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3.11(M7.9→9.0)の津波と1960年のチリの大地震(M9.5)との津波の比較

2021-11-07 10:09:46 | 311
3.11は日本が明治以降に経験した地震の内、最も規模の大きい地震です。





■3.11のときに発生した津波
3.11の震源は 三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmであったと現在発表されています。

死者・行方不明者は津波によって犠牲となった人々が殆どなのですが、当初津波の発生を当初50センチくらいのものという予測であったために、逃げ遅れて津波に飲み込まれてしまったということのようです。

実際には沿岸に達した津波の高さは18mもの大津波でした。

何故これほどまで予測よりも大きな津波となったのか?


■3.11(発生時刻は14時46分)の大津波到達までの状況
地震発生が14時46分で、津波警報が発表された11日14時50分から24分間くらいは各地で観測されている津波の高さはせいぜい50センチだったそうです。

14時52分~56分 20~50cm


それで、NHKが行った住民への聞き取りでも「予想より低い観測値で安心した」という声が聞かれ始めていたそうです。

ところが15時14分頃、岩手県釜石港に大津波が押し寄せる映像が入ってきてから状況が一変。

15時14分頃 3m~10m


予想される津波の高さが大幅に引き揚げれられたうえ、マグニチュード7.6の最大余震大津波も発生し、東京のスタジオも大きく揺れたそうです。


各地に大津波が到達したのが15時20分頃だったようで、発生から約30分を要しています。





■1960年のチリの大地震のときの津波との比較
3.11は太平洋プレート上面で発生したプレート境界型地震であったといわれていますが、20世紀以降に発生した最大マグニチュードの地震とされる1960年のチリの大地震も3.11と同じく太平洋側のナスカプレートが南米プレートにもぐりこんでいる境界で発生したプレート境界型地震とされています。


震源はチリ南西沖バルディビア近海で、震源の深さ約33Kmであったと発表されています。

津波が沿岸に到達するまでの時間は15分、高さは15mに及んだ。


チリ大地震のときには多くの太平洋の沿岸諸国に津波が押し寄せています。

「震発生から15分後に約18mの津波がチリ沿岸部を襲い、平均時速750kmで伝播した津波は約15時間後にはハワイ諸島を襲った。

 振幅の最大値は日本 6.1m、アリューシャン 3.4m、カナダ 3.3m、ハワイ 2.9m、オーストラリア 1.6mを観測している。

ハワイ島のヒロ湾では最大到達標高10.5mの津波を観測し、61名が死亡。太平洋を伝播する津波の周期は非常に長く、ヒロでは高さ数フィート程度の第一波到達約1時間後に最大波が襲来し、海岸線から800m以上内陸まで壊滅的な被害となった」とあります

チリの大地震の時の津波


1960年のチリ大地震の際の津波の高さの観測記録


引用元:


内閣府によれば、東日本大震災はM9.0だったとされています。因みに「地球で起こりうる最大の地震はM10」と東北大が試算しています。


「これは、日本国内観測史上最大規模、米国地質調査所(USGS)の情報によれば1900年以降、世界でも4番目の規模の地震だった」のだそうです。


「M12だと地球が割れてしまうほど」だが、そのようなエネルギーが地球内部から自然発生することはないそうです。


「三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする地震だった」と発表されています。


引用元:





東日本大震災で最大の揺れを観測したのは宮城県栗原市築館で震度7で、それ以外は全て震度6以下。福島第一原子力発電所のある大熊町の揺れは震度6の揺れだった。。


三陸沖でM9.0規模の地震が起こったわりに、三陸沿岸での揺れが少なく、震度からは実際の地震の規模はM7.9だったと指摘されています。


それではなぜ、「M9であった」と訂正されているのかといえば、「大津波の規模を説明するのにM7.9では小さ過ぎるから」なのだとか。

引用元:


震度からは、M7.9がせいぜいであったが、それではあのような大きな津波が起こったことを説明できないため、マグニチュードを最初の発表から2回訂正して、M9.0であったと発表され、それが公式に残った。


3.11は「プレート境界型地震」と説明されていますが、同じく「プレート境界型地震」でM9.5のチリの大地震のときには、太平洋を横断する規模の津波が日本にも到達しています。


一方、東日本大震災の際、南北米大陸の西海岸に津波が到達したのか否かと調べてみると、以下のようなNational Geographicに記述があります。

3月11日に日本を襲った東北地方太平洋沖地震により発生した津波は太平洋岸の各地に波及した。ハワイ州では浸水の被害が出たほか、米国本土でも北西部やカリフォルニア州の太平洋岸に津波警報・注意報が発令された。 

日本での地震発生から7時間後、津波の第1波がハワイに到達し、その高さはマウイ島やハワイ島では最高で2~3メートルに達したと報じられている。AP通信は、ハワイ島ケアラケクア湾沿いのホテルでロビーが浸水する被害があったと伝えたが、全体的に見れば被害は小規模なものにとどまっている。

アメリカ本土では、津波は現地時間3月11日午前7時15分(日本時間12日午前0時15分)前後に、まずオレゴン州北部の海岸に到達すると予測されていた。テレビ報道によると、実際に津波が最初に到達したのは同州南部の海岸で、到達時刻は午前7時48分だった。

オレゴン州の海岸に到達した津波は比較的小さく、テレビを見る限り高さ90~120センチにとどまった模様だ。日本で宮城県名取市を襲った津波とは違い、白い泡を吹く壁のような波が押し寄せることはなかった。オレゴン州では、今回の津波は10~15分おきに寄せては引く、潮流に近いものだった。

アメリカ西海岸で津波の影響が出たのはオレゴン州より南方のカリフォルニア州で、港湾や船舶が被害を受けた。

カリフォルニア州北部の港町クレセントシティーでは、「港湾施設が被害を受けた」と、同市のリッチ・エネア議員が地元の「タイムズスタンダード」紙に語っている。同紙の記事によれば市の港が被害を受けたほか、35台の船舶が破損したという。

ただし、報道を見る限り、全体的にカリフォルニア州はおおむね津波の被害を逃れたと言えるようだ。

引用元:

これは、あくまでもナショジオという雑誌の中の記述で、他の公式な記録などは殆ど見当たりません。


■1960年のM9.5のチリ大地震との津波比較のまとめ
M9.0 、(震度の規模から最初M7.9と発表され、2回訂正された)震源の深さ24Kmの3.11のとき東北地方の沿岸に達した津波の高さは最大で18m。南北米大陸に達した津波については公式の観測記録の数字の発表が殆どみられていない。


M9.5、震源の深さ33Kmの1960年のチリ大地震のときチリ沿岸に達した津波の高さの最大が15m日本にも発生から23時間後くらいに波が到達しており、波の高さは女川の4mが最高で、1m以下が殆どではあるが津波が観測された。



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