
肉筆100枚を含む、驚異の出展数500枚。
その気になったら、人も殺せる図録の分厚さ。
まさに圧倒的な規模で開催された
北斎展だ。
小布施で北斎に触れて以来、ぼくは北斎の大ファン。当然初日に出かける。
ところがものすごい混雑。人の頭越しに見るか、さもなければ延々と続く列におとなしく並び、順番を待つしかない(ただやはりものすごい量なので、集中力がとぎれてしまうらしく、後半部分は比較的すいてる)。
彼の生涯に沿って展示された作品を追っていくにつれ、ぼくの頭の中にもう一人の西洋の画家が浮かんで離れなかった。ゴヤである。「絵を描く」というのは一種の業だ。決して倦むことなく、一生それを追い続け、考え続けた北斎とゴヤが重なってならない。年齢を加えても一切停滞しないのだ。
「わたしは老画家とか老翁とかしばしば書いて来たものであったが、しかし考えてみれば、芸術家が………もし彼が真に芸術家であるならば………円熟などということを自ら志して、過去の業績の繰り返し、つまりは自己模倣をはじめたとするならば、それはもはや一種の芸術的金利生活者であって、真の芸術家とは呼びがたいであろう。同時代人であるゲーテは80歳になってからペルシア語を勉強しはじめたものであったし、ベートーヴェンもまたあらゆる新しい可能性をさぐり求めて管弦楽に合唱までもくわえたものであった。」(堀田善衛「ゴヤ 運命・黒い絵」)
ゴヤ、ゲーテ、ベートーヴェンと同様の境地に北斎もいる。まさに自分で名乗った通り、画狂老人である。この「狂」をぼくは業と呼ぶ。この業に突き動かされている限り、平安はないだろう。魂の渇きを抑えられず、彼は常に新しい何かを追い求めてしまうのだ。
国立博物館で12月4日まで
集中力を持続させたまま一度で廻りきれないし、期間中の展示替えも結構あるので、2回券がお勧めです。