
文京シビックホール「響きの森クラシック・シリーズVol.13」をに聴きに行きました。昔文京公会堂と呼ばれ、ドリフがよく使ってたんですが、ほかにもルドルフ・ゼルキンとかヴィルヘルム・ケンプとか、そうそうたる人々のコンサートにも使われていたホール。区役所が馬鹿みたいな予算と規模で建て直ししたのをきっかけにホールも新しくなりました(確か、当時、東京都庁舎、大阪府庁舎に続く自治体No.3の規模だったと。都道府県と競うなよ、特別区の一つが…)。
今回のコンサートのプログラムはムソルグスキー/歌劇「ソロチンスクの市」より“ゴパック”、チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲、ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番「革命」、と、すべてロシア/ソ連製。
指揮はチョン・ミョンフン、演奏は東京フィル、ヴァイオリンのソリストが庄司沙也香さん。
ムソルグスキーの曲は初めて聴いた曲。アメリカ人の作曲家が作ったんじゃないか、という感じの曲なんだけれど、最後は「たまごの殻をつけたひなどりのバレエ」っぽい。まあ、出だしの腕ならしにふさわしいオーケストラ・ショウピース。
チャイコのヴァイオリン協奏曲は、なんと言っても庄司さんの高音の澄み切った美しさ、低音でのやにっこいほどの婀娜っぽさが魅力的。美しさと迫力と両方がぴんと立った演奏。 休憩をはさんで、ショスタコーヴィチの5番「革命」。音楽を語るのに、政治的なコンテクストに配慮しなくてはならないのは、20世紀の悲劇なのだと思う。革命に対する歓喜なのか、強制された歓喜なのか、この曲はそういう政治的なコンテクストだけで語られるものではないと思うんですよ。20世紀に生まれたぼくたちはあまりにも、政治的な語彙で物事を考えすぎる。この曲の第一楽章から現れる不安に満ちた音は、まさに人間の条件そのものをあらわしているのではないか、と(アンドレ・マルローの言う「人間の条件」という意味で)。
このコンサートでこの響きを聴いて、ぼくはドイツ表現主義やロシア・アバンギャルドの空気を感じてしまうんです。ショスタコーヴィチはその息吹を受けて作曲をし、そして4番がプラウダで酷評される。粛清の危機に、作られたのが5番だからどうしても政治的な側面で語られるが、この第3楽章を聴いて欲しい。この音は政治では語れない。
そんな風なことまで考えさせてくれるような、そんな演奏でした。大きなスケール、美しい細部、メリハリのきいた指揮に、オケもよく応えていたと思いました。
しかしそれにしても、不安の美、というものを初めて見させて頂きました。