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日本人として日々の暮らしの中で思うこと、知りたかったこと

「三・一節」(併合時のいわば「ロウソクデモ」の始まり)

2019-03-09 18:34:51 | 韓国・北朝鮮
2018/3/1(木) 午前 8:16

朝鮮は1910年から日本に併合され、同年に創設された憲兵補助員制度において憲兵補助員として帝国陸軍に朝鮮人が大量採用されました。但しこれは憲兵補助員であって、「軍人」ではありません。

その後、1919年に憲兵補助員制度が廃止され憲兵補助員は朝鮮総督府警察の警察官に転官されます。おそらく、この1918年の「三・一事件」後に度々起こるようになった「デモ」に手をやき、大量の警察官が朝鮮半島内で必要となったことが想像されます。

なぜなら、併合によって身分制度がなくなり、義務教育が導入されたことにより教育による知識が増え、当時の朝鮮の人々は世界的な気運でもあった「民族自決」に目覚めるというよりは、「権利意識に目覚めた」ことで、様々な要求を「デモ」という集団行動によって表現するようになったようなのです。これは今日の「ロウソクデモ」をイメージしてみれば隣国の人々の行動様式としてとてもよく理解できます。

第一次世界大戦当時、朝鮮出身者は帝国陸軍、海軍には兵として採用されることはなく、1938年に陸軍特別志願兵制度、1943年に海軍特別志願兵制度が出来るまで「日本兵」にはなれなかったなど、様々な要素が絡み合って、やはり民族差別を感じていたことが根底にあったのかもしれません。

先ほども言いましたが、ウィルソン大統領の「十四か条」のどこにも「朝鮮」という文言はありません。清から独立した李氏朝鮮は、中世のままの社会で、近代化された軍備もなく、教育や産業基盤も資源もなく、独立自治能力が弱く、南下政策をとるロシアの侵攻の可能性を防ぐべく、日韓双方の合意によって併合が行われていることなどから、国際法上問題とされず、パリ会議でも一切、議題にもされませんでした。これが事実です。


1945年8月15日、第二次世界大戦で日本が敗戦し、1945年9月2日から48年8月15日まで、朝鮮半島は北をソビエト、南をアメリカが軍政を置き、1948年8月13日に初代韓国大統領の李承晩が大韓民国政府樹立を宣言し、同年8月15日に北緯38度以南の朝鮮半島の実効支配地域を大韓民国として独立しました。つまり、韓国という国は2018年現在、独立建国からちょうど70年というのが事実です。

米軍政下の1946年3月1日に国家慶祝日に指定され、独立後の1949年10月1日に公布された「国家慶祝日に関する法律」により祝日指定。

廬武鉉政権下の2005年12月29日に「国家慶祝日に関する法律」で改定され、「殉国の士に対する追慕と哀悼の黙念を捧げて、民族精神を振り返る日」とされています。これにより毎年政府主催の記念行事が行われ大統領が式典で演説(概ね反日的内容)を行うようになった、という経緯のようです。


デモの様子についてはこちら (以下はWIKIからの引用)

発端となった民族代表33人は逮捕されたものの、本来独立宣言を読み上げるはずであった平城(現ソウル)パゴダ公園には数千人規模の学生が集まり、その後市内をデモ行進した。道々「独立万歳」と叫ぶデモには、次々に市民が参加し、数万人規模となったという。

以降、運動は始め朝鮮北部に波及し、その後南部に及んだ。結果、朝鮮半島全体に広がり、数ヶ月に渡って示威行動が展開された。これに対し朝鮮総督府は、警察に加え軍隊も投入して治安維持に当たった。

3月から5月にかけて集計すると、デモ回数は1542回、延べ参加人数は205万人に上る。そしてデモの回数・参加人数が多かったのは京畿道や慶尚南道、黄海道、平安北道などの地域であった。地方都市でデモを行う場合、人が集まる「市日」(定期市が立つ日)が選ばれ、通常より多くの動員ができるよう工夫された。

運動の初期には、その発生は大都市に集中し、担い手は学生や教師といった人々が主導した。しかし運動が広がりを見せ、地方都市や農村に舞台が移るようになると参加する人も多様となり、農民や労働者、商工業者、官僚、両班などが参加するようになったそうです。

運動の形態には、デモ行進、烽火示威、同盟休校、同盟罷業、独立請願、閉店などがあった。独立宣言にあったように当初は平和的な手段によって運動を行っていたが、次第に警察署・村役場・小学校等が襲われ、放火・投石・破壊・暴行・惨殺も多数行われ、暴徒化していった。

これに関して、「暴徒化した理由は日本側の弾圧が激しくなったための抵抗である」という意見や、逆に「暴徒を鎮圧するために多少の武力を使うことは、どの国でも行われる当然のことである」とする意見などがある。



コメント

結局ローソクデモを助長したのは廬武鉉ということでしょうか。
親北派として金大中の太陽政策を引き継ぎ、反日姿勢を強化し、その廬武鉉を引き継いだのが文在寅ですね。
根底に民族差別を感じているのでしょうが、北朝鮮の工作員が背後にいるとしても、現韓国政府は日本と未来につながる良好な関係を持つ気がないのですね。
今後の韓国の政策や姿勢には期待できるところはなさそうですが冷静に見守るとしましょう。日本政府には厳格かつ的確な対応を望みます。
2018/9/16(日) 午前 11:06 泉城


> 石田泉城さん
私もそう思います。いつも政権が変わる度に前の政権が交わした約束を反故にして、新たな謝罪と日本からの特別な様々な形での支援を要求してきたのが韓国で、日本はそれを甘んじて受け入れ過ぎて来ましたね。もう今後は「普通の二国間関係」で粛々と付き合っていけばよいのだと思います。北朝鮮への戦後賠償も、むしろ拉致事件の加害国相手に無用だと思います。
2018/9/16(日) 午前 11:18 kamakuraboy


> 石田泉城さん
金大中は日本に留学していた人物で、どちらかと言えば親日派かと思われがちですが、実体は北朝鮮にかなり寄った人物でしたし、廬武鉉、文在寅両氏とも明らかに北朝鮮の工作員的な立場ですね。韓国経済はどんどん酷いことになっていってますね。
自国の利益よりも韓国の吸収消滅に近い状態での半島統一を内心では望んでいるようにさえ思えます。これは彼らの「主体(ちゅちぇ)思想」という民族特有の教義による洗脳が影響しているのではないかと思っております。根本的には、韓国は米国の傀儡で、抗日パルチザンや米国と朝鮮戦争で戦った北朝鮮の方が誇りある朝鮮民族の国家なのだという発想ですね。もはや誰も文在寅の暴走を止めることは出来そうにありませんね。
板門店宣言の履行には南北鉄道を敷くなどで総額10兆円規模の費用がかかるそうですが。経済制裁も最早なし崩しになってきているようですし。 削除
2018/9/16(日) 午前 11:41 kamakuraboy

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