する。第2次大戦の結果に疑義を呈するものだ」と反発する声明をツイッターで発表した。

北方領土を事実上管轄するロシア極東サハリン州のインターネットメディア「サハリンとクリール」が10月、抽選でグリーンカードを与える米国務省の応募規定の中に、北方領土出身者は「日本出身」と明記するよう規定されていると報道した。

引用元:


例えば尖閣諸島に関して米国は、日米安保の範囲といいつつも、帰属に関しては、「実行支配しているのは日本」という前提に過ぎず、尖閣諸島の領有そのものへの言及はないそうなのだが、上の報道からもわかるように、北方領土に関してははっきりと現在でも日本に帰属する島であるという認識を明確にしている。

尖閣諸島を中国が領有主張しているのは、台湾が尖閣の領有主張をしており、「一つの中国」という前提で三段論法的に、尖閣諸島は中国のものという主張なのだそうだ。そのため、米国は尖閣は日台間の問題としての側面で台湾に慮っており、領有に関しては言及がないようだ。


■北方四島の歴史
嘗て北方領土の歯舞、色丹、国後、択捉の四島の存在を日本はロシアよりも早く知り、多くの日本人がこの地域に渡航して徐々にこれらの島々の統治を確立。

それ以前にロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もなかったそうだ。


1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(日露和親条約、下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認。


それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはなく、第二次大戦末期の1945年8月9日にソ連が当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領。


敗戦当時、四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいたそうだが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1948年までに全ての日本人を強制退去させ、それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続き現在に至っている、とある。




日本政府は現在もロシアに北方四島の返還を求めているが、今ではロシア人の入植が進み、そこで生まれ育ったロシア人も多く、返還は容易に進まない問題として残されてしまった。


しかし、ロシアからの返還が進まない理由として、ロシアにとって「北方領土問題」は単なる日ロ間の領土問題ではないという現実があると指摘されている。


■安倍・プーチン会談で日本政府は「二島先行返還」に方針転換
安倍晋三首相は昨年の11月14日、訪問先のシンガポールでロシアのプーチン大統領と会談し、1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速させ、3年以内に日露両国が平和条約を締結することで合意したとされる。



56年宣言は平和条約締結後に歯舞群島、色丹島の2島を引き渡すと明記してあるそうなのだが、日本政府はそれまで、国後、択捉の2島も含めた北方四島の一括返還を求めていた。


昨年の安倍・プーチン会談では今後の交渉で、島の先行返還を軸に進める方針に転換したといわれている。


もっと早く、現実的な「二島先行返還」に方針転換していれば、国後、択捉島の将来的返還を視野に入れての歯舞、色丹の返還がなされていたかもしれず、方針転換するのが遅すぎたのではないだろうか。


56年の日ソ共同宣言以降では、2001年の森喜朗元総理とプーチン大統領の「イルクーツク声明」でも56年宣言を交渉の出発点とした上で、「4島の帰属の問題を解決し平和条約を締結すること」を確認した、とある。


昨年の安倍・プーチン会談での合意は56年宣言を基礎としており、安倍総理は「4島の帰属」については記者団に言及せず、政権幹部も会談の直後「国後、択捉の2島にはあれだけ人が住んでいるんだから、ロシアが返還するわけはないだろう」などと述べていたのだそうだ。


会談後に安倍前総理は「戦後70年以上残されてきた課題を次の世代に先送りすることなく、私とプーチン大統領の手で必ずや終止符を打つという強い意志を大統領と完全に共有した」と語っておられた。


首脳会談の終了後、ロシアのペスコフ大統領報道官は「プーチン大統領と安倍首相は、1956年の日ソ共同宣言を基礎に、平和条約問題の交渉を活性化することで合意」と説明。


シンガポールでの昨年11月の首脳会談はプーチン氏が2018年9月に「前提条件なしで日ロ平和条約を締結しよう」との提案を受けて開かれた初めての会談で、3年以内に日露両国が平和条約を締結することで合意。


両首脳が事実上、期限を区切って日露平和条約を結ぶことを決めたことで、戦後70年以上、解決の道筋がつけられなかった北方領土問題は大きな転換点を迎えたと評価されていた。


実は今年の5月、安倍前総理は、ロシア政府が5月9日に予定していた対ドイツ戦勝75周年記念式典への出席を新型コロナウイルスの感染拡大で見送っており、北方領土の返還や「日ロ平和条約の締結」への会談が事実上ストップしてしまった。


その後、安倍総理は持病の悪化で今年の9月に総理大臣を辞任。


■プーチン大統領の健康不安説浮上
11月の初旬に、英国のメディアがプーチンロシア大統領の健康不安説を流し、来年には辞任の意向を固めたようだ、などと報じていた。


ロシアの著名な政治学者で元モスクワ国際関係大学教授のワレリー・ソロベイ氏なども、プーチン氏周辺からの確度の高い情報として、「プーチン大統領の病気は深刻で、大統領の職務遂行は間もなく難しくなる。来年4月の大統領選挙の開催が検討されている」などと指摘している。


しかし、ロシア大統領府の報道官はこうした報道に対して、「大統領に辞任の意向はない」と真っ向から否定現在67歳のプーチン氏は2000年の大統領就任以降、大統領と首相の双方の立場でロシアを統治しており、2024年の任期終了後については明らかにしておらず、しかしロシアの憲法で大統領の任期は連続2期までと定められており、プーチン氏は次回の大統領選挙には出馬できないそうだ。


◆ロシアにとっての北方領土が難しい理由
「領土問題を解決することでロシアは経済的メリットを得られるのになぜ渋るのか」と訝りつつも、ロシアにとって、「北方領土問題」は単なる領土問題という以外の問題があるようだ。


ロシアにとって、北方領土問題における相手は、日本だけではない」と指摘されている。例えば、ロシアが四島を返還し、その見返りに日本が経済協力をするというシナリオが実現することが日本にとっては悲願成就なのではあるが、ロシアにとっては経済協力以上に大きな安全保障上の懸念を生み出すことになるという指摘がある。


四島返還によって主権や施政権が日本に移れば、北方領土が日米安全保障条約第5条に基づく米軍の対日防衛義務の適用範囲になることを意味しており、ロシア側の安全保障上の問題が発生するということらしい。


要するにロシアにとっては米軍の軍事的影響力の範囲が、国後や択捉まで北上することになり絶対に回避したいシナリオなのだそうだ。


日ソ共同宣言には歯舞・色丹の2島返還が明記されているらしいのだが、2島返還でもロシアにしてみれば「米軍北上論」を危惧しているため、そうした背景から今では2島が日本に返還されることすらも極めて難しいうことなのかもしれない。


安倍前総理は9月に辞任し、ロシア政府は否定しているものの、プーチン大統領は深刻な病気が事実であるならば、ロシア側の交渉相手が今後どうなるのかなど、再び北方領土交渉は停滞状況となってしまった。

引用元:



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