毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

伊雑宮

2006年01月17日 11時35分17秒 | 観光


 鳥羽でレンタカーを借りる。
 トヨタヴィッツ。ちっこくてかわいい。おまけに車体が軽いからビュンビュン軽快に走ってくれるのでよく借りる。
 一昨年長野に行ったときも、去年東北に行ったときも、ヴィッツ。
 今日はなかなかハードな旅になりそう。
 まずは鳥羽から15キロほど南下して伊雑宮へ。
 写真は伊雑宮本殿。伊勢神宮と同じく横へ遷宮予定。小さな祠は遷宮した際、真の御柱を建てる場所。
 天照大神について、もう一つ面白い特徴がある。
 それは非常に中国的である、という点(もっとも天皇という称号そのものが中国的なのだが)。
 この伊雑宮には非常に有名な田植え祭があり、そのときの竹取という行事に使う旗に大きく「太一」と描かれているのである。天照大神が中国の最高神と習合しているのだ。
 驚くことは別にない。中国起源の陰陽道を天武期以降日本では政府あげて研鑽、実践しているのだ。
  ここにも伊勢神宮を巡る謎の一つが存在する。ここには内宮の謎があり、たぶん、丹後の国には外宮の謎がある、と思う。
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阿字ヶ浦海岸

2006年01月17日 10時16分21秒 | 観光


 大洗海岸より少し北にある阿字ヶ浦海岸。
 白亜紀の岩が浸食され、鋸歯状にいくつも連なっています。
 海も東京近郊にしては大変きれい。
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二見浦

2006年01月16日 09時58分05秒 | 観光
 早起きして日の出前に二見浦に。
 残念なことに夫婦岩から日が出るのは夏の間だけ。
 ここに二見興玉神社がある。祭神は猿田彦。
 東に向いた海。そこに日が昇る。その神社に猿田彦が祀られている。

 「日の神 皇居遙拝所」とある。
 皇居はもちろん明治以来加えられたもの(だって、明治以前に皇居は伊勢の東にないもんね)だが、日の神とは。
 そう、ここには日の神(太陽神)猿田彦がちゃんと存在しているのだ。


 猿田彦神社同様、やはりここの千木も女神を祀っている形になっている。
 祭神は猿田彦と豊受大神。豊受大神は伊勢神宮外宮の神。つまり猿田彦=太陽神=内宮に、外宮と揃っているのだ。


 そして夫婦岩。
 この近くには中央構造線が走っている。夫婦岩の大きい方は中央構造線南側の岩質である(小さい方は岩質が違うので、据え直されたもの)。

 さて、猿田彦が死んだのち、アメノウズメノミコトが魚たちに服従を確認する。伊勢の地の太陽神猿田彦を排除できたのち、伊勢に天照大神は入ってきて、ここに定着する。伊勢の地は豊かである。海の幸のほか、もう一つ見逃せないものがある。
 それは水銀だ。実は中央構造線近くは水銀の宝庫なのである。
 つまり伊勢神宮は、中央構造線の伊勢半島での東端をおさえているわけだ(西端は、やはり流される神少彦名命を祀る淡島神社)。
 水銀と言えば空海。そうもちろん高野山もその構造線をにらんでの立地である。
 丹生の文字の入った地名は水銀にちなんでいる。
 この日の旅は水銀を巡るものにしようと思う。
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伊勢一日目終わり

2006年01月15日 01時56分20秒 | 観光


                 (伊勢の民家に多く見られるしめ縄。でも正月に限らず飾られている)

 伊弉諾尊(イザナギ)が伊弉冉尊(イザナミ)のもとから逃げ帰ってきて禊ぎしたところ、天照大神・素戔嗚尊・月読尊の3神が生まれた、ということになっている。
 内宮をあとにし、月読尊の神社に向かう。
 ここも規模は大きくないが、雰囲気のいい神社。
 本当はこの後蘇民の森に行ってみたかったのだが、バスの遅れのせいで断念。
 蘇民の森は素戔嗚尊関係なのだろう。
 この伊勢の地は正月でなくてもしめ縄を飾っている家が多い。「蘇民将来子孫家」という札を飾っておけば牛頭天王(素戔嗚尊)の怒りから免れるという発想である。
 これで三姉弟勢揃いである。実は、いろいろ出自は違うようだが。
 翌日はレンタカーを借りて伊勢のもう一つの富、水銀の匂いをかぎに行こうと思った。
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日の出 大洗2

2006年01月14日 22時04分44秒 | 観光


 岩がまるで太陽の昇るところに集まってきた生き物のように見えて面白かったです。
 ここらの岩は白亜紀の独特な岩。岩そのものも面白いんです。
 でも、やっぱり、右下にフレアが出てしまいました。ズームレンズだと出やすいんですよね。
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伊勢神宮内宮5

2006年01月14日 15時08分27秒 | 観光

   (末社の遷宮用地に置いてある石。小さな社がある場合が多い)

 伊勢神宮のもつ謎はとてもじゃないけれど、今回行ったからといって解けるものではない。
 たとえば、宮中から天照大神を外に出すきっかけになったのも、倭迹迹日百襲姫が神懸かりして、崇神天皇に命じたからで、その構図は卑弥呼と取り次ぎの弟との構図と酷似している。つまり倭迹迹日百襲姫こそ卑弥呼で、箸墓古墳は卑弥呼の墓だという説もある(もちろん宮内庁が調査させないが)。
 などなど伊勢にまつわる謎はいっぱいあって面白い。
 その場に行くと感じる謎、というものもある。これも面白い。
 旅はいい。やはり現場に行くのが一番である。
 謎は謎としておいておいて、この素晴らしい雰囲気をめい一杯味わう。
 そしてその素晴らしい雰囲気に西行の歌を思い出す。

 何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるゝ

 とりあえず、今回はそれでいい、ということにしよう。
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日の出 大洗海岸

2006年01月13日 16時26分57秒 | 観光


 大洗の日の出。
 太陽を見れば誰もがまぶしいように、レンズもまぶしいらしくフレアやゴーストが発生してしまいます。
 この写真だと鳥居の左側。
 次の大洗の写真にも出てきそうです。
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伊勢神宮内宮4

2006年01月13日 08時28分14秒 | 観光

              (内宮前のロータリー。車を回すためのロータリーにこの森。すごい!)

 あるいは、大和朝廷による征服説。
 なぜ天照大神は今の五十鈴川ほとりに到るまで転々と移動したのか。
 あの移動は、要するに征服地域の拡大なのだ(ここで言う征服は武力による土地の征服、というものから、大和朝廷の宗教に組み込まれる精神的な征服まで含む)。 
 たとえば鹿島神宮。
 あそこの主祭神は言わずとしれた武甕槌命である。
 しかし常陸国風土記には一切記載がない。
 もともとの鹿島神は土着の地方神であり、鹿島神宮はそれを祀っていたのだ。
 それが大和朝廷の東北遠征時に拠点となる鹿島に武力の神として武甕槌命が祀られ、やがて鹿島神と武甕槌命が習合したのである。
 今の地に落ち着くまで転々とした元伊勢には2つの成り立ちがあるように思われる。
 一つは元々地方神として祀られていたさまざまな太陽神が天照大神に統一された成り立ち。
 もう一つは、戦前の日本の植民地に建てられた神社と同じ成り立ち。
 どちらも天照大神という最高神の神話世界へ組み入れる装置として考えられるのではないか。
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鳥とウサギ

2006年01月12日 23時33分41秒 | 写真


 カメラを持って帰宅する途中の通勤写真です。
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午後5時池袋

2006年01月12日 22時54分52秒 | 写真


 たまにはモノクロで。
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伊勢神宮内宮3

2006年01月12日 09時17分00秒 | 観光

       (内宮の森。実に美しく素晴らしい雰囲気の森をたたえた神宮でありました)


  疑問に対しては、いくつかの説が考えられる。
 たとえば、由岐神社(由岐神社に関しては、今年の夏鞍馬へ行ったときのこちらを参照下さい)の成立と似ているのではないか。
 あれも宮中で祀っていたものを、さまざまな穢れを負わせて宮中から流したのである。
 宮中から出した理由が人口が半減するほどの疫病であるところも似ている。
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朝焼け

2006年01月12日 08時27分34秒 | 観光


 マイナス6度。
 じいっと1時間たたずんでいました。
 凍りました。
 「ボー・ソレイユ・クーシャン」
 ドビュッシーの歌曲が頭に浮かんできたりしました。
 をい。
 そいつは夕日じゃん!
 頭の中まで凍ってしまったようでした。
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夕べの階調

2006年01月11日 15時13分33秒 | 写真


      今おとずれるこの時に
      かよわい茎に身を悶え
      花々は香炉のように溶けながら
      響も薫りも夕べのそらにめぐり来る
          憂いは尽きぬこの円舞曲
               眩くような舞心地!
           
             (ボードレール「夕べの階調」福永武彦訳)
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岩間を流れる海

2006年01月11日 12時37分10秒 | 写真


 海がまるでもやのように見えるのは、シャッタースピードが極端に遅いからです。
 120mm(35mm換算180mm)f8 10" ISO100
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日フィル

2006年01月10日 21時09分51秒 | 音楽
 1/8、前にチケットをとっていたので、東京芸術劇場へ日フィル・コバケンのコンサートに行ってきました。茨城からぎりぎりのトンボ帰り。
 この日、ラグビーの大学決勝戦だったのだけれど、チケットを無駄にするのはもったいないから(byマータイさん)。
 曲はドヴォルザークの交響曲8番、モーツァルトのピアノ協奏曲ニ短調、それにラヴェルのボレロ。
 いやあ、たのしかった。コバケンの指揮はダイナミック・レンジの広いもの。あんなにゆっくりとしたドヴォルザークを聴くのは初めてかもしれない。このゆっくりはのんびりとは違う。緩急の差がきわめて激しい。
 モーツァルトのニ短調協奏曲は第1楽章、第2楽章は、ソリストの仲道さんがのらなかったのか、どうか、いまいちの印象。右手の親指を鍵盤からはずしててこの原理で小指を叩く奏法を初めて見た(あの弾き方はピアノの先生に怒られそうだな)。オーケストラと厳しく対峙する感じのニ短調協奏曲なのに、弱音を甘くしては曲調が甘くなってしまう感じがする。が、第3楽章は素晴らしかった。
 ラヴェルのボレロはよかった。コバケンの表現の幅がまさにいかされた演奏。上から見ると円環のような曲だが、奏でる楽器、速度など主題が回るたびに増幅されていく。そう、横から見るとらせんのような曲だ。そうした曲に対してコバケンの指揮はむいている。とても素晴らしいでき。最後のクライマックス、まるでカオスのような音の奔流に酔いしれた。
 日フィルは経営母体が弱いので、いろいろな不自由があろうが、頑張ってもらいたいものだ。
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