本堂には役目を終えたのか、両目を入れられた達磨さんたちが納められている。
だるまの資料館みたいなものもあり、全国各地のだるまや変わり達磨などが展示されている。あ、竹田の姫達磨だ! と水曜どうでしょうファン以外はあまり反応しないところにビクンときたりする。また群馬なので、中曽根、小渕、福田の巨大選挙達磨などもあった(中曽根元首相に至っては句碑もある)。
本堂裏手に回る。
堂の裏側にでっぱりがあり、そこに御幣が下がっているのが見える。ということはここには何かの神が祀られているということだ。
後戸の神である。
後戸の神は仏像の後に位置し、仏教世界を守護する神であると同時に芸能と結びつく神でもあった。
「印度で祇園精舎、つまり寺院の建立落成式のときに、お釈迦様が説教をしようとすると、仏の教えをさまたげる堤婆という者が、たくさんの外道(悪神)をそそのかして踊り叫んだので、説教をすることができなかった。そこで、釈迦の弟子の舎利弗が、後戸で鼓を鳴らし、歌を歌い、六十六番の物まねをすると、外道たちはそれを聞き、後戸に集まり、鎮まった。猿楽はこのときに行った外道鎮撫のための歌舞に起源するという説なんです」
小松和彦/内藤敏彦「鬼がつくった国・日本」
これが芸能の起源だと言われている。芸はわたしたちが思っている以上の広さを持っている。猿楽だけではない。花も蹴鞠も歌も、あるいは庭造り、要するに個人が持つ技術、知識、こうしたものを「芸」と呼んだのである。そしてこうした「芸」はすべて後戸の神と関わりを持っていた。
この後戸の神と芸能の関係の大切なところは、その関係が国家の外から結ばれてくることにある。
「芸能もまた、究極にはやはり鬼神たち、つまり「外部」があって、そこから根源的な力が流れ込んでくるともいえるわけ。「外部」の力がなければ、芸能の全体が崩れちゃう」
小松和彦/内藤敏彦「鬼がつくった国・日本」
国家や体制の外にある鬼神と結んだ芸能者は、したがって、一般人にはない有益さと危険さを兼ね備えた存在となる。こうしたアンビヴァレントな存在は、ときにはあがめられ、ときには賤視されることになる。日本の天皇がヨーロッパの国王と決定的に異なるのは、芸能者同様、体制の外側の力と結びついている点だ。でも、これについてはまた後日、「国立歴史民俗博物館編」で、芸能者、天皇、差別について考えてみたい。
この後戸の神は守宮神と呼ばれる。
「守宮神―――シュグジともシュクジンともシャグジとも呼ばれる。中世に発達したもろもろの芸道で、この神に関係を持たなかったもののほうがめずらしい。守宮神は芸能と密接な関係をもった、これほどに中世的な神もいないと思えるほどに、中世の神なのである。 この神は、しかしいまだに多くの謎に包まれている。守宮神はまた「宿神」とも書かれる。このように書かれて、猿楽の能ではその神はきわめて重要な地位を占めてきた。能の演目中で最重要と考えられてきた「翁」とは、この宿神の顕現の姿であると、猿楽の徒に代々伝承されてきたからである」
中沢新一「精霊の王」
シュグジ。これは多くの異称(シュクジン、ミシャグチ、ミサグジ、サングージン、シャクジン、オサモジン)をもち、信仰の古層に位置する神である(上記の「精霊の王」はその古層へ深くダイブしていく冒険の書で、是非お勧めの1冊)。その新石器時代にまでさかのぼれる古層の信仰がかなり明確な形で残っているところが諏訪である。
しかもこの本堂は後戸の神と本尊とが結びついている、大変興味深い場所でもある。
「多くの専門家たちを驚かせたのは、そこ(金春禅竹『明宿集』)に「翁」が宿神(シュクジン)であり、宿神とは天体の中心である北極星であり、宇宙の根源である「隠された王」であるという主張が、はっきりと書きつけられていたことである」
中沢新一「精霊の王」
( )内はぼくの補足
ほら、このお堂は、北辰鎮宅霊符尊をお祀りしてるとこだったでしょ。つまり、本尊が、シャクジという縄文時代にさかのぼれる神によって後戸の神と結びついている。なんておもしろいところなんだろう、達磨寺。