長い休みになると必ず訪れた長野の親戚の家。そしてその途中、これも必ずと言っていいほど食べた横川の釜飯。
ここから横川までそんなに遠くないはずだ。ほぼずっと上り坂だろうが、まあ、なんとかなるだろう。地図もないけど。それもまあ、いつものことだ。だいたい、ぼくほどの上級者(方向音痴の上級だけど)になると、地図など不必要なのである。あっても意味がないのである。ぼくは太陽の位置で方向を考えながら走る、って、俺は何時代の人間だよ。途中「イオン」の看板を見つける。左折21km先だと? スケールでかいよ、この辺。21kmって、遠いだろう?
などと目についたもんを考えもなくぶつぶつ言葉にしながら、えっちらおっちら登っていく。頭を通さない言葉は軽薄でいい。自転車に乗っている時は、ほぼ脊髄反射で言葉と戯れる。これも実にいいストレス発散なのだ。
だんだん登り坂が多くなる。傾斜のきついところでは、登坂車線を走る。一事が万事なるべく左側を穏便に走っていく。
やがて横川、峠の釜飯おぎのや到着。うちを出て160km。

記憶よりもずいぶん新しく格好よくきれいになっている。
もっと汚くて、なんだかドライブインに毛の生えたようなもんだったのだが、それが今じゃこんなありさま。

懐かしの釜飯にご対面。ああ、懐かしい。そうそう、こんな感じだった。栗はいいのだが、アンズが微妙。しょっぱいものの中にあるフルーツというものが苦手なのだ。いや、そういうしょっぱいのも甘いのも、その両面を合わせ楽しむのが人間の度量だと言うのなら、ぼくは、OK、甘んじて度量の狭い人間とのそしりを受けようではないか。そして、正々堂々と釜飯の中のアンズと冷や麦の中のパインと生ハム背負ったメロンにNOと言おう。そうだ、ぼくはその狭い度量故、生きていけるのだ、と軽井沢手前でE.M.シオランを気取ってみたりする(全然関係ないが、シオランの本ってアマゾンなどで異様に高いの知ってます? ぼく、「生誕の災厄」に始まって5巻の選集も全部持っているので、思い出売ってお小遣い稼ぎしてしまう誘惑にかられたりする)。
食べ終わって外に出ると、急な雨。あわてて横川駅で自転車をしまって駅舎で一休み。
長野新幹線が開通する前は長野へ行くにはここを通るしかなかった。上野で電車に乗るか、親父の運転する車に乗るか、いずれにしてもぼくたち兄弟は高崎で我先に車窓の観音像を探し、安中の工場群にドキドキし、横川で釜飯を食べた。そして車も電車もそこから碓氷峠を登り、軽井沢を通り長野へ向かうのだった。
でも、もう信越線は横川から先へは通じていないし、高崎から先へも通じていない。高崎から横川までのほんのわずかな距離を往復しているだけだ(調べたら1日1本だけ高崎を越えて上野に行く電車がある)。
それに意外だったのは、駅の小ささ。釜飯を求める人たちでにぎわったあのホームはこんなに狭くて小さかったのか、と。夜など、売る方も買う方も焦っている熱気でワンワンして、まるでお祭りのような騒ぎだった。その面影はどこにもない。

雨の中これ以上すすむのはおっくうなので信越線で高崎へ帰る。やってきた電車は、たしか昔は急行電車だったような気がする。
結局思い出なんてものは、こんなものなんだ。それでいいのだ、と車窓に見える安中の工場群にドキドキしながら、ぼくは夏の思い出旅の一つを終えた。
ここから横川までそんなに遠くないはずだ。ほぼずっと上り坂だろうが、まあ、なんとかなるだろう。地図もないけど。それもまあ、いつものことだ。だいたい、ぼくほどの上級者(方向音痴の上級だけど)になると、地図など不必要なのである。あっても意味がないのである。ぼくは太陽の位置で方向を考えながら走る、って、俺は何時代の人間だよ。途中「イオン」の看板を見つける。左折21km先だと? スケールでかいよ、この辺。21kmって、遠いだろう?
などと目についたもんを考えもなくぶつぶつ言葉にしながら、えっちらおっちら登っていく。頭を通さない言葉は軽薄でいい。自転車に乗っている時は、ほぼ脊髄反射で言葉と戯れる。これも実にいいストレス発散なのだ。
だんだん登り坂が多くなる。傾斜のきついところでは、登坂車線を走る。一事が万事なるべく左側を穏便に走っていく。
やがて横川、峠の釜飯おぎのや到着。うちを出て160km。

記憶よりもずいぶん新しく格好よくきれいになっている。
もっと汚くて、なんだかドライブインに毛の生えたようなもんだったのだが、それが今じゃこんなありさま。

懐かしの釜飯にご対面。ああ、懐かしい。そうそう、こんな感じだった。栗はいいのだが、アンズが微妙。しょっぱいものの中にあるフルーツというものが苦手なのだ。いや、そういうしょっぱいのも甘いのも、その両面を合わせ楽しむのが人間の度量だと言うのなら、ぼくは、OK、甘んじて度量の狭い人間とのそしりを受けようではないか。そして、正々堂々と釜飯の中のアンズと冷や麦の中のパインと生ハム背負ったメロンにNOと言おう。そうだ、ぼくはその狭い度量故、生きていけるのだ、と軽井沢手前でE.M.シオランを気取ってみたりする(全然関係ないが、シオランの本ってアマゾンなどで異様に高いの知ってます? ぼく、「生誕の災厄」に始まって5巻の選集も全部持っているので、思い出売ってお小遣い稼ぎしてしまう誘惑にかられたりする)。
食べ終わって外に出ると、急な雨。あわてて横川駅で自転車をしまって駅舎で一休み。
長野新幹線が開通する前は長野へ行くにはここを通るしかなかった。上野で電車に乗るか、親父の運転する車に乗るか、いずれにしてもぼくたち兄弟は高崎で我先に車窓の観音像を探し、安中の工場群にドキドキし、横川で釜飯を食べた。そして車も電車もそこから碓氷峠を登り、軽井沢を通り長野へ向かうのだった。
でも、もう信越線は横川から先へは通じていないし、高崎から先へも通じていない。高崎から横川までのほんのわずかな距離を往復しているだけだ(調べたら1日1本だけ高崎を越えて上野に行く電車がある)。
それに意外だったのは、駅の小ささ。釜飯を求める人たちでにぎわったあのホームはこんなに狭くて小さかったのか、と。夜など、売る方も買う方も焦っている熱気でワンワンして、まるでお祭りのような騒ぎだった。その面影はどこにもない。

雨の中これ以上すすむのはおっくうなので信越線で高崎へ帰る。やってきた電車は、たしか昔は急行電車だったような気がする。
結局思い出なんてものは、こんなものなんだ。それでいいのだ、と車窓に見える安中の工場群にドキドキしながら、ぼくは夏の思い出旅の一つを終えた。