人間の欲望など千差万別である。
それを理解できない人間は「あんな男のどこがいいんだっ!」「やめてお父さん」などという事態を招いたり、「え? 帰ったらまず自分の足の臭いかがないの?」などと自分の欲望と世間の欲望と同一視したような発話の挙げ句、周囲からの視線に絶えきれずに自爆炎上したりするのである。
だから、人の欲望は聞き流し、自分の欲望は黙っているのに越したことはない。しかし、それでは町の便利な聞き上手として一生を終わらざるを得ず、何というか生きている甲斐もないではないか。
そこでぼくは自分の欲望を暴露しようと思う。あますところなくぶちまけてしまおうと思っている。そしてそれを実行に移して、どんな目にあったのか、頬を赤らめながら語ってしまおうではないか。
この冬一番の寒気が日本中を席巻したある日のことだ。
ぼくは、自分でもなぜかわからないまま、強い欲動に心身ともにとらわれていた。
ああ、冷やし中華が喰いたいっ。
人の欲望が千差万別であると同時に、その欲望を評価する眼も千差万別である。中には体中縛られ、「この豚野郎」などとののしられながら天地真理にムチふるわれたがる奴より変態だ、と思う人もいるだろう。中には、わかる、わかる、俺も夏に鍋焼きうどん喰いたいしな、と共感してくれる人もいるだろう。だが、夏に鍋焼きうどんを喰いたがるような変態野郎に共感されたかないんだ、こちとら(→なんです、あんたは)。
そんなわけで昼休みに会社であり合わせの材料で作った冷やし中華。
麺を冷やし、かじかんだ手をふるわせながら拷問とか刑罰とかの言葉が頭をよぎりました。何かの罰か、こりゃ。
なにしろ冷やし中華そのものが売っていない上、材料がないので苦労惨憺。具だってろくなもんはない。
中華スープのもとに醤油とラー油とお酢でタレを作り、具はトマトやキュウリなどの買い置きはないので、三つ葉とシソと薄切りにした豚バラ角煮のみ。
一口すする。案外いける。まあ、もっとも自分で自分のために作ったものだから、うまさの閾値はおのずから低め設定である。まあ、こんなもんかな、と思いつつ、人には出さないよなあとも。
ごちそうさまでした。ああ、寒かった。もうやりません。