務台俊介衆議院議員はエポックタイムズの取材に対し、日本は戦略眼を持って在日中国人と付き合うべきだと語った(Wenliang Wang/大紀元)
清朝末期に日本に亡命した孫文が犬養毅や頭山満らの支援を得ていたことは有名な逸話だ。そして今、東京の街角には、清王朝末期の動乱を彷彿とさせる情景が広がりつつある。「亡命に等しい中国人を遠ざけるのは日本の国益に叶うのだろうか」。永田町の一室に響いたこの指摘は、日本社会に1世紀以上前に繰り広げられた対中政策の胎動を象徴している。
中国経済の失速と秦剛外相の失踪に象徴される政局不安により、多くの中国人が海外に「脱出」している。英語の「run(走るの意)」を文字った「潤(ピンインでrun、国外脱出の意)」活によって、多くのインテリ層や富裕層が資産を持って東京に集っている。
「本来はそのような人々と意見交換しなければならない。『義を見てせざるは勇なきなり』という日本人古来の生き方を今こそ示し、懐の深さを見せないといけない」。こう語るのは務台俊介衆院議員(自民)だ。中国人富裕層や民主活動家は海外の大都市に集っており、なかでも東京が一番のホットスポットになっている。
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共和党候補者であるトランプ元大統領は4月、ミシガン州グランドラピッズで開催された選挙講演に出席 (Photo by Spencer Platt/Getty Images)
日本のエネルギー政策は、二酸化炭素(CO2)削減に偏重するあまり、産業空洞化を招き、国力を毀損している。キヤノングローバル戦略研究所の杉山大志研究主幹はエポックタイムズの取材で危機感を示した。杉山氏は「エネルギードミナンス計画」を提唱し、エネルギーコストの低減と安全保障の確保を最優先する現実的な政策転換を訴える。
「日本のエネルギー政策は現在、脱炭素のことしか考えていない。それのせいで産業が空洞化していって、日本が弱くなっている。日本が弱くなると自国を守ることもできない」と杉山氏。「脱炭素の目標を決めることはやめる。その代わり、電気料金について目標をはっきり決めるべきだ」と指摘した。
エネルギードミナンス計画では......
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務台俊介衆議院議員はエポックタイムズの取材に対し、地元の日中友好協会から脱退した経緯について語った(Wenliang Wang/大紀元)
「日中友好協会の活動内容は、中国共産党や中国大使館のプロパガンダの垂れ流しになっている」。務台俊介(むたい・しゅんすけ)衆院議員はこのほど、エポックタイムズの取材に応じ、日本の各地域にある「日中友好協会」の役割について、本来の日中友好の精神に立ち返るべきだと指摘した。
務台氏は先日、地元・長野県の日中友好協会を退会した。「日中友好協会は中国共産党の人権侵害や宗教抑圧、アルプス処理水への非難などには一切触れない」とし、「真に日中友好を唱えるならば、問題意識を持ってダメなことにはダメだと言わないといけないのではないか」と問題視した。
日中友好協会主催のイベントには、中国の大使や外交官が登壇し、中国共産党の立場を来場者に向けて発信する。当時、日本大使を務めた王毅外交部長が来ることもあった。
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目白大学大学院講師でアジア太平洋交流学会会長の渋谷司氏(大紀元)
失業率の上昇、地方政府の債務危機、そして外資の撤退――。表面的な繁栄を見せていた中国経済は、今や終焉のときを迎えつつある。
「社会主義をやっていれば、ダメに決まっている」。こう指摘するのは、アジア太平洋交流学会の澁谷司会長だ。現在の中国共産党は経済が失速するなか、ますます独裁色を強めている。当局は景気刺激策を打ち出しているが、焼け石に水だという。
地方政府は財政破綻のリスクを抱えており、中国社会を揺るがす時限爆弾となっている。深刻な財政難に直面する天津市などでは、公務員の給料未払いも発生している。山東省の警察組織は規模を縮小し、広東省では公務員の年金が三分の一をカットされている。
さらに、地方政府が出資した投資会社「融資平台」もほとんど破綻状態にある。融資平台が破綻すれば、地方政府に貸し出している銀行も貸し倒れを起こし、大損失を被る恐れがある。
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ガザ地区のムスリム家庭に生まれ、12歳でイスラエルに亡命したドール・シャカール氏が語る波乱に満ちた半生とは (Alex Gurevich/Epoch Magazine Israel)
「7歳のとき、ユダヤ人を殺すよう先生に教えられた」。ガザ地区のムスリム家庭に生まれ、12歳でイスラエルに亡命したドール・シャカール氏はエポックタイムズの独占インタビューに応じ、当事者の目線でパレスチナ問題の知られざる一面を語った。
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——幼少期のことについて伺いたい。
私は幼少期をガザ地区の都市ハーンユーニスで過ごした。小学校に入ってすぐ、アラビア文字の読み書きを習い始めた。およそ1カ月後、先生たちはユダヤ人を殺すよう教え始めた。
「ユダヤ人はお前たちの土地を奪っているから、ユダヤ人を殺さなければならない。奪われた土地を取り戻すために、最後の一滴の血を使い果たすまで戦うのだ」
奪い返すべき土地は、ヤッファやテルアビブ、エルサレムなどだ、と先生たちは教えた。
しかし、私はずっと前から、市場に買い付けに来るユダヤ人を知っていた。当時、インティファーダ(パレスチナ人による投石等の抵抗運動)はなかった。本当に静かだった。
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