
実は今の今まで「星の王子さま」を読んだことがありません。フランス語の授業でサンテックス(サンテグジュペリの略)の「人間の土地」を読んだことがあって、そのときは面白いと思ったものの、なぜか「星の王子さま」は読まずじまい。
で、新訳が出たのを機に日本語で読んでみることにしました。読まなければ訳の善し悪しもわからないので、どれにしようかな、で三野博司訳。
それにしても、原題は「小さな王子さま」なのに、ずらりと並んだ新訳でもみな「星の王子さま」。よくぞつけたり、内藤濯。ちなみに「星の王子さま」と日本語でつけたのは、内藤濯なんですが、サンテックスの著作権を管理する日本の会社が商標登録してしまいました(この商標登録って、結構問題ありますよね。いつだったかの「阪神優勝」とか、最近じゃ、角川書店が「ボランティア」や「NPO」を商標登録したり)。
で、読みました。
確かに子どものため、というより、大人のため、かな。「命令する王」のいる星、「うぬぼれ屋」のいる星、「ビジネスマン」のいる星。寓意は単純きわまりなくて、少しうっとうしい感じがする。そうしたものは、もちろん好意的に描かれていない。
つまり、この本では、二種類の人間が描かれる。蛇を飲み込んだウワバミの絵を見て、帽子と思う人間と、そのまま蛇を飲み込んだウワバミの絵と思う人間。そして後者の心の内にある純粋さや、その純粋さによって本当に価値のあるものやことを感じることの大切さを訴えているように思える。 実に単純である(ちょっとわかりにくいのが、牡ヒツジじゃだめ、角があるじゃないか、というもの。牡ヒツジは男性のメタファーだろう。角=ペニスを持った牡が花=女を襲ってしまうじゃないか、と)。
しかし、この本が世界中で多くの人に受け入れられているのは、こうしたアレゴリー故ではないだろう。この本は人間の存在そのものがもつ悲しさに触れている。命令する相手が必要な王様も、みせびらかせたいうぬぼれも、誰もが誰かを必要としている。それなのに、ここに出てくる人たちはみなひとりぼっちだ。「ぼく」も、王子さまも、花も、狐も誰も彼も。出会いはすでに別れの響きに包まれている。
宇宙の夜の中で、たった一人でいること。王子さまはそれを毅然として受け入れる。その姿に感動するのだ。ぼくもその姿に感動してしまったのであった。
訳文はほかのものを読んでいないので比較はできないのだが、日本語としてこなれていないような気がする。もしかしたら、直訳っぽい感じで、原作の雰囲気を伝えようとしているのかもしれない。