呂洞賓(りょ どうひん)は、貞元14年(798年)4月14日に生まれた唐の時代の人で、蒲州永乐県の出身。姓は呂、名は品、字は洞賓、呂洞賓は純陽子と号されました。彼は八仙人の一人で、父親の呂譲は海州の刺史(長官)を務めました。
言い伝えによれば、呂洞賓が生まれたとき、部屋は香りで満たされ、天上の音楽が響き渡り、一羽の白い鶴が空から降りてきて、帷(とばり)の中に飛び込んで見えなくなりました。彼は生まれながらにして金形木質・鶴頂亀骨・虎の体に龍の髭、鳳の眼が天を仰ぎ、両眉は髪のよう、首は長くて顎が露わになり、額は広くて体は丸く、鼻筋は高くまっすぐで、肌の色は白黄色、左眉角に一つ黒い痣(あざ)があったと言われています。
幼少期から聡明で記憶力が良く、口からは文章が滑らかに出てきました。成人後、身長は八尺二寸に達しました。淡い黄色の笑顔で、微かな髭があり、三本の髭を生やし、華陽巾を好んで被りました。唐の会昌年間、両親の命に従い、長安に試験を受けに行きました。
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