博物館をあとにし、その森を散歩。ひろびろとした森がいい。人間は存在したときから森を壊してきた。それは森と上手に付き合ったと言われる縄文人ですら一緒。あるがままの自然や手つかずの自然と人間は両立できないのだ。人間は自然を壊しながら、そしてそれを自分の都合のいいように変えながら歴史を作ってきた。直接木を伐らなくても、誰の手も汚れている。
縄文は、木を伐りながら、木を植えた。栗を植えるなど自分たちの都合のいいように植生を変えていった。そこに手つかずの自然はない。人間は自然を破壊しなくては生きていけないのだ。だから、どう自然と折り合いをつけるのか。それが文明のあり方として問われるのではないか、と思う。縄文的な人々はそれがとても上手だったんじゃないか。
なんてことをぶつぶつ考えながら歩いていて、烏が多く飛んでいることに気づいた。烏もいいなあ。
なんだかぼく一人、しみじみした秋を感じてんのもイヤなので、みなさまにもお裾分け。