中朝の国境には鴨緑江と豆満江(図們江)の二つの川が流れ、中朝国境の東端にはロシアが位置している。露朝間の陸上の国境は豆満江およびその三角江の谷線であり、海上の国境は両国の日本海上の領海に設定されているそうだ。
つまり「朝鮮」は二つの大国である中国やロシアとそれぞれ川一つと三角州一つでそれぞれの国と国境を接しているのである。
これは中国の「延辺朝鮮族自治区」の地図である。
「延辺朝鮮族自治区」の歴史をみてみると、以下は引用元より
「古代の高句麗、渤海の故地であり、特に敦化市には渤海初期の都城・東牟山があった。渤海の壁画古墳として名高い六頂山貞恵公主墓(敦化市)はこの時代の遺跡である。」
「渤海の都はその後、上京龍泉府(黒竜江省牡丹江市)に遷ったが、自治州内には東京龍原府(琿春市)、中京顕徳府(和竜市)が置かれていた。」
「渤海滅亡後は女真の領域となり、明代には建州衛が置かれた。清代に入るとこの地は支配者である満州族の聖地と見なされ一般人の出入りが禁じられた。そのため人口密度が極端に低い状態が続き、そこへ貧困から当地に密入国する朝鮮族が増え不法に定住を始める。」
「清代後期に延吉庁と琿春庁が置かれ、満州国時代には間島省が設置された。」
「中華人民共和国が成立すると1949年に吉林省延辺専区が設けられ、1952年に「延辺朝鮮族自治区」となり1955年には「延辺朝鮮族自治州」となった。」
「1958年に敦化県(当時)が併合。文化大革命期には州長であった朱徳海(朝鮮族)が『地方民族主義の金持ち』として紅衛兵に迫害され死亡した」
などとある。
朝鮮の古い歴史に遡ると、1392年に高麗の武将李成桂太祖(女真族ともいわれる)が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立。李成桂は翌1393年に中国の明から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられ、「朝鮮」という国号はそもそも李成桂が明の明の皇帝朱元璋から下賜されたものなのだそうだ。
明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年で、中国の王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は中国王朝の冊封体制下にあった。
「東人派や西人派、老論派、南人派など党派対立が激しく、政権交代は対立する派閥の虚偽の謀反を王に通報で粛清という形が多く、多くの獄事が起こった」とある。
要するに、李氏朝鮮は代々明代でも清代でも中国の冊封体制にある国で、南北朝鮮は習近平国家主席がトランプ大統領に語った通り、1392年から1895年までの500年の間「中国の属国だった」のである。
下のの写真は宗主国である清の皇帝の使者を三跪九叩頭の礼で迎えるためにつくられた「迎恩門」。漢城の西大門にある敦義門のすぐ外、義州を経て北京に至る街道に建てられていた。
日清戦争後、清からの独立後の1896年に柱だけ残して撤去され、代わりに京城(ソウル)に下のような立門が建てられた。「独立門」のわきにあるの二本の柱は「迎恩門」柱である。
仮に、日本が19世紀から現在までの歴史において、朝鮮半島に一切介入しなかったと仮定した場合、日本とタイ王国以外には、日本が併合した朝鮮半島と台湾以外のアジア諸国はことごとく欧米列強の植民地になっていたのだ。
彼らは当時下の写真ような近代以前の、これといった産業がない貧しい国でしかなかったのだ。
1880年頃のソウル。日韓併合の20年前
日韓併合時代の1936年のソウル、南大門通り
インフラのみならず、併合によって栄養状態、衛生状態が改善し、日本からの農業、牧畜業などの導入で併合僅か35年間で朝鮮半島の人口は2倍になったそうだ。
つまり、日帝に簒奪されたというのは全くの嘘で、産業も技術もなく、両班を除く大多数の平民には学問の機会すら与えられず文盲率が高く、貧しい朝鮮半島の歴史において、ハード面(鉄道、港湾、学校、大学、病院、政治機関)・ソフト面(6-3-3制の学制、大学、ありとあらゆる近代的な文物)などの多くのものがもたらされたのが日韓併合時代であったというのが真実なのだ。
その当時、朝鮮の嘗ての宗主国の清ですら、英国とのアヘン戦争に敗れ、英国との南京条約(1842年)で香港を植民地にされ、マカオをポルトガルの植民地にされているである。
日本が半島をロシアから守るために外交権のない保護国にして、韓国の願いで併合し、清に「満州国」などという誇大妄想的なものをつくらず、つまり「大東亜共栄圏」などと言いながら勇ましく欧米諸国と戦わずに、英米と仲良くして国際連盟から脱退せず、そのまま国際連盟の「常任理事国」のままで、第二次大戦で欧米列強と戦わず、大正、昭和と自国のの発展のみを進めていれば、太平洋戦争で米国に敗けて敗戦国にもならず、代わりに、清も朝鮮半島も当時の他のアジア諸国同様に欧米列強に分割統治されて植民地となっていたであろう。インドやベトナムその他の(日本とタイを除く)アジアやアフリカ、南米諸国と同様に。
「アフリカの年」と呼ばれた1960年に独立したアフリカ諸国同様、アジアに日本がいなければ、同じ年か前後の1961年か59年頃に「アジアの年」があってこれらのこれらの国々はようやく独立国になっていたという歴史をたどっていたのではないだろうか。
そしてアフリカのように朝鮮半島を含む中国全域が欧米列強の植民地として分割されて、緯度や経度を国境線とするいくつかの国に分かれていたのかもしれないではないか。
その方がチベット族やウイグル民族にとっては今よりはましであったかもしれないのだが。
朝鮮半島などは恐らく、不凍港を日本海に欲しいソ連の一部に組み込まれて、少数民族の朝鮮族と極東ロシア人との混血が進み、今頃ソウルか平壌はロシアの「ウリジオストク」などの名称で呼ばれて「反日民族」にならずキムチ味のスケトウダラなどを主力の輸出品にしていたのではなかろうか。
今でも残る「北緯38度の南北の国境線」はまさしくその証左。
この地図はネット上から拝借しました
歴史の流れからみて、日本が朝鮮半島に19世紀と20世紀において一切介入せずに静観していたとすれば
①朝鮮半島は日本海に不凍港が欲しかったロシアに飲み込まれたい可能性が極めて高い。
そして日本は清国や朝鮮半島に介入せず、今日北方領土を第二次大戦末期にソ連に奪われずにすんでいたのだ。
もう一つの可能性として、
②半島全体が中国に飲み込まれて「延辺朝鮮族自治区」の一部であった可能性も高い。上の地図の中のウイグルやチベットと同様である。半島だけが「盲腸にぶら下がっている虫垂のように」貪欲な中国からの独立を保っていること自体が奇跡であろう。
そもそも日本が「日清戦争」で清と戦って勝利したからこそ、「下関条約」(1895年4月17日に下関の春帆楼(しゅんぱんろう)での講和会議で調印)によって、李氏朝鮮清が清国からの独立国となって誕生したのが「大韓帝国」(1987年~1910年)であるのだ。
日本が国を奪ったのではなく、日本が清と戦って清から李氏朝鮮を独立させ、議会制民主主義を教えて独立国国家としての国家誕生を助けたとみるべきなのだ。
日韓併合も、韓国の当時の政治団体「一進会」が願い出て、列強から近代化の遅れた自国を助けてもらえるよう日本に「併合請願」したことで、日韓双方の議会が調印を交わしたことによるのである。国際法上も「侵略」などでは決してなかった。
この建物は金泳三によって破壊されたのであるが、日本の税金で日本が京城(現ソウル)に造った「朝鮮総督府」である。中は下のような絢爛豪華な建物であったそうだ。
産業のない貧しい朝鮮の娘たちが出稼ぎのために売春婦になったか、あるいは親によって朝鮮人の女衒に売られて売春婦になったのが実像なのに「日本軍に強制連行された少女が慰安婦」という虚構と、彼らの日韓併合の「被害者的歴史観」は、自分達の哀れな歴史、当時のおぞましい国家の現状を糊塗するための欺瞞でしかない。
国力においても、近代国家としてのありとあらゆる要素においても、その当時日本に大きく後れをとり、「大韓帝国」などと名乗ったところで近代以前の哀れな国貧しい弱小国であり、国際社会において「未開な国扱い」で相手にのされていなかったので日本が近代化するために保護国にしたのだ。
優しい日本人達が列強から植民地にされるアジアの国々を憂え、隣国だからと特別に日本と同等以上のインフラ整備のため、日本人の血税を使って朝鮮に様々な「施し」をしたのであって、何もない貧しい国が日本に「簒奪された」だの「強占された」だのと嘘を吐くのもいい加減にしてもらいたい。まともに自国の歴史を学べといいたい。
1910~45年までの35年間の「日韓併合」は日清戦争の下関条約によって日本がまず朝鮮半島を清から独立させ、日露戦争でロシアによる侵略から守り、その後、朝鮮総督府を置いて保護国下に置き。近代化を助けていた頃に、日韓併合について反対していた初代総督府総監の伊藤博文を暗殺された後に韓国の政治団体「一進会」が請願を起こして、併合を願い出た、というのが正しい歴史的事実なのだ。
北朝鮮に日韓併合時代に日本は造った水豊ダムである。このダムは日韓併合時代の第二次大戦の戦前、日本窒素肥料株式会社の子会社が全額負担し、西松組(満州側)や間組(朝鮮側)などが主体となって作り上げ、竣工当時世界最大級を誇った重力式コンクリートダムで、現在も現役で稼働して、北朝鮮に送電しているそうだ。
北の国営朝鮮中央通信(KCNA)が19日「日本を「千年来の敵」と評して「(日本の統治時代に)わが民族に及ぼした人的・物的・精神・道徳的損失は、日本という国をそっくりささげてもとうてい賠償できない」などと吠えていたが、朝鮮半島にもたらした多くのものの一つとして、今でも電力を供給してくれるこのダムは日本が造ったものであったことをしっているのだろうか。
KCNAが放送するために使っている電力は日本が造った水豊ダムがあるからこそ経済制裁されて石油が来なくて火力発電所が稼働していない現在でも電波放送できるのであって、もし水豊ダムがなかったなら、夜になれば今より真っ暗になるのが北朝鮮だったはずなのだ。
李氏朝鮮の身分制度を廃止させ、日本人の血税を使って朝鮮半島に鉄道や道路、港湾、上の写真のような水力発電所を造るなど様々なインフラ整備を行い、学制を敷き、京城に帝国大学(現ソウル大学)をつくり文盲率の高かった朝鮮民族のために漢字とハングルを教科書に取り入れて教育したのは日本だ。
日本によって、李氏朝鮮の不平等な身分制度が廃止させられて「民主主義」がもたらされたのであり、併合時代35年間で朝鮮人の人口が2倍になるなどは人々の暮らしも豊かになった証だし、欧米列強の前で満足に相手にされず、交渉すらで出来ず、まともな軍隊がなく、貧しく、ロシアに様々な権益を売り渡していた朝鮮にとって併合がどちらの国民のためのものであったか考えればわかるはずだ。
日本からの独立後も、1950年の朝鮮戦争のとき実は日本人は約2000人が参戦して、米軍を中心とする「国連軍」の仁川上陸作戦(1950年9月15日)で、戦車・兵士を運んだ戦車揚陸艦(LST)に従事して韓国を助けている。
朝鮮半島の海岸線や現地の地理を熟知していた日本人が運航したLSTは30隻、全体の6割にのぼったのだそうだが、朝鮮半島の地理を熟知した日本人船員を、マッカーサーGHQ総司令官が日本商船管理局に命じて招集し、その協力があって仁川上陸作戦は朝鮮戦争の形勢を逆転させる奇襲攻撃の成功があったといわれている。
しかもその際、機雷除去に参加した日本人の最低57人の死者が出たそうだ。
こうしたことを知らされていないのか、韓国は日本が朝鮮戦争で経済的漁夫の利を得たなどと悪口をいうだけで感謝されたことは1度たりともない。今や、「国を奪われた」「千年の恨」と憎まれただけ。
65年の日韓の国交回復後に、所謂「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展などを韓国は自力で遂げたと思っているようだが、実際は日本からの多額の支援や資本投下、企業による技術支援、数多くの有償無償のODAでの支援という手厚い特別待遇があったからこそで、韓国がその後も成長を続けて、99年にはG20のメンバーとなり、2018年10月の経済規模(GDP)で世界11位にまでなって、南北朝鮮の経済格差は45倍ともいわれる「雲泥の差」となった。
裏を返せば、韓国から日本の支援を差し引けば、韓国は北朝鮮と同じような有様であったとも言えよう。
それなのに韓国があまりにも「反日」「卑日」過ぎたことで、日本人は骨の髄まで「韓国」そのものにうんざりしたのだ。むこう500年くらいは日本は恩しらずの嘘吐き恥知らずの民族とは関わりたくもない
これを「ヘイト」であると言われたとしても、事実そうなのである。
日本が作ったものの上に近代化された現在があるのだから、日本憎しで日本由来の樹木を植え替えたり、日本人が作曲した小学校の校歌を廃止したり、日本製のありとあらゆるものを不買運動するだけでは手ぬるいのであって、
「日帝」が造った朝鮮半島の南北鉄道の「京義線」(ソウル〜汶山~都羅山、板門~開城~新義州)北朝鮮側では、韓国側で京釜線とされる区間を含んで「平釜線」(平壌~釜山)と「平義線」(平壌~新義州)、「京元線」(龍山~白馬高地、佳谷~平康~元山)北朝鮮側では、日本統治時代の咸鏡線元山~高原間と共に、「江原線」(高原~平康)など、全て廃線にすべきであろう。
「日帝」が造った道路、港、学校も廃止し、旧帝国大学の京城大学「現ソウル大学」も廃校にすべきである。
「日帝」が敷いた「6-3-3」の学制も廃止したらよいのだ。もっとにいえば「大統領」「民主主義」その他の全ての「制度言語」、「概念用語」も日本語からの借用語なので、気分が悪いであろうし、いっそのこと全て「自国の言葉で言語体系を作り直すべき」ではないのか。
漢字をやめた「ハングル文字」の国なのだから「同音異義語」の多い「漢字言語の日本語」は混乱の元であろう。悪いことはいわないから、自国の言葉に全て作りなおしなさい、といいたい。
「約束」という言葉に相当する概念が元から朝鮮半島になかったようで、彼らは「約束」を日本語の通り「やくそく」と発音する。聞いていて気持ち悪いのだ。どうせ、約束などというものを理解すらしていないくせに。
引用:
朝鮮は日本の手助けによって歴史上初めて中国から独立し、韓国はこれまでになく経済的発展や知識文化水準の向上を果たしたわけですが、悲しいかな激昂型の民族の本性は変えられず先祖返りしているようです。
日本のおかげで儚い夢を見ることができましたが、今やどこの国からも信用されず、また元の木阿弥になりますね。
「ウリジオストク」は面白いです。
コメントをありがとうございます。当時の日本の教育を受けた人々が年老いて去り、本当の「日本」を知らない、嘘の歴史刷り込みをなされてきた親北的あるいは火病的人々が政権の中枢にいるということで、韓国はもう末期的ですね。先祖返り、「元の木阿弥」となってしまいましたね。