(内宮前のロータリー。車を回すためのロータリーにこの森。すごい!)
あるいは、大和朝廷による征服説。
なぜ天照大神は今の五十鈴川ほとりに到るまで転々と移動したのか。
あの移動は、要するに征服地域の拡大なのだ(ここで言う征服は武力による土地の征服、というものから、大和朝廷の宗教に組み込まれる精神的な征服まで含む)。
たとえば鹿島神宮。
あそこの主祭神は言わずとしれた武甕槌命である。
しかし常陸国風土記には一切記載がない。
もともとの鹿島神は土着の地方神であり、鹿島神宮はそれを祀っていたのだ。
それが大和朝廷の東北遠征時に拠点となる鹿島に武力の神として武甕槌命が祀られ、やがて鹿島神と武甕槌命が習合したのである。
今の地に落ち着くまで転々とした元伊勢には2つの成り立ちがあるように思われる。
一つは元々地方神として祀られていたさまざまな太陽神が天照大神に統一された成り立ち。
もう一つは、戦前の日本の植民地に建てられた神社と同じ成り立ち。
どちらも天照大神という最高神の神話世界へ組み入れる装置として考えられるのではないか。