1877年4月16日、札幌農学校(現在の北海道大学農学部)の基礎を築いた教頭・クラーク博士が、「Boys,be ambitious.(少年よ、大志を抱け)」という有名な言葉を残して北海道を去った。
日本初の官立農学校である札幌農学校が開校した際に、日本政府の熱烈な要請を受けて招かれた初代の教頭だった。その当時、クラーク博士はマサチューセッツ農科大学の学長であり、その農科大学の1年間の休暇を利用しての訪日であった。
一方その頃、ごく一般的な日本の学校では(いなぶのどんぐり工房)
彼は帰国した後も札幌での生活を忘れることはなく、「札幌で過ごした9ヵ月間こそ私の人生で最も輝かしい時だった」と言い残したと伝えられる。
4月16日の出来事:「 ゴルビー現る 」
1991年:ソ連のゴルバチョフ大統領が、ソ連の元首として初めて来日。
書記長・ソ連大統領時代の1991年4月16日に、日露(日ソ)会談のため来日、海部俊樹首相や安倍晋太郎外相と会談を行っている。
書記長・ソ連大統領時代の1991年4月16日に、日露(日ソ)会談のため来日、海部俊樹首相や安倍晋太郎外相と会談を行っている。
一方、この時、同伴したライサ夫人は、銀座でお買い物中。
ソ連国内では「国民が経済不調で苦しんでいるのに」と不評を買うことに。
今もそうだけど、ご家族は 西側諸国で自由を満喫 というありがちな状況。
4月16日生まれの「 飛びます飛びます 」
1934年:坂上二郎(コメディアン(コント55号)、俳優)
[2011年3月10日歿]あの日(大震災)の前日
[2011年3月10日歿]あの日(大震災)の前日
坂上は非常に記憶力がよく台本を読ませると完璧に覚えてしまい、全てが予定調和になってしまうため、萩本欽一は坂上に台本を読ませなかったり、突如ステージで台本を無視して舞台上で坂上に無理難題をふっかけるなどしたが、坂上はこれを全て笑いに変えていった。
この過程で坂上が決めゼリフを頻発し、笑いを畳み掛けた。
コント55号は坂上抜きには成立せず、ビートたけしから「最高の受け役」と言われる。
『必殺!人生送りバント』弱音ハク
『必殺!人生送りバント』さだまさし
コント55号は坂上抜きには成立せず、ビートたけしから「最高の受け役」と言われる。
『必殺!人生送りバント』弱音ハク
『必殺!人生送りバント』さだまさし
飛びます 飛びます
坂上は後に「二度同じネタをやらなかった」と述べているが、理由はアドリブのため。
4月16日の誕生花:「 グロリオーサ(狐百合):光栄、栄光に満ちた世界 」
ユリ形の花びらが波打つように上に反転して咲く
では f-o-q
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